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2008年7月31日 (木)

「終戦で思うこと・日本人はキンタマを抜かれたのか」

◇「日記」の読者が言った。「日本人は、戦争に負けて、アメリカにキンタマを抜かれた」と。そうだと同調する人、それは、違うと主張する人、様々だろう。いずれにしろ、歴史上かつてない大きな変化があった。

 終戦を境にして、日本を支える基盤、日本人の心を支える価値観が一変したのだ。その直接の原因は、日本国憲法の制定である。そして、日本国憲法制定を必然的に導いたものは、29日の「日記」で触れたポツダム宣言の受諾である。なぜなら、ポツダム宣言は、軍国主義の排除、民主主義の強化、思想・言論の自由などの基本的人権の尊重を求めていたからである。つまり、ポツダム宣言を受け入れる以上、明治憲法の存在は許されなかった。

 よく言われることは、アメリカによって与えられた日本国憲法によって、日本人は魂を抜かれたという表現である。あたかも、日本国憲法が悪物であるかのように扱われ、自主憲法をつくることがしきりに主張された。しかも、このような主張が国の指導者によってなされたことに戦後の日本の悲劇の一因がある。

 日本国憲法は素晴しいものである。今、日本が世界の先進国として誇れる点は、進んだ経済よりも、人間を尊重する憲法を持つことである。これは、中国の現状などと比べると良く分かる気がする。

 戦後の政府は、日本国憲法を借り物のように考えて、日本人の心を支える価値観として活かすことを怠った。日本国憲法の尊重を唱えるのは共産党など反政府勢力であった。国の基盤たる憲法を軽視した政府の態度に、日本人の心の貧しさを招いた大きな原因がある。

 日本は原則を持たない国と誤解され、金もうけだけに邁進するエコノミックアルマルと批判された。それは、素晴しい原則である日本国憲法を持ちながらそれを活かせなかった事の結果である。戦後63年が経ち、日本の国の良さに気づく時に来た。8月15日の終戦記念日が近づく中で、戦後の日本の原点を改めて考えていきたい。

◇グリーンドームで市政の浄化を求める市民の集いがあった。5月15日にテルサで第一回の会合があったが、今回は、それに続く第二回の会合である。この間に大きな変化があった。その一つは、金子泰造さんが急逝し、金子後援会も解散に近い状態になった事である。組織に頼らないで大きな集会が実現できるか不安があった。また運動の今後がかかる重要な集会であった。会は大変な盛会でイスを何度も追加した。今回の大きな成果は、「市政をただす会」という無党派の人々の集まりが出来たことだ。この会の人たちが登壇し、自分たちの考えを語りかけ、今後の活動を説明し、慣れない姿で「ガンバロー」と檄をやった。世の中が変わりつつある象徴のように見えた。

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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