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2008年7月31日 (木)

「終戦で思うこと・日本人はキンタマを抜かれたのか」

◇「日記」の読者が言った。「日本人は、戦争に負けて、アメリカにキンタマを抜かれた」と。そうだと同調する人、それは、違うと主張する人、様々だろう。いずれにしろ、歴史上かつてない大きな変化があった。

 終戦を境にして、日本を支える基盤、日本人の心を支える価値観が一変したのだ。その直接の原因は、日本国憲法の制定である。そして、日本国憲法制定を必然的に導いたものは、29日の「日記」で触れたポツダム宣言の受諾である。なぜなら、ポツダム宣言は、軍国主義の排除、民主主義の強化、思想・言論の自由などの基本的人権の尊重を求めていたからである。つまり、ポツダム宣言を受け入れる以上、明治憲法の存在は許されなかった。

 よく言われることは、アメリカによって与えられた日本国憲法によって、日本人は魂を抜かれたという表現である。あたかも、日本国憲法が悪物であるかのように扱われ、自主憲法をつくることがしきりに主張された。しかも、このような主張が国の指導者によってなされたことに戦後の日本の悲劇の一因がある。

 日本国憲法は素晴しいものである。今、日本が世界の先進国として誇れる点は、進んだ経済よりも、人間を尊重する憲法を持つことである。これは、中国の現状などと比べると良く分かる気がする。

 戦後の政府は、日本国憲法を借り物のように考えて、日本人の心を支える価値観として活かすことを怠った。日本国憲法の尊重を唱えるのは共産党など反政府勢力であった。国の基盤たる憲法を軽視した政府の態度に、日本人の心の貧しさを招いた大きな原因がある。

 日本は原則を持たない国と誤解され、金もうけだけに邁進するエコノミックアルマルと批判された。それは、素晴しい原則である日本国憲法を持ちながらそれを活かせなかった事の結果である。戦後63年が経ち、日本の国の良さに気づく時に来た。8月15日の終戦記念日が近づく中で、戦後の日本の原点を改めて考えていきたい。

◇グリーンドームで市政の浄化を求める市民の集いがあった。5月15日にテルサで第一回の会合があったが、今回は、それに続く第二回の会合である。この間に大きな変化があった。その一つは、金子泰造さんが急逝し、金子後援会も解散に近い状態になった事である。組織に頼らないで大きな集会が実現できるか不安があった。また運動の今後がかかる重要な集会であった。会は大変な盛会でイスを何度も追加した。今回の大きな成果は、「市政をただす会」という無党派の人々の集まりが出来たことだ。この会の人たちが登壇し、自分たちの考えを語りかけ、今後の活動を説明し、慣れない姿で「ガンバロー」と檄をやった。世の中が変わりつつある象徴のように見えた。

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年7月30日 (水)

「高木市長と会って要望項目を聞く。」「玉音放送のこと。」

◇毎年、前橋市は県に対して重点要望を行う。知事に要望書を渡す前に前橋市出身の県会議員に説明し協力を要請することになっている。高木市長と私たちが緊張関係にあることから市の当局は、かなり神経を使っていたふしがある。県議の中には、欠席すべしという意見もあったが、市長を批判する事と、市の発展を願うことは別だと考えて、出席することにしたのである。

 今回は、「前橋プラザ元気21」の中の中央公民館が会場として使われた(29日)。10個の重点要望項目の中には、「子どもの医療費の無料化について」、「重粒子線治療に係る治療費負担軽減制度の創説について」、「CO₂削減に向けた太陽光発電の導入推進について」、「農業に対する緊急支援事業について」など重要な施策が含まれていた。

 会議は一時間程で終わり、5階から1階まで降りるエレベーターに、髙木市長と同乗することになった。呉越同舟という言葉を思い出した。

◇いわゆる玉音放送を聞く。「ふるさと塾」で月曜日、鈴木貫太郎を扱った時、玉音放送の事が話題となり、高齢の塾生は良く聞き取れなかったと発言した。それを聞いた私の事務所の瀬下さんが、所有していたテープを持参したのである。

 天皇のはっきりした声が流れ出した。静かな声の背後に広がる極限の混乱が想像された。当時の人々の心を思うと胸が熱くなった。天皇がマイクの前に立ってこの声を録音している時も、特攻隊員は南の空に飛び立ったのであろうか。

 テープの声は、「朕は、深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し、ここに忠良なるなんじ臣民に告ぐ」と始まる。そして、「朕は帝国政府をして、米英支ソ四国に対しその共同宣言を受諾する旨通告せしめたり」、「交戦すでに四年を経過し将兵、国民、最善を尽くすも戦局は好転せず世界の大勢は、我に利あらず」、「敵は新たに残虐なる爆弾を使用し惨害の及ぶ所眞に測るべからざるに至る。しかもなお、交戦を維持せんか、ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて、人類の文明をも破却すべし」、「今後、帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず、なんじ臣民の衷情も朕よくこれを知る。しかれども、朕は時運のおもむく所、耐え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世のために太平を開かんとす」などの部分が続き、最後は、次のように結ぶ。「道義をあつくし、志操をかたくし、誓って、国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし、なんじ臣民、それよく朕の意を体せよ」

 8月15日の宮城前は、玉砂利に伏して泣く人、腹を切る軍人もあり異常な興奮が支配していた。それは、帝国の崩壊を象徴する光景であった。

 しかし、興奮が冷めると多くの日本人はほっとしたに違いない。あれから63年が経つ。8月は、日本という国を深く考える月にしたい。(読者に感謝)

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2008729日(火)

「今月のふるさと塾は鈴木貫太郎」

◇第四土曜日は、夏祭りが多く、今月は月曜日に実施。話は、昭和庁舎に展示する「上州の宰相」の映像から入った「実は、群馬ゆかりの宰相はもう1人いました」、という切り口である。終戦記念日が近づくこともあり、鈴木貫太郎を取り上げることはタイムリーだと思った。

 鈴木貫太郎は前橋市桃井小を卒業し、前中(現前橋高校)で学び、海軍兵学校に進んだ。連合艦隊司令長官、侍従長などを歴任、誠実な人物で昭和天皇の信任は厚かった。母校桃井小には、貫太郎の言葉、「正直に腹を立てずにたゆまず励め」と書かれた石碑が立っている。昔の小学生は、よくこの言葉を復唱させられた。ふるさと塾にも復唱の体験を持つ人が何人かいた。塾では、「いまでもやればいい」という意見が出た。私もそう思った。

鈴木貫太郎が日本を救った総理大臣といわれるのは、戦争を終結させた業績の故である。昭和204月、総理大臣に鈴木の名が上がった時、鈴木は固辞した。しかし、昭和天皇に頼むからといわれて引き受けたのである。

 昭和天皇は、「この重大な時にあたって、もう他に人はいない、頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と言った。天皇の命令で総理の職につく時代である。それが、天皇に頼むからやってくれと言われた人物は鈴木以外にいない。

 7月、連合国からポツダム宣言が発せられると、その受諾か否かをめぐって政府中枢で激論が交わされ結論が出ない。86日広島に原爆が投下され、続いて、9日、長崎に原爆が投下された。その直後に、ソ連が日本に参戦した。二度目の御前会議でも、阿南陸相等は、本土決戦を、東郷外相等は「宣言」受諾をそれぞれ主張して譲らない。

 鈴木首相は、誠に恐れ多いことだが、陛下のご意見を仰いで結論にしたいと発言し、進み出た。天皇は、ポツダム宣言受諾に賛成する、自分の身はどうなってもいい、国民を救いたい、必要があれば、自ら国民に語りかけたい、と述べた。ここでポツダム宣言受諾は決定された。814日のことであった。

鈴木の胸に筋書きは出来ていたに違いない。議論が出尽くした段階で、仮に、鈴木首相が受諾に賛成して結論を出したとしても、その後収拾がつかない事態が生じたであろう。天皇の決断の力は絶大であった。侍従長の回想などを読むと、この午前会議の異様な状況が分かる。男たちのすすり泣く声が次室にまで伝わったという。

私は、天皇に戦争の責任がなかったとはいえないと思うが、戦争を終決させ国民を救った天皇の力は大きいと思う。そしてその結論を導いた鈴木貫太郎の功績も偉大だと思う。ふるさと塾には、「玉音放送」を聞いたという人が二人いた。その一人は、よく聞き取れなかったが、午後、鈴木首相が終戦という言葉を使ったのを聞いて全てが分かったと話していた。今年も8月が近づいた。風化して、歴史の中の出来事になっていくあの戦争をもう一度、しっかりと見詰めたいと思った。(読者に感謝)

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2008年7月28日 (月)

「北京五輪が近づく中、テロの恐怖が高まる」

◇中国の悲願である五輪が刻一刻と近づく。0888日、午後8時開幕。中国人が縁起のよい8の字を連ねたことにも、国を挙げての願いがこめられている。

 先日、中国の友人から手紙が届き、その中で、中国では多くの市民が治安の維持に協力していると書かれていた。広大な国土の中で、オリンピックの安全を守ることは、警察だけでは不可能なのだという。友人は、テロの発生を恐れるとも述べている。

 今月21日、雲南省昆明で連続バス爆破事件が起きたが、これに対して、犯行声明が出された事が報じられた。声明を出したのは、イスラム党と名乗る組織で、北京五輪を中止しなければテロを続けると警告しているという。

 果して、北京五輪は、無事に行われるのか。各種競技の行方以上に、この問題が気にかかる。

 中国が発する情報によれば、中国は国家の威信をかけて全力を挙げて治安維持に当たることが伺われる。即ち、五輪会場については、警察官とこれに協力する市民ボランティアは合わせて11万人が治安に当たり、更に軍隊が20万人動員される。また、北京市内の公共施設や主要な道路については、住民ボランティア役30万人と警備員役15万人が警備とパトロールに当たるという。

 平和の祭典が、息のつまるような緊張の監視体制の中で行われようとしている。しかし、それでも、テロに対して万全を期することはできない。そこに中国の限界が横たわる。

 北京五輪をめぐるこれまでの経過を振り返ると、北京に五輪開催を認めたオリンピック委員会の判断は間違っていたと私は思う。平和の祭典を開くには平和国家でなければならない。国内に多くの火種を抱え平和が脅かされている国に平和の祭典を実現することは無理だからである。

◇後援会のバスツアーで、上野村の神流川発電所を見た。濃い緑の山並みを縫ってバスは山道を走る。山の斜面にしがみ付くような人家、山の稜線に漂う白い雲、久しぶりの風景は心をいやしてくれる。いくつものトンネルを越えてバスは巨大な地下空間に入る。 

壮大な揚水発電の仕組みとそれを成し遂げた技術力に驚く。上下の調整池の水の有効利用だ。深夜の電気使用量は少ないから、これを利用して下部の水を吸い上げ、昼はこれを落下させて電気を起こす。上下を結ぶ水圧管路は、長さ50m、重さ600tの掘削機で掘った。エネルギー問題を学ぶ良い機会となった。

御巣鷹の尾根の下を通り、23年前の惨劇の話を聞いた。10キロ離れた所にも大音響が伝わり、現地は死体と腐臭で満ちたという。のどかで美しい森が一瞬地獄と化したのだ。その光景を想像した。帰途、滝のような雷雨にあう。夜のニュースで、水上の方で鉄砲水による死者、行方不明者が出たと報じた。(読者に感謝)

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2008年7月27日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(129)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

 シベリア強制抑留で苦しんだ日本人の姿は、今日の私たちの対極にあるものである。衣食足りて礼節を知るという諺があるが、「衣食」不足の極限にあっては、人は人間の姿を貫くことが難しい。また、「衣食」が足り過ぎた中でも、人間の尊厳を貫くことが難しくなる。まして、人間としてのしっかりとした歩みを支える「心の文化」が定着していない場合には、このことが言える。シベリア抑留と今日の社会は、このことを私たちに教えてくれる。

 ハバロフスク事件で闘った日本人は、今日の日本とは対極にある極限の状況下で、人間の尊厳を守るために闘った。その姿は、ロシア人の目にもまぶしく輝いて見えたに違いない。アレクセイ・キリチェンコは、それを、シベリアの「サムライ」と表現し、高く評価した。「ハバロフスク事件の真実」とともに、ロシアの学者が提示した、この懐かしい「サムライ」という言葉を、私たちは今日の日本人の「心」を考える上で、重要なメッセージとして受け止めるべきではないか。戦後の日本は、日本人が大切にしてきた、伝統的価値観の多くを捨て去ってしまったが、その中には、時代を超えて、新憲法のもとにおいても、日本人の心の芯として守ってゆくべきものが数多くある。サムライの心、かつては、それを武士道といったが、これは、日本人の伝統的な精神文化として、今改めて注目すべきものと私は考える。

 武士は、階級社会における支配層であった。そして、武士道は、この支配層のモラルであったから、今日の平等社会のモラルとしてはそのままでは受け入れられないといえる。しかし、実際は、武士道の本質は発展して、武士階級だけでなく、それを見習った日本人全体の精神構造を支えるものとなっていたのではないか。そして、その中心は、自分という「個」を越えた社会のために貢献する志である。これは、今日の社会においても立派に通用する価値、いや、むしろ、物質万能に傾いた今日の社会において、より重視されなければならない理念である。それは、個人の存在よりも国家を尊重するという理念ではない。個人としての人間の尊重をより実現するために、いいかえれば、個人としての人間を高めるために、「義」、「信」、「孝」、あるいは「恥を知る」ということを、社会貢献に結びつける考えなのだ。

 今日、ボランティアの時代といわれるが、ようやく芽が出てきた社会貢献の流れを本物のより質の高いものに育てるために、私たちは、このような精神文化を自覚して守り育てることが大切である。このことが、国際化時代において、日本人のオリジナリティを確立する上で必要なことと思う。そして、「シベリアのサムライ」が見せた心意気を今日の私たちの心の糧として正しく受け止めることが、シベリアの強制収容所で苦しんだ日本人に報いる私たちの務めでもある。☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年7月26日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(128)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

交渉が難航する中、ストライキは3ヶ月続いたが、結局内務省軍2500人がラーゲル内に強行突入し、首謀者46人を逮捕、籠城は解除された。しかし、兵士は突入の際銃を持たず、日本人の負傷者もほとんどなかった。スト解除後の交渉では、帰国問題を除いて日本人側の要望はほぼ満たされ、その後、労働条件やソ連官憲の態度も大幅に改善された。56年末までには全員の帰国が実現し、ソ連側は驚くほどの寛大さで対処したのである」

 これらは、既に述べた石田三郎を代表する日本人の闘争をソ連側の資料から見たもので、両方からの見方が一致していることを示している。

 そしてこの論文は、最後に日本人の「特性」について次のように述べている。

「極寒、酷使、飢えという極限のシベリア収容所でソ連当局の措置に抵抗を試みた人々の存在は今日では冷静に評価でき、日本研究者である私に民族としての日本人の特性を垣間見せてくれた」

 また、日本人の別の側面として述べる、次の部分は痛烈である。これは図らずも「民主運動」を、その本質をつきながら、痛切に批判している。

「日本人捕虜の中に浮薄なマルクスレーニン主義理論を安易に信じ、天皇制打倒を先頭に立って叫ぶ者、食料ほしさに仲間を密告する者、ソ連当局の手先になって特権生活を営む者なども多く、この点も日本研究者である私にとって、日本人の別の側面を垣間見せてくれた」

 戦後半世紀以上が経ち、あの戦争がすっかり遠くなった。そして戦争を知らない人々が大半を占めるようになり、人々は、平和と飽食の中で今を楽しんで生きている。しかし、日本の社会は、さまざまな難問を抱え、国の危機が叫ばれている。この危機の一因は、日本人の心の問題ではなかろうか。

 戦後、瓦礫の中から立ち上がった時、最大の目標は食べること、つまり物質的な豊かさだった。そして、遂にこの豊かさを手に入れてみると、豊かさというものはすばらしいということになり、日本人は、皆、物の豊かさに酔った。しかし、やがて物の豊かさは、それだけでは人を幸せにするものではないことを思い知らされる。

 今日の日本の社会は、物欲万能の底なし沼に足を踏み入れたようだ。物欲はさらに大きな物欲を生み、金のためには他人はおろか、妻や夫も手にかけるという信じられない事件が日常のように起こるようになった。青少年の凶悪事件の多発、少女の援助交際等々、これらも、豊かさに目が眩んで正しい目標を失った今日の社会状況が背景となっている。戦後、社会を再建するための理念をしっかりと確立しなかったことのツケを今突きつけられているのだ。

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2008年7月25日 (金)

「いかにも多い地震、巨大地震は近いのか」

◇暑い夜、眠れずにいたら、ユサユサと来た。地震だと思ってテレビをつけると、地震を知らせる文字が流れ、画面は直ぐに地震のニュースに切り変った。アナウンサーは、「東北地方に強い地震が発生しました」と告げ、震源は岩手県沿岸北部であること、岩手県洋野町で震度6強と報じた。24日、午前026分であった。

 その後、ほぼ全ての局が一斉に地震を報じ始めた。東北のまちのゆらぐ夜の光が映される。東北が震源だというのに、東京都千代田区が震度3と聞いて大きな地震だなと思った。

 マグニチュードは6.8、深さは108キロである。この地震の特色は、日本列島の下に東側から沈み込んでいくプレート(岩板)の内部で起きたプレート内地震だということ。100人を越える重軽傷者が出た。比較的被害が少ないのは、震源が深いからである。

◇岩手と聞いて、またかと思った。先月14日、岩手県で大地震が起きたばかりである。山が割れ、広大な赤い土が地球のはらわたのようにむき出しになった光景は、まだ目に焼きついている。

 あの地震は、岩手・宮城内陸地震と命名された。マグニチュードは7.2、震源は浅く8キロだった。このときは、6人の死者と11人の行方不明者が出た。

◇それにしても、東北から茨城にかけて地震が非常に多い。地震調査委員会によると、宮城県沖では、今後30年以内に、99%の確率で、マグニチュード75前後の地震が発生するとされる。

 実は、05年宮城県沖でマグニチュード72の地震が発生したが、これは、調査委員会が想定している地震ではないのだという。

◇最近頻繁に起きる地震のニュースに接して素人の私は、もっと大規模な地震が近いと予感してしまう。地球は生きていて、内部は熱く激しく動いている。私たちは、地球の表面を包む薄皮の上でほんの一時の平穏を楽しんでいるのだ。

 人間の世界が狂い出した事と、地球の内部が騒がしくなった事は、関係があるのかもと思ってしまう。

◇桐生第一高校の生徒星野君が殴られて死亡した。加害者は前橋市の無職少年(15歳)で、この6月まで同校の同級生だった。インターネットのサイトに書かれた内容に腹が立って殴ったと供述している。桐一の高橋校長は、「教育の力のなさを感じる」と語っている。

今日は、インターネット社会である。インターネットを悪用した犯罪が氾濫している。今回の事件は、インターネット上で自己紹介するプロフィールサイトへの書き込みをめぐるトラブルだという。書き込みの内容そのものが、違法というのではなく、星野君が書いた内容が気にくわないという事らしい。少年たちが、インターネットにどっぷりつかっていること、インターネット社会で生きる少年たちの大変さを改めて感じた。

◇今回の事件に関して、子どもたちが携帯電話に縛られて生きている苦痛を改めて思った。彼らは24時間、どこにいても窮屈な人間関係から開放されることがないと、ある人が私に訴えていた。力を合わせ、健全なインターネット文化をつくりたい。(読者に感謝)

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2008年7月24日 (木)

「環境省、熱中症対策マニュアルを発表」

◇熱中症とは炎天下でおきる痙攣、めまい、頻脈、意識不明などの症状で、死に至ることもあるが適切な予防により防ぐことも出来る。ニュースで、環境省が熱中症を防ぐための保健マニュアルを発表した事を知り入手して読んだ。

 以下要点を紹介したい。一読して、地球の温暖化、人口の高齢化と深く関わることを知った。ここに挙げた症状は高温下で体温を調節できなくなった結果であり、高齢者は体温調節機能が低下しているから熱中症にかかる人が多いのだ。

 最近は、真夏日が多くなり、熱中症の死亡者が増えた。年平均293件もある。気温が30℃を超えるあたりから熱中症の死者が増え始め、その後、気温が高くなるにつれ、死亡率が急激に上昇する。06年65歳以上の熱中症による死者は、熱中症死亡総数の68%に達した。

 ちなみに、群馬県消防防災課より得た資料によると、今年7月、熱中症により救急搬送された人の数は23日までに、計74人である。

◇熱中症になりやすい人とは、高齢者、肥満の人、過度の着衣の人、普段から運動をしていない人、暑さに慣れていない人、病気とか体調の悪い人などである。

 熱中症の発生は、梅雨の合い間に突然気温が上昇した日や梅雨明けの蒸し暑い日など、身体が暑さに慣れていない時に起こりやすい。このような状況で、立ちくらみ(目まい、失神)、頭痛、吐き気、手足の運動障害などがみられる時、熱中症を疑うべきだ。

 熱中症を疑った時は、涼しい環境への非難、そして、皮膚に水をかけたりして体温を冷やすことが必要。重傷者を救命できるかどうかは、いかに早く体温を下げることができるかにかかっている。また、冷たい水を与えることや汗で失われた塩分を補えるスポーツドリンクなどが最適。

 日常生活では、こまめに水分を補給することが重要。高齢者の場合、特にこまめに水をとるように努めるべきで、運動開始のおよそ2時間前にコップ1~2杯の水を飲むこと、ウォーキングの間も15~20分ごとに100ml程度の水を飲むこと。以上、環境省のマニュアルのさわりの部分を紹介した。この情報が少しでも役に立てばと願う。

◇テルサで駒寄せスマイルインター等の建設促進期成同盟の総会があり、県会議員を代表して挨拶し、県会議長への要望書を高木市長から受け取った(23日)。高木市長と顔を合わせる機会は時々あるのである。

◇腰塚誠さんの県会議長就任祝賀貝に出た(23日)。会場は桐生市の市民文化会館である。国会議員は笹川堯さんと山本一太さんが出席。大澤知事は、腰塚議長とは、県議時代同期であった。

 大澤知事は、自分が議長の時を振り返って知事(当時は小寺さん)との関係が大変だったと笑いながら語っていた。腰塚さんは、仲の良い知事にも言うべきことは言うと決意を示していた。奥さんをいたわる姿が印象的だった。(読者に感謝)

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2008年7月23日 (水)

「北京五輪の不気味さ・日中議連の役員会」

◇自民党県議団総会が開かれ、いくつかの重要課題が議論された(22日)。その中の一つは、「八ッ場ダム推進議連」の結成を関係する他県にも依頼する件である。このダムは、利根川流域の治水と首都圏の利水に関わるものであり群馬県だけの問題ではないのである。

◇県議団総会の後、日中議連の役員会が開かれた。今、県会では多くの議員連盟が出来、その活動が活発である。日中議連は、日本と中国の交流等を目的とし私が会長を務める。この議連の活動の成果として県立女子大と大連外国語学院との提携が実現し、調印の運びとなった。この日の役員会では、調印のための訪中の日程を11月26日から29日迄の間として調整することになった。大連外国語学院は、日本語を学ぶ学生数が世界一の大学である。最近、キャンパスは、大連から旅順に移った。

◇大連外国語学院との関係は、10年も前から、私が日本語の書籍を贈り続けたことが基礎になっているが、直接には昨年10月私を団長とした訪中団が同大学を訪ね、群馬県を紹介したことがきっかけとなった。

◇昨年、私たち訪中団は、大連から北京に飛び、北京五輪に臨む北京市の状況に接した。歴史の街は一変しつつあり、「鳥の巣」と呼ばれたメインスタジアムの上には、ありのような人の影が動き、天安門広場には緊張感が広がっていた。

 その後、チベット騒動、四川大地震と続きいよいよ五輪開催が目前に迫った中で、中国各地では暴動が続発し、また、21日、連続爆弾事件が起きた。私は、「ついに」、「やはり」という感じをもった。

 胡主席は、五輪を「中華民族百年の待望」と呼んだ。誇り高い民族が先進国の侵略や支配に耐えて今日の躍進を成し遂げ、その成果を世界に示す時が来たという思いがあるに違いない。

 しかし、躍進は様々な矛盾や問題点を抱えている。各地の暴動や今回の爆弾事件は、その現われであろう。異常な経済の展開は大きな較差を生んでいる。貧しい人々は不満を抱くのは当然であるが、社会主義の独裁、役人のひどい汚職が人々の不満を堪え難いものにしている。社会主義の根本は平等のはずなのにこの貧富の差は何事だ、しかも社会を支配する役人の汚職は目に余り許せない、これが市民の感情であろう。

 更に中国は人権問題を抱えている。社会が大きく発展しているのに思想の自由を認めず政府に反対する人々を弾圧する。天安門事件はその象徴である。チベットに対する弾圧は少数民族の人権を踏みにじる出来事である。

 中国は昔から地震や洪水などの大きな天災は政治が悪いから天が怒って起こると考える習慣がある。四川大地震は、更に、そのようなタイミングで起きた。私は、最も難しい時に行なわれる北京五輪の成功を祈りたい。しかし何が起こるか分からない無気味な五輪である。(読者に感謝)

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2008年7月22日 (火)

「少子化は日本の教育の重大な曲がり角」

◇創世中等教育学校が来年度から生徒募集を停止する。同校は六年制の中高一貫教育の学校で2000年に、平方学園が開校した。私立では全国初の中等教育学校である。生徒不足が主な原因らしい。少子化の影響が背後にあるものと思われる。

 少子化は日本の教育界に重大な影響を与えている。一クラスの生徒が少なくなり、少人数で丁寧に子ども達を教えられるという面もあるが、私学の経営難、生徒の質の低下など深刻な問題が生じている。

 先日、板倉町の東洋大学を訪ねた時も私学が抱える重大問題を肌で感じた。全国の私立大学は、定員割れの危機に直面している、中には定員の半数にも満たないところも出ているというのだ。東洋大学の事務局の人は、私立大学一般の問題として、このような現象に伴って学生の質の問題が深刻であることを説明していた。

 少子化に伴う教育の問題は、私大だけのことではない。入試が広き門になれば学力低下は避けられないだろう。入試が易しくなっても入学後の教育に力を入れればよいという意見がある。アメリカのように、卒業を難しくするという考えである。私学などは、それも、なかなか思うようにはいかないのが現状らしい。

 最近、大学関係者と会ったとき、現在の大学生の学力は中学卒業程度だという話が出た。全部がそうとは思えないが事態は深刻らしい。

 高校も大学も特色ある校風の下で本物の力を身につけさせる学校でないと生き残れない時代になった。そして、名前だけの大学卒で中身を伴わない若者は社会で通用しない時代になった。

 小中などの段階から、子どもたちに本物の学力を身につけないと生きていけない社会が行く手に待ち受けていることを自覚させる必要がある。

 フリーターや働く気力のない若者の深刻な実態が問題になっている。この人たちのことを一概に論ずることは出来ないが、学校教育の無力さが一因となっていることは間違いないだろう。

◇先日のテレビで石工である父の跡を継いで石を刻む娘さんの生き生きとした横顔に打たれた。大きな石にまたがってノミを当て金づちを振っている。はち巻きをして見上げる顔が美しかった。父である親方の下には、二人の若者が弟子入りしている。その一人は大学を中退して入った。日本は、このような若者を支え、評価してやる制度や社会の風潮を育てるべきだ。物づくり日本を支える若者たちの受け皿をつくらねばならない。

◇15歳の少女が父を刺殺した。この事件は、最近の異常犯罪とは違うように思える。「勉強しろ」といわれたというが珍しい事ではない。「うっとうしいと思っていた」というが、それも普通の子がいう言葉だ。夜、もうろうとした意識の中に、最近の異常な事件の影が甦って少女をつき動かしたとしたら、現在の法は彼女をさばく事はできるのかと考えてしまった。虚と実がいっしょになって子どもたちを包む社会が進んでいる。(読者に感謝)

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2008年7月21日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(127)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

 そこで、民間人である学者が、「民族の名誉にかけても日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したい」と発言していることは、ロシア人にも温かい血が流れていて、私たち日本人に対して正しい人間関係を築くためのメッセージを送る姿と受け取れて、心温まるものを感じる。

 アレクセイ・キリチェンコを動かしたものは、地獄のような環境の下でも理想と信念を捨てず、自己と祖国日本に忠実であり続けたサムライたちのドラマであった。彼は、スターリン体制に捨て身の抵抗をしたサムライの行動に新鮮な驚きを感じたのである。次の文にこのことが述べられている。

「敵の捕虜としてスターリン時代のラーゲリという地獄の生活環境に置かれながら、自らの理想と信念を捨てず、あくまで自己と祖国日本に忠実であり続けた人々がいた。―― 彼らは、自殺、脱走、ハンストなどの形で、不当なスターリン体制に抵抗を試み、収容所当局を困惑させた。様々な形態の日本人捕虜の抵抗は、ほぼすべてのラーゲリで起きており、45年秋の抑留開始から最後の抑留者が帰還する56年まで続いた」

 「(抵抗運動のことを)ソ連の公文書の形で公表するのは今回が初めてとなる。半世紀近くを経てセピア色に変色した古文書を読みながら、捕虜の身でスターリン体制に捨て身の抵抗を挑んだサムライたちのドラマは、日本研究者である私にも新鮮な驚きを与えた」

 この文から、羊のように従順で、奴隷のように惨めで骨のない日本人といわれていたが、シベリア全体から集められた資料によれば、各地の収容所で様々な抵抗運動を起こしていたことが分かる。しかし、それらの多くは、突発的なものであって、計画的あるいは組織的なものではなかったと思われる。そこで彼が最も注目するサムライたちの反乱がハバロフスク事件であった。

 アレクセイ・キリチェンコは日本人抑留者の最大のレジスタンス、ハバロフスク事件に特に触れたいとして、次のように述べる。

 「これは、総じて黙々と労働に従事してきた日本人捕虜が一斉に決起した点でソ連当局にも大きな衝撃を与えた。更に、この統一行動は十分組織化され、秘密裏に準備され、密告による情報漏れもなかった。当初ハバロフスク地方当局は威嚇や切り崩しによって地方レベルでの解決を図ったが、日本人側は断食闘争に入るなど闘争を拡大。事件はフルシチョフの元にも報告され、アリストフ党書記を団長とする政府対策委が組織された。

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2008年7月20日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(126)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

アレクセイ・キリチェンコの論文は、モスクワの国立中央古文書保管総局に保存された資料に基づくものである。

現在のロシア人が、しかも、公的立場にある重要な人物が、発掘した資料に基づいて、強制収容所の抵抗運動をどのように見ているかということは、大いに興味あることである。その主な部分を紹介したい。

「第二次世界大戦後、64万人に上る日本軍捕虜がスターリンによって旧ソ連領内へ不法護送され、共産主義建設現場で奴隷のように使役されたシベリア抑留問題は、近年ロシアでも広く知られるようになった。しかし、ロシア人は当局によって長くひた隠しにされた抑留問題の実態が明るみに出されても、誰1人驚きはしなかった。旧ソ連国民自体がスターリンによってあまりに多くの辛酸をなめ、犠牲を払ったため、シベリアのラーゲルで62,000人の日本人捕虜が死亡したと聞かされても別に驚くほどの事はなかったからだ。とはいえ、ロシア人が人間的価値観を失ったわけでは決してなく、民族の名誉にかけても日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したいと考えている。-今回ここで紹介するのは、私が同総局などの古文書保管所で資料を調査中、偶然に発見したラーゲリでの日本人抑留者の抵抗の記録である」

これは冒頭の文章であるが、その中に注目すべき部分がいくつかある。まず、抑留者の数を64万人、死者を6万2千人としている点である。これは、日本が発表している数より多いが、本来、加害者として少なく発表することが予想されるにもかかわらず、このような数字が発表されることが注目される。今後、多くの資料の整理研究が進めば、さらに正確な数字が分かるのではなかろうか。

次に、ロシア人の名誉にかけて日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したいと述べている点に、私は、驚きを覚える。日本人が最も嫌いな国、あるいは最も恐い国としてあげるのが通常ソ連である。これは、日ロ戦争という形でソ連と出合って以来のことと思われる。北極につながる酷寒の大国ということで、寒さに弱い日本人は本能的に恐怖感を抱くのかもしれない。その上に、過酷な強制抑留や北方領土の占領などが重なって信用できない理不尽な国というイメージが私たちの心の底に定着しているものと思う。奴隷のような苦しみを長い間加えられた抑留体験者やその家族の苦しみと恨みは、私たちの想像をはるかに超えるものがあろう。来日したエリツィンが、「謝罪の意を表します」と深々と頭を下げた姿には多くの日本人が注目したが、政治家の儀礼的な態度と受け止めた人も多いであろう。

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2008年7月19日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(125)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

瀬島龍三は、その回顧録で次のように述べている。「この闘争が成功したのは国際情勢の好転にも恵まれたからであり、仮にこの闘争が4,5年前に起きていたなら惨たんたる結果に終わったかもしれない」

 このハバロフスク事件は、昭和30年12月19日に発生し、ソ連の武力弾圧は、翌年3月11日のことである。この間、鳩山内閣によって、日本人収容者の運命のかかった日ソ交渉が行われていた。首相鳩山一郎が自らモスクワに乗り込んで、日ソ交渉をまとめ、日ソ共同宣言の調印が行われたのは、昭和31年10月19日のことであった。この宣言の中で、この条約が批准されたときに日本人抑留者を帰国させることになっていた。そしてこの年11月27日、条約案は、衆議院本会議を通過した。ソ連はただちに動き、最終の帰国集団、1,025人の抑留者を乗せた興安丸はナホトカを出港し、12月26日舞鶴港に入港した。

 ハバロフスク事件の責任者、石田三郎の姿もその中にあった。一足先に帰国していた瀬下龍三は、平桟橋の上で、石田三郎と抱き合って再会を喜びあった。死を覚悟して戦った日本男児石田三郎の目に祖国の山河は限りなく温かく映った。

十 シベリアのサムライたち

 最近、ハバロフスク事件をソ連の学者が取り上げて評価するという、従来考えられないようなことが起きている。その一例が、ロシア科学アカデミー東洋学研究所国際学術交流部長アレクセイ・キリチェンコの「シベリアのサムライたち」と題する論文である。

 背景として大きな政治的な変化があった。その現れとして、平成3年4月ゴルバチョフ大統領が訪日にして、日本人抑留者の死亡者名簿37,000人を手渡したこと、および、平成5年10月にはエリツィン大統領が訪日して、シベリア強制抑留の事実に対して、日本国民に対して「謝罪の意を表します」と深々と頭を下げたことなどがあげられる。

 特に、ゴルバチョフが大統領になって、新しい政策としてペレストロイカ(政治の再編・建て直し)およびグラスノスチ(情報公開)が打ち出され、新しい資料の公開が正式に可能になったことが重要である。

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2008年7月18日 (金)

「14歳バスジャック・またか」

◇怪我人は出ないで事件は落着したが社会に与えた衝撃は大きい。秋葉原の衝撃波がまだ残っている状況で今回のバスジャックが起きた。

 中2の少年は、スポーツの部活も授業も休まない普通の明るい性格で、学級委員長を務めたという。「親にしかられた、親をめちゃめちゃにしたかった」、「親に捨てられた、迷惑をかけ、恥をかかせてやりたい」などと少年が語ったと報じられている。

 少年の凶悪事件が跡を絶たない。昔は、札付きといわれた不良少年が事件を起こしたが、今日は、普通の少年がある日突然変身したように大事件を起こす。

◇先日、いわゆる、「切れる」子について議論が湧いた事があった。「食べ物が原因だ」とある人が言った。そのような事を主張する学者もいる。しかし、私は、そんな単純なものではないと思う。「食」が抱える問題は、切れる子を生み出す一因ではあろうが、決してそれだけで原因を語れるとは思わない。

 秋葉原で7人を殺害した加藤容疑者は25歳の派遣労働者であった。この時は、人を1人前に扱わない派遣労働が悪いという意見があった。

 今回の14歳の少年と共通する点は、二人とも学校で勉強に真剣に向き合った経験を持つことだ。14歳のハイジャック少年は学級委員長を務め加藤容疑者は、県内最難関の進学校に進んだ。

 二人の少年が受けた教育は、果して何だったのかと思ってしまう。少年の行動の基準として教育は無力であった。二つの事件は、教育界に大きな課題を突きつけていることは確かだろう。

◇教員の採用試験をめぐる汚職事件は、教育界の暗部をさらけ出した。教育行政に対する信頼、教師に対する信頼、更には教育そのものの土台を突き崩す事件である。

 大分県教育委員会は、不正に合格した教員の採用を取り消すと決めた。解雇される教員に責任があるといえるか疑問である。大分県教委の解決策は苦渋の判断であろうが大分県教育界に大きな傷あとを残すことになる。

◇埼玉県のスナック経営者の殺人容疑の事は記憶に新しい。この八木という男は、保険金をかけた複数の男に大量の風邪薬を飲ませ、あるいはトリカブトを飲ませて殺人を実行したという容疑をもたれ、これに3人の愛人が関与していたとされた。

スナックには連日、多くの記者が押し寄せていた。男は、記者から一人五千円とって毎日記者会見をした。その様子は見ていて下手なドラマより面白かった。

自作自演のドラマをじっと見ていたのは警察と検察であったろう。ドラマの続きは権力によって描かれた。八木容疑者は逮捕され、埼玉地裁で死刑、東京高裁も死刑、そして遂に最高裁で死刑が確定した。あの記者会見をしていたじょう舌な男が死刑台に立たされる。3人の愛人たちの有罪も確定している。劇場の一幕がおろされる。(読者に感謝)

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2008年7月17日 (木)

「都市鉱山、日本の金埋蔵量は世界一。レアメタル大館市の試み」

◇秋田県大館市のあるリサイクルの会社に電話で取材し取り組みの一端を知った。私の動機は、破棄される携帯電話等に含まれるレアメタルの利用は、本県に於いても今後の重大な課題だという思いである。

 リサイクル業者、大館市、東北大学が連携し「こでん回収試験」という事業を始めた。日本で最初の試みである。「こでん」とは、小型電子・電気機器のこと。具体的には、携帯やゲーム機など。これら小型機器の中に、レアメタル(希少金属)が含まれているが。これらはリサイクル法の対象外にあるため、リサイクルの対象にはならず廃棄されているのが現状である。

 非常にもったいない。いや、それどころか日本の産業の行方に関わる重大な問題が含まれている。レアメタルとは、その名が示すように世界的に生産量が少ない金属である。タングステン、インジウム、ネオジムなどである。これらは、半導体産業など、先端産業には不可欠のものだ。

 日本はこれまで、レアメタルを安価に輸入し、自国の産業を発展させてきたが、近年、中国、インドなど途上国の発展に伴いレアメタルの需要が増大し、その確保が困難になりつつある。

 だからレアメタルが使われている小型電子機器から取り出してリサイクルする必要が増している。大館市の試みは、小型電子機器を回収し何の物質がどの機器にいかに含まれ、それをどのように抽出するかを研究すること。私の取材は十分ではないが、わが県でも産学官が連携して取り組むべき課題であることを強く感じる。大館市ではスーパーなどの店頭に回収ボックスを置いて回収に当たっている。

◇都市鉱山という言葉が注目されている。日本の近代都市そのものが金や銀の豊かな鉱山だというのだ。国の研究機関によれば、日本の都市にある金は、世界の埋蔵量の約16%、これは南アフリカを上回り世界一、また、銀は22%に達する。都市に存在する電子機器に含まれる金属の量である。電子機器は高品位の鉱石だという人がいる。

家電リサクル法が定める対象は、テレビ、洗濯機、エアコン、冷蔵庫。これらから、銅、鉄、金、銀なども抽出することが、都市鉱山の採掘である。大館市の取り組みは、くり返しになるが、家電リサイクル法の対象外のこでん(小型電子機器)からのレアメタルの抽出である。資源の高騰と枯渇が叫ばれているが、日本の技術と発想の転換で新しい道を切り開くことが出来る。

◇激流にもまれながら世界は大きく変わりつつある。その象徴的出来事が、渋滞の緩和、走る車の量の減少である。原油の異常な高騰が車社会の限界を示し、また到来は必至と見られていた世界の食糧危機を身近なものにした。金があっても食糧を輸入出来ない時代が近づいている。日本の農業を変えねばならない。群馬の農業を変えねばならない。私は農業の再興によって赤城南麓を夢の古里に変えたいと思う。(読者に感謝)

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2008年7月16日 (水)

「ぎりぎりの忙しさの中を走る」

「ぎりぎりの忙しさの中を走る」

◇公務の間を縫って、私が立てるいくつもの企画に取り組む。私は忙しさの中に充実感を味わう。そして、立ち止まった時に淋しさや不安を覚える。

当面の主な課題は、今月のふるさと塾、8月23日の「不都合な真実」の上映会である。上映会は、各団体の後援の取り付けを得てチケット作りに取り組んでいる。会場は、市総合福祉会館の多目的ホール、午後6時30分開演の予定である。

映画の内容は、アメリカの元副大統領・ゴア氏が登場して地球の危機を訴えるもの。ゴア氏は環境活動が評価されてノーベル平和賞を得、映画はアカデミー賞を受賞した。

◇今月のふるさと塾は、鈴木貫太郎を取り上げる。敗戦記念日が近づくが、鈴木貫太郎を通して、私たち日本人にとっての最大の出来事を改めて見詰めたいと思う。

鈴木貫太郎は、父が群馬県の職員であったことから前橋市に住み、桃井小で学んだ。桃井小には今でも「正直に腹を立てずにたゆまずはげめ」という鈴木の言葉を刻んだ碑が校庭に立つ。昔は全生徒が毎日復唱したという。

鈴木は、前中(現前高)で学び、兵学校に進んだ。軍人として輝かしい功績を挙げたが、歴史上に残るものは、終戦時の内閣総理大臣としての業績である。

海外で敗戦を重ね、帝都は焼土と化したとはいえ、陸軍の本隊は健在で、中枢部は、本土決戦の意気に燃えていた。沖縄であれだけ米軍に抵抗した日本人である。本土の山野にこもって死力を尽くすなら相当の力を発揮できると多くの軍人は本気で考えていた。

御前会議では、終戦に関する議論が百出して尽きなかった。ポツダム宣言受諾の決定は昭和天皇の聖断であった。そして、その聖断を導いたのは、天皇の信任が厚い鈴木貫太郎首相の力量であった。

鈴木貫太郎こそは、日本を救った総理大臣と評価しても過大ではないかと思う。群馬県民は鈴木貫太郎をもっと重視すべきではないかと私は思う。

大澤知事となって、先日、昭和庁舎に、上州の宰相を顕彰する部屋が出来た。もちろんそれは、中曽根、福田父子、小渕の四人である。この部屋の一角に鈴木貫太郎のコーナーを設けるべきだという意見が県議会の中にある。私も賛成である。

05年(平成17年)、私は議長としてアルゼンチンを訪ね永井特命全権大使と会った時、鈴木貫太郎の事が話題になった。それは、日ロ戦争の勝利にはアルゼンチンが二隻の軍艦を日本に売ってくれた好意も影響したといわれることである。最新鋭の軍艦、日進と春日をイタリアから回航した責任者が若き日の鈴木貫太郎であった。母校の偉人の言葉を子どもたちに復唱させる事は意義のあることだが、今実現するのは難しいのだろう。

今月のふるさと塾は、夏祭りの為、日を変えて、7月28日(月)午後7時、総合福祉会館である。

(読者に感謝)★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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「ぎりぎりの忙しさの中を走る」

◇公務の間を縫って、私が立てるいくつもの企画に取り組む。私は忙しさの中に充実感を味わう。そして、立ち止まった時に淋しさや不安を覚える。

当面の主な課題は、今月のふるさと塾、8月23日の「不都合な真実」の上映会である。上映会は、各団体の後援の取り付けを得てチケット作りに取り組んでいる。会場は、市総合福祉会館の多目的ホール、午後6時30分開演の予定である。

映画の内容は、アメリカの元副大統領・ゴア氏が登場して地球の危機を訴えるもの。ゴア氏は環境活動が評価されてノーベル平和賞を得、映画はアカデミー賞を受賞した。

◇今月のふるさと塾は、鈴木貫太郎を取り上げる。敗戦記念日が近づくが、鈴木貫太郎を通して、私たち日本人にとっての最大の出来事を改めて見詰めたいと思う。

鈴木貫太郎は、父が群馬県の職員であったことから前橋市に住み、桃井小で学んだ。桃井小には今でも「正直に腹を立てずにたゆまずはげめ」という鈴木の言葉を刻んだ碑が校庭に立つ。昔は全生徒が毎日復唱したという。

鈴木は、前中(現前高)で学び、兵学校に進んだ。軍人として輝かしい功績を挙げたが、歴史上に残るものは、終戦時の内閣総理大臣としての業績である。

海外で敗戦を重ね、帝都は焼土と化したとはいえ、陸軍の本隊は健在で、中枢部は、本土決戦の意気に燃えていた。沖縄であれだけ米軍に抵抗した日本人である。本土の山野にこもって死力を尽くすなら相当の力を発揮できると多くの軍人は本気で考えていた。

御前会議では、終戦に関して議論が百出し尽きなかった。ポツダム宣言受諾の決定は昭和天皇の聖断によった。そして、その聖断を導いたのは、天皇の信任が厚い鈴木貫太郎首相の力量であった。

鈴木貫太郎こそは、日本を救った総理大臣と評価しても過大ではないかと思う。群馬県民は鈴木貫太郎をもっと重視すべきではないかと私は思う。

大澤知事となって、先日、昭和庁舎に、上州の宰相を顕彰する部屋が出来た。もちろんそれは、中曽根、福田父子、小渕の四人である。この部屋の一角に鈴木貫太郎のコーナーを設けるべきだという意見が県議会の中にある。私も賛成である。

05年(平成17年)、私は議長としてアルゼンチンを訪ね永井特命全権大使と会った時、鈴木貫太郎の事が話題になった。それは、日ロ戦争の勝利にはアルゼンチンが二隻の軍艦を日本に売ってくれた好意も影響したといわれることである。最新鋭の軍艦、日進と春日をイタリアから回航した責任者が若き日の鈴木貫太郎であった。母校の偉人の言葉を子どもたちに復唱させる事は意義のあることだが、今実現するのは難しいのだろう。(読者に感謝)

今月のふるさと塾は、夏祭りの為、日を変えて、7月28日(月)午後7時、総合福祉会館です。

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2008年7月15日 (火)

「最近の恐怖は、地震かテロかインフルか」

◇最近の地震の頻発状況は大型地震が近いことを肌で感じさせる。また、サミットの異常な警戒ぶりは不気味なテロの恐怖が現実的であることを思わせた。しかし、これらよりも、身近に迫る恐怖は新型インフルエンザであると思う。

 私は、何度も「日記」で新型インフルについて取り上げた。県は、「対策室」を設けた。しかし、県民の危機意識は極めて低い。

 洞爺湖サミットの課題として、テロ対策、アジア、アフリカの感染症対策については報じられたが、新型インフル対策については報じられていない。特に取り上げられなかったのだろう。

 関東大震災の死者は約10万人、阪神大震災では、6千人以上の死者が出た。しかし、新型インフルが発生した場合、厚労省は、17万人から64万人の死者を推計、群馬県は、死者1700人と試算している。そして、新型の発生は、時間の問題だと専門家は見ている。

 これらの数字は新型の恐ろしさを示しているが、これらの推計は低すぎるといわれる。専門家は予想される恐怖はもっと凄いものになると警告している。

 県は「1700人」の試算の根拠をアジアかぜ、ホンコンかぜ等の中程度の新型をモデルとし人口の25%が発病、死亡率を約0.3%としている。(厚労省の試算も同じである)。

 過去百年間に、新型の世界的流行は3回あった。スペインかぜ、アジアかぜ、ホンコンかぜである。注意すべき事は、これらのウイルスはすべて弱毒性であったが、今回、予想されるものは強毒性であるということ。

 現在、中国や東南アジアでトリインフルエンザの死者が続出している。これは新型インフル流行の予兆だと専門家は警告している。

 新型インフルとは、トリインフルが突然変異して、ヒトからヒトに移る状態になったもの。現在は、トリからヒトに移る段階で新型でない。

 ニワトリでは、強毒性インフルに感染すると48時間以内に100%近くが死ぬ。トリの間で強毒性インフルの流行が報告されている国は40ヵ国以上、ヒトの患者が出た国は15ヵ国。

 そういう中で、新型への変異の機が熟しつつある。新型が発生した場合の最も有効な対策は、移動制限だという。かつて、スペインかぜの時、アメリカのセントルイス市では、市長が素早く外出禁止令を出して全ての集会を禁止したため死者を最少限におさえることが出来たとされる。

 本県でも、新型発生のときは、学校などを休校し、可能なかぎりの移動制限をとらねばならないが、それは非常に難しい問題である。真剣に議論されている様子もない。行政の怠慢だが、県民の危機意識の低さが最大の課題だと思う。最近、ある研究が発表された。新型発生後に、学校閉鎖、鉄道運休、流行前のワクチン接種を実施すれば感染者数は、何もしなかった場合の三分の一になるというもの。新型インフルに関心を持とうではないか。(読者に感謝)

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2008年7月14日 (月)

「懐かしい青春の一コマ」

◇友あり遠方より来る、楽しからずや。という言葉がある。今はインターネットの時代だ。「古き友より」という件名のメールが届いた。H君である。

 私の頭の中は、直ちに少年時代にタイムスリップした。私たちは前高の夜間にいた。忘れられない思い出の一つは、H君と私を巻き込んだある事件である。それが昨日の事のように甦る。

 H君は、大規模な中学で生徒会長をした経歴を持つ優秀な男で、昼間は食品会社で働いていた。私も、昼はお菓子の製造と卸しにたずさわっていて、二人は励ましあって勉学と仕事の両立に苦闘していた。

 H君のことを生意気だと受け止めるグループがいた。定時制の一学年は色々な背景を持つ生徒がいて複雑な状況であった。

 音楽鑑賞の時、後ろで騒ぐ生徒に、H君は、「静かにしろ」と注意した。その時不穏な空気が流れた事に、近くの席にいた私は気付いた。

 音楽が終わって教室に向った。ドアを引いて足を踏み入れたとたん、H君は待ち受けたO君に殴られた、眼鏡は二つに折れ床に落ちた。傍に居た私は、何かにつき動かされたかのように変化してO君を殴り倒していた。O君は左目をおさえてうずくまっていた。この事件は、これだけで済まず後の出来事につながった。野村吉之助校長の時であった。私にも激情にもまれて生きた時代があったのだ。

 H君との思いでは尽きない。彼は大学に進み、中央の官庁に就職しかなり上までいって定年で退官し、現在は、関連の団体で活躍しているらしい。

 返信のメールに私の携帯番号を書いておいたので、最速、携帯が鳴って、「あの時のことを思えば、何でも出来るな」と話し合った。時代はもの凄く変化し、更に変化の度を増している。立ち止まって、時の流れを振り返ると人生は短い。普段の私は、人生の短さを意識せずに走っている。H君との会話は久しぶりの心の清涼剤になった。

◇朝6時半、町内の草取りがあった。毎回出るようにしている。新住民の人たちとも話しが出来るようになった。このような機会がなかったなら町の連帯感は育たない。最近小学生の子どもたちの参加が目立つのは嬉しい。

 一人の子どもが、面白いことをやっている。底が荒い目になっているプラスチックのカゴに砂と草のかたまりを入れてゆすっているのだ。大人たちは、草かきで土まで削り取っているので、子どもは、草をふるい分けているのだ。子ども達にとって有意義な体験学習の場になっている。

◇東京の運転業務にたずさわる友人と会食した。彼の話では、都内の渋滞がぐっと減っているという。車に乗る人が減り、バイク、自転車、バス、電車などの利用者が増えているとの事。ガソリンの高騰が少車社会に拍車をかけている。COの削減にも影響を与えているだろう。車社会がダイナミックに変化していることを感じた。(読者に感謝)

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2008年7月13日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(124)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

石田三郎は、日本人の誇りを支えにして貫いてきたこの長い闘争を改めて思った。こみ上げる熱いものを抑え、彼は胸を張って発言した。

 「私たちがなぜ作業拒否に出たか、そして、私たちの要求することは、中央政府に出した数多くの請願書に書いたとおりでありますが、改めて申し上げると・・・」

 「いや、主なものは、読んで承知している。改めて説明しなくもよい。いずれも、外交文書としての内容を備えている」

 石田の言葉を遮って発言したポチコフ中将の言葉には、立派な文章だと褒めている様子が言外に感じられた。

「しかし」

 とポチコフ中将は鋭い目で石田を見据え、一瞬おいて強い語気で言い放った。

 「お前たち日本人は、ロシア人は入るべからずという標札を立ててロシア人の立ち入りを拒んだ。これはソ連の領土に日本の租界をつくったことで許せないことだ」

 これは、石田が拉致されるのを阻止しようとする青年たちが、自分たちの断固とした決意を示すために収容所の建物前に立てた立札を指している。

 石田は、自分が厳しく処罰されることは初めから覚悟していたことであり、驚かなかった。ポチコフの言葉には、処罰するということが含まれているのだ。石田が黙っていると、ポチコフ中将は、今度は静かな声できいた。

 「日本人側にけがはなかったか」

 「ありませんでした。お願いがあります。私たちの要求事項は、この日のために、書面で準備しておきました。ぜひ調査して、私たちの要求を聞き入れていただきたい。このために日本人は、死を覚悟で頑張ってきました。私の命はどうなってもいい。他の日本人は、処罰しないでいただきたい」

「検討し、おって結論を出すから、待て」

会見は終わった。形の上では、ソ連の武力弾圧に屈することになったが、日本人の要求事項は、事実上ほとんど受け入れられたのであった。その中心は病人の治療体制の改善、即ち、中央の病院を拡大し、医師は、外部の圧力や干渉を受けずにその良心に基づいて治療を行うこと等が実現された。また、第一分所を保養収容所として経営し、各分所の営内生活一般に関しては日本人の自治も認められた。その他の、日本人に対する扱いも、従来と比べ驚くほど改善された。ただ、石田三郎を中心とした、闘争の指導者に対しては、禁固一年の刑が科され、彼らは別の刑務所に収容された。

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2008年7月12日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(123)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

「手を出すな、抵抗するな」

 誰かが叫ぶと、この言葉が収容所の中でこだまし合うように、あちらでもこちらでも響いた。長い間、あらゆる戦術を工夫する中で、いつも合言葉のように繰り返されたことは、暴力による抵抗をしないということであった。今、棍棒を持ったソ連兵が扉を壊してなだれこんだ行為は、支配者が権力という装いを身につけて、その実、むき出しの暴力を突きつけた姿である。暴力に対して暴力で対抗したなら、さらなる情け容赦のない冷酷な暴力を引き出すことは明らかなのだ。そうなれば、すべては水の泡になる。予期せぬ咄嗟の事態に対しても、このことは、日本人の頭に電流のように走った。

「我慢しろ、手を出すな、すべてが無駄になるぞ」

引きずり出されてゆく年配の日本人の悲痛な声が、ソ連兵の怒鳴る声の中に消えてゆく。柱やベッドにしがみつく日本人をひきはがすように抱きかかえ、追い立て、ソ連兵は、すべての日本人を建物の外に連れ出した。収容所の営庭で、今、改めて勝者と敗者が対峙していた。敗れた日本人の落胆し肩を落とした姿を見下ろすソ連兵指揮官の目には、それ見たことかという冷笑が浮かんでいた。

ソ連がこのような直接行動に出ることは、作業拒否を始めたころは常に警戒したことであるが、断食宣言後は、まずは中央政府の代表が交渉のために現われることを期待していたので、予想外のことであった。

ついに会見のときがきた。石田三郎は、ポチコフ中将の前に立っていた。中央政府から派遣されたこの将官は、あたりをはらう威厳を示してイスに腰掛けていた。石田三郎は敬礼をし、直立不動の姿勢をとって、将官の目を見つめていた。しばし緊張した沈黙の時が流れた。この人物がソ連の中央政府の代表か。そう思うと、かつて満州になだれ込んだソ連軍の暴虐、混乱の中に投げ込まれた兵士や逃げまどう民間人の姿、そして長い刑務所や収容所のさまざまな出来事が、瞬時に石田の胸によみがえった。

再び、戦いに敗れてここに立っていると思いながらも、今、ポチコフ中将を前にして、気付くことがあった。それは、中将の態度が、これまでのソ連軍のそれとはなぜか違っていることである。石田を見る目つきも奴隷を見るような軽蔑したものではないのだ。そして石田は、この時になって、はっと思い当たることがあった。それは、兵士が収容所に踏み込んだ時、白樺の棍棒を持ち、銃は使わなかったことだ。石田の胸にずしりと感じるものがあった。

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2008年7月11日 (金)

「教員汚職・不正合格と不正不合格の地獄」

◇大分県の教員汚職は信じ難い。教育委員会の幹部がわいろをもらって合格点に至らない者の点数を引き上げて合格させたというのだ。

 不正に合格させていた数は毎年15人と報じられていたが、10日のテレビは、不正合格者は合格者の半数と報じた。470人を超える受験者のうち、合格者の数は41人だった。

 不正合格者が半数という事は、合格者の枠は決まっているのだから、半数の合格点に達した者を不合格にした事を意味する。

救い難い事態が生じているのだ。不正に合格した教員が教壇に立っている。子ども達はすべての教員に疑いの目を向けるだろう。不合格とされた人たちの中には怒り心頭に発する者がいるだろう。教員試験の倍率は10倍を超える。こつこつ挑戦して10年も落ち続けている者も少なくない。このような人は、長い歳月の努力を振り返ってやり切れない思いになるに違いない。

 大分県教育委員会の今回の汚職については、県会議員の枠があったと報じられている。県会議員の1人として信じられないことだ。このような事がどこでも行われていると思われたなら、真面目に教員を目指す者はなくなり、教育の世界は崩壊してしまう。

 群馬の教育に関わってきた県会議員として私は、群馬の教育界には、大分県のような不正はないと固く信じている。

 教育界は、今、病める社会にあって、様々な難題を抱え苦闘している。解決のカギとして最も重要なものの一つは教員の質である。

 教員の採用試験は良い教師を選ぶ事を目的とする。試験のあり方につき、教育界は工夫を重ね、苦労してきた。大分県の不祥事は、日本中の教員採用試験の信頼を失わせ兼ねない出来事である。

 大分県は、徹底的に調査して、不正に合格した教員の合格を取り消し、不当に不合格とされた者は合格者と認めるべきである。

◇総務企画常任委員会の県内調査があった。(10日)。東洋大学を視察して感じたことを紹介したい。

 県が関わって平成9年に開設された板倉キャンパスも、時代の大きな波に洗われ改革を迫られている。国際地域学部は他に移り、生命科学部を充実させようとしている。

 時代の波とは少子化の事である。どこの大学でも定員割れを恐れる事態が進んでいるのだ。

 極限環境の微生物を対象とする研究室に入った。学生たちは礼儀正しく挨拶し感じがいい。私は地球外生命について関心を持っているので2人の学生に質問した。

「火星に生命があると思いますか」

「はい、必ずいると思います。水があるのですから」学生たちは即座に答えた。

「私もそう思います」私は嬉しくなって言った。宇宙には知的生命も存在するに違いない。小さな研究室は夢に満ちているようであった。宇宙に目を向ければ心も開かれる。宇宙には、新しい世界が広がっている。

(読者に感謝)

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2008年7月10日 (木)

「サミット終わる、福田さんは頑張った」

◇昨日の「日記」を読んだ若者からサミットの歴史が分かったというメールをもらった。再びポイントを挙げる。サミットは「山の頂き」という意。そこから首脳とか首脳会議の意に使われている。今はG8だが、スタート時はG6だった。Gはグループのこと。6ヵ国首脳のグループ(あつまり)である。石油ショック後の世界経済の安定を話し合うためフランスの提唱により英、仏、西独、米、伊、日の6ヵ国で始まった。来年はイタリアで開かれる。G8は、上の6ヵ国に、カナダとロシアが加わる。CO2削減で、G8と新興国とは意見の一致を見られなかった。中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカなどをサミットの正式メンバーに加えてG13にすべきだという意見が強く出されたのはそのためである。

 福田首相に対する評価はまちまちだ。20点とかCマイナスとかの厳しい見方もある。私は、よくやったと思う。近く世論調査が行われるだろうが、支持率は、かなり上がると思う。

 今回のサミット、そして、サミットの歴史を振り返って、私は、日本が世界の先進国であることを確信した。そして、先進国であることの要点は、工業だけでなく民主主義が根付いていることだ。日本の民主主義を支えるものは、日本国憲法である。これは、人間の尊重、つまり基本的人権を高く掲げる点で世界に誇るものである。自信を失っている私たち日本人は、日本の真の実力を、今、改めて見詰め、自信と誇りを持つべきである。

 日本人が最も嫌う国はロシアである。北朝鮮に至っては論外だから好き嫌いを問う以前の事である。今回のサミットでは、地球温暖化・食糧・原油の高騰が世界共通の注目される緊急のテーマであったが、拉致問題と北方領土問題も日本人が腹に据えかねる重要問題である。

 北朝鮮は犯罪国家である。国民を飢えさせている独裁政権は、いずれ、歴史の屑かごに消える運命にある。「拉致」は、主権の侵害であり、国家による略取誘拐罪である。今回、初めてサミットの首脳宣言の中に拉致の文言が盛り込まれたことは大きな成果であると思う。

私は先日、ある所で、映画「氷雪の門」を見た。日本人の娘たちが、北方領土に侵入してきたソ連軍を前にして通信の業務に最期まで取り組み命を捨てた物語である。

ロシアの新大統領との間で、懸案の北方領土問題は進展しなかった。歯舞(はぼまい)、国後(くなしり)、色丹(しこたん)択捉(えとろふ)の四島は北海道の一部だった。第二次大戦末期旧ソ連軍は、これらの島に侵入し、日本人を追い出し不法に占拠を続けている。世論の盛り上がりがポイントだが日本人は怒りを忘れてしまった。

第二次大戦における、交戦国との平和条約は、1951年サンフランシスコで、ソ連、中国などを除いて結ばれた。その後、中国との平和条約は福田赳夫内閣の時結ばれた。ソ連との間では、鳩山内閣の時、国交回復は行なわれたが、平和条約は結ばれていない。それは北方四島が返された時結ばれることになっている。(読者に感謝)

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2008年7月 9日 (水)

「サミット一色の毎日」

◇日本が議長国で7日に開幕、9日に閉幕となる。今回は、歴史的に重要な会議になるのではないか。なぜなら、地球温暖化、食糧・原油の高騰といった、現在全人類が直面する最大の課題が討議されるからだ。

 サミットとは、本来、山の頂上を意味する言葉であるが、今日、政府の首脳、首脳会議として使われる。G8とも呼ばれるのは、グループ、オブ・エイト、つまり8つの国のグループだからである。G6でスタートした。現在G13にすべきだという意見もある。

 第一回はフランスの提唱で、1975年、パリ郊外で開かれた。この時の課題は石油危機後の世界経済の安定であった。参加国は、英、仏、西独、イタリア、日本の6ヵ国で、G6であった。その後、カナダを加えてG7となり、更に、ソ連の崩壊後、ロシアを加えてG8となった。この間、2000年には、九州・沖縄サミットが行われた。

 G13にメンバーを拡大すべしという主張が主要国の中にある。それは、G8では地球的規模の問題に対応できないことを理由とする。仲間に入れるべき国とは中国、インド、ブラジルなどだ。

 今回、温暖化ガスの規制で意見がわかれるのは、インドや中国などを加えた合意づくりが必要だからである。中国は最大のCO排出国なのに、先進国と足並みをそろえようとしない。サミットのメンバーに加えれば合意づくりが進むだろうというのだ。

 サミットは主要国の首脳会議といわれる。何を基準として主要国とするか。先進工業国であるだけでなく、先進民主主義国であることも主要国の要件だとする意見も強い。この点からは中国を加えることには反対という事になる。

 日本は、最初から先進工業国であり、かつ、先進民主主義国であることに異論はない。日本が進んだ民主主義の国であると評価される要因として、日本国憲法の存在は大きいと思われる。

 今回のサミットには、アフリカの国々が招かれて参加した。アルジェリア、ナイジェリア、エチオピア、ガーナ、セネガル、南ア、タンザニアの7ヵ国である。黒い肌の人々がスーツとネクタイで身を固めている姿が印象的である。

 アフリカは人類発祥の地であるが、人々は発展から取り残され悲劇の歴史を生きてきた。多くの人々が奴隷として売られた時代があった。肌の色ゆえに受ける人種差別は今も根強い。

 今日のアフリカは、砂漠化、エイズ、食糧危機に見舞われている。今回のサミットでは、特に、アフリカの食糧危機が課題となった。G8が食糧を備蓄して価格急騰時に市場に放出する枠組みも作られる。

 今日、9日閉幕となる。空前の警備であった。反対もあった。国連に代わる大国の首脳によって世界が動かされていくというグローバリズムに対するものだ。日本の役割が大きい事を実感したサミットだった。(読者に感謝)

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2008年7月 8日 (火)

「特別委員会。市長親族企業転売の記事」(7日)

◇特別委員会は月一回のペースである。この日も、いわゆる高木市長関連の問題に午後6時迄議論が湧いた。

 7日の読売は、髙木市長の親族企業が準工業地域の土地を転売した事実を報じた。転売した土地の主要部は3.6ヘクタール、建設残土などの産廃が埋められていた土地である。これは、親族企業が取得後に商業施設も建設が可能な準工業地域に変更され、その直後に親族企業はこの土地を転売したというもの。

この問題は、7日の特別委でも別の角度から取り上げられた。親族企業とは、髙木市長の兄弟が経営するアイワである。前記の3.6ヘクは、県住宅供給公社が住宅建設の分譲地として地権者から買ったものだが、ボーリング調査の結果建設残土や廃材などが入っている最悪な土地だと分かり契約を解除していた。私たちは、この地域をC地区と称していた。Cに隣接する1.9ヘク(B地区と称す)は、地盤はしっかりしているが、ここだけの独立した利用は難しいということで、県公社は、アイワの仲介で宮田コンクリートに売却したことになっていた。読売の記事で判明したことは、BCともにアイワが単なる仲介でなく所有権を取得し、宮田コンクリート等に転売したという事実である。転売による利益は巨額であることが想像される。

特別委員会ではBの1.9ヘクが安い価格で随意契約で売られたことが追求された。疑惑がもたれているアイワ関連に対する売買は、鑑定評価を行った上で入札によるべきだったのではないかと問われたが、当局はまともな答弁が出来ない状態であった。Cは廃材などが埋められたひどい土地で、Bは細く長く形の悪い土地とされる。しかし、準工業地域に用途変更がなされ、BC一体となって価値が一変した。行政が関与する手品のような手法には大きな政治的力が働いたと想像する人は多い。このようなカラクリに県公社は結果として加担したと思われても仕方がない。公社のにえきらない答弁を聞いて闘志をかきたてた議員は私だけではないだろうと思った。

◇地元の農業委員の当選祝賀会に出た(7日)。三人の農業委員の中の一人は、農業の経験がないのでこれから学びながらやりますと不思議な事を話す。教師だったが定年後、農業を始めたという。私は農業に新しい変化が始まっているのかと思った。「農業は今、最も重要で最も困難な分野です。サミットが始まりました。地球温暖化、食糧と原油の高騰が課題となっていますが、皆、農業と結びついています」私は、こんな切り口で、日本の農業、地域の農業を守ることの大切さを挨拶の中で話した。

◇洞爺湖サミットが開幕した。アジア、アフリカの首脳も多く参加しているが、主要8カ国の中心に日本がいることの歴史的な意義は大きい。かつては白人の欧米にアジアもアフリカも支配されていた。敗戦から立ち上がったアジアの日本が、地球の危機、世界の食糧、世界のエネルギーを討議する議長国を務める。日本人は、もっと自信と誇りをもって行動すべきだと思う。(読者に感謝)

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2008年7月 7日 (月)

「群馬情報センターの開所式」(4日)

◇議会バスは朝8時に議会を発って、途中、渋滞に会い、1120分頃、センターに着いた。銀座5丁目の交差点の一角に立つビルの2Fである。大澤知事のマニフェストの目玉の一つだ。東京から群馬を発信して群馬の活性化につなげることを目的とする。坪5万、85坪、その他の費用も入れて家賃は1ヵ月約450万円。安いか高いかはこれからの利用にかかる。

 開会式は少し離れた別のビルの中で行われた。地方自治研究機構会長の石原信雄さんは「群馬県は燈台下暗しだ」と語った。東京から離れた地方の方が古里のピーアールに熱心で、東京に近い関東の各県はあまり宣伝しない、というのである。群馬の人が上京の折り立ち寄ってみるのもよいだろう。その場合にはコーヒー位、出せるようにして下さいと、職員に注文しておいた。

◇ナナを騙(まだ)す事は難しかった。思ったより賢い秋田犬であった。フェラリヤ感染は毎月の薬を怠った私の責任だから、獣医の指示に真剣に取り組んだ。初日に成虫を殺すための注射をして2週間は安静である。運動させると長い成虫が心臓の弁につかえてしまうのだという。安静期の後、微細な仔虫を殺すために毎日錠剤5つを飲ませる。これが大変だった。ナナには相当こたえるらしい。初めはソーセージに埋め込んでうまい具合に飲み込ませたが、2度目からは、横目で好物を見て顔をそらせてしまう。アンコにくるんで鼻に近づけても私を疑わしそうな目で見て顔を遠ざける。私が何かをすることを見抜いているのだ。ナナに好かれている事務員の香織さんと娘のユリが手をかえ品をかえ、おだてたり、誉めたりして大変であった。「ナナちゃん、おりこうさんね、えらいわねー」といった調子で自分でカステラを食べてみせ、ナナの頭を撫で上を向かせて口を開けたところをノドの奥を目がけて放り込むのである。やっと25錠をこなすことが出来た。私はナナの信頼を取り戻すためにしばらく時間がかかるかと思うのである。

◇ある旅行社の若者が私を訪ねた(5日)。大学で民俗学を学び、その関連で2年間ニューギニアで生活したこの若者は、私が書いた小冊子、「今見る地獄の戦場」を読んで、会いたくなったという。私がパプアニューギニアを訪れたのは平成13年のことである。若者との会話で、ラエ、ウェワク、ダンピールなど懐かしい言葉が飛び出す。

若者はマラリアに罹って人事不省におちいった体験のこと、「知恵を貸す」ことを「脳みそを食わせる」と表現するのは食人の習慣と関係あるかも知れないことなどを語った。ニューギニアでは50年程前まで人間の脳を食べる習慣があり、それが原因で狂牛病(クロイッフェルトヤコブ病)が蔓延していた。この事は私の本の中でも書かれている。地球上で人蹟不踏の秘境が少なくなった。そのことが地球の危機と歩調を合わせているようにも思える。(読者に感謝)

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2008年7月 6日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(122)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

断食闘争に耐えられない病弱者を除き、506人が断食に入った。このような多数が一致して断食行動に出ることは、収容所の歴史にも例のないことで、収容所当局は、狼狽した。彼らは態度を豹変させ、何とか食べさせようとして、なだめたりすかしたりした。しかし、日本人の意思は固く、ある者は静かに目を閉じて座し、ある者は、じっと身体を横たえて動かない。それぞれの姿からは、死の決意が伝わり、不気味な静寂は侵し難い力となってあたりをおおっていた。

 収容所の提供する食料を拒否し、乾パンを1日2回、1回に2枚をお湯に浸してのどを通す。空腹に耐えることはつらいことであるが、零下30度を超す酷寒の中の作業をはじめ、長いこと耐えてきたさまざまな辛苦を思えば我慢することができた。そして、これまでの苦労と違うことは、ソ連の強制に屈して奴隷のように耐えるのとは違って、胸を張って仲間と心を一つにして、正義の戦いに参加しているのだという誇りがあることであった。

 一週間が過ぎたころ、収容所に異質な空気がかすかに漂うのを、日本人の研ぎ澄ました神経は逃さなかった。静かな緊張が支配していた。

 3月11日午前5時、異常事態が発生した。夜明け前の収容所は、まだ闇につつまれていた。凍土の上を流れる気温は零下35度、全ての生き物の存在を許さぬような死の世界の静寂を破るただならぬ物音に、日本人は、はっと目を覚ました。人々は反射的に来るものが来たと直感した。

「敵襲」、「起床」

不寝番が絶叫する。

「ウラー、ウラー」

威かくの声とともに、すさまじい物音で扉が壊され、ソ連兵がどっとなだれ込んできた。

「ソ連邦内務次官ポチコフ中将の命令だ。日本人は、戸外に整列せよ」

入り口に立った大男がひきつった声で叫び、それを、並んで立つ通訳が、日本語で繰り返した。日本人は動かない。ソ連兵は、手に白樺の棍棒をもって、ぎらぎらと殺気立った目で、大男の後ろで身構えている。大男が手を上げてなにやら叫んだ。ソ連兵は、主人の命令を待っていた猟犬のように突進し、日本人に襲いかかった。ベッドにしがみつく日本人、腕ずくで引きずり出そうとするソ連兵、飛びかう日本人とロシア人の怒号、収容所の中は一瞬にして修羅場と化していた。

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2008年7月 5日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(121)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

闘争は膠着状態にあった。作業拒否を宣言してから2ヶ月以上が経つ。主要な戦術として実行してきた中央政府に対する請願文書の送付も、現地収容所に握りつぶされているらしい。人々の団結は固く、志気は高いが、何とかこの状態を打開しなければという危機感も高まっていた。日本人は知恵を絞った。人材には事欠かないのである。元満州国や元関東軍の中枢にいた要人が集っているのだ。

 かつて、天皇の軍隊として戦った力を、今は新たな目標に向け、また、新たな大義のために役立てているのだという思いが人々を支えていた。人々は懸命に考えた。収容所側を追い詰め、中央政府に助けを求めざるを得ない状態を作り出す手段は何か。唯一つある。それは、死を賭けた断食である。収容所の日本人全体が断食して倒れ、最悪の場合、死に至ることになれば、収容所は中央政府から責任を問われる。そういう事態を収容所は最も恐れるはずである。日本人は、全員一致して、断食闘争に参同した。密かに計画が練られ準備が進められた。

「健康で生きて祖国に帰ることがこの闘争の目的ではないか。断食をいつまでも続け自滅してしまったのでは元も子もない」

誰かが意見を出した。代表部は、このことを重要な問題として受け止めて、密かに策を立てていた。実は以前から、何事か重大事件が起きた場合に備え、こつこつと非常用の食料を蓄え、隠しておいた。祖国から送られてきた小包のもの、日頃の配られた食料の一部、小麦粉から密かに作った乾パンなどである。今や、これを密かに断食闘争に使おうというのだ。完全な断食によって、体力を消耗し尽くし、倒れてしまうことを恐れたのである。そして、断食に入った場合、相手が変化を現し、中央政府が何らかの行動を起こすのはおよそ一週間後と見通しを立てていた。

闘争代表部は、断食宣言書を作り、収容所のナジョージン少佐に渡した。

「作業拒否以来70日が経過しましたが、この間、何等誠意ある対応はみられません。ソ連邦政府の人道主義と平和政策を踏みにじろうとする地方官憲の卑劣な行為に対して我々は強い憤激の念を禁じ得ません。そこで、今、自己の生命を賭して、即ち絶食により中央からの全権派遣を請願する以外に策なきに至りました。3月2日以降、我々は断固として集団断食に入ることを宣言します。」

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2008年7月 4日 (金)

「変わる大衆薬の販売方法・コンビニでも」

◇一部の医薬品が薬剤師のいないコンビニでも販売可能になる。薬は健康回復の必需品だから簡単に入手できる方が有り難いが、事はそう単純ではない。それは、薬にはリスク(副作用)が伴うからだ。

 そこで、新制度はリスクの程度によって薬を三種類に分け、リスクが特に高いものを除いて、来年度から、一定の条件の下でコンビニやスーパーなどで販売できるようになる。その薬とは、風邪薬、解熱鎮痛剤、ビタミンB・C剤、整腸薬、消化薬など。

 条件は、これらの薬を販売出来る登録販売者を置くことである。登録販売者になるには高校卒以上の学力及び薬を扱う実務経験一年以上が受験資格として求められる。県薬務課によると受験の申し込みは821名で、今年度は締め切りになった。

◇暴力団の公営住宅使用制限の現状についてきかれた。政令市では全部、都道府県では秋田県、長野県を除く45の自治体が条例を設けるなどして暴力団員の入居制限対策をとっている。都道府県レベルでは群馬県は、広島県、福岡県に次いで三番目に暴力団の入居を制限する条例を作った。本県条例の特色は、他の都県が知事の提案によるのに対して、県議会が発議して条例を成立させた点である。

 全国の市区町村の状況はというと、暴力団に対する入居制限対策を設けている市区町村は政令市を除いて、48.7%にとどまる。本県の市町村の状況は、公営住宅を持たない富士見村、昭和村、上野村を除いた35自治体のうち、29自治体が既に暴力団の入居制限を内容とした条例改正を行い、6自治体がこのような条例案を9月議会に提出する予定である。

 従って、見通しでは、群馬県は、今年中に県下の全自治体が暴力団の入居を制限する改正条例を持つことになる。これは、平成15年の三俣町のスナックにおける暴力団の抗争事件もあって暴力団に対する市民の恐怖心が高まり、それに応えて県議会が暴力団に対して毅然とした態度を示すことを決断した事が基礎となっていると思う。安心安全なまちづくりは県政の最大の課題である。県議会は、これからも、勇気と自信をもって安全安心なまちづくりに全力を尽さねばならない。

◇洞爺湖サミットに注目したい。先日、私の後援会のバスツアーで、靖国神社、ミッドタウン、赤坂サカスを回ったとき、至る所で検問の光景を見た。サミットに対するテロの警戒である。

厳重な警戒の中、サミットは7日開幕する。ここで世界の大問題が議論される。地球温暖化、原油高、食料高騰などである。いずれも全世界の人々の明日がかかった問題で、主催者である福田首相にとって一世一代の舞台である。

洞爺湖サミットでは、日本固有の重大問題も話し合われる。拉致問題と北方領土問題である。世界中の耳目が洞爺湖畔のウィンザーホテルに集まる。歴史的な会議の行方をしっかりと見詰めたい。(読者に感謝)

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2008年7月 3日 (木)

「値上げの波は凄く、日本を変える」

◇久しぶりに妻と食事に出た。(2日)最近、彼女の頭痛の状況がいくらか好転している。妻の笑顔は最大のエネルギー源である。回転寿司がいいという。カウンターについて、目の前を動く皿を目で追いながらこれらのネタも値上げされるのかと思った。

 原油高の影響があらゆる所に波及している。漁に出られない漁船の事が報じられた。そして、いろいろな食材が高騰している。日比谷公園で弁当箱を広げて昼食をとるサラリーマンの姿をニュースで見た。「月2―3万円は節約できる」と話していた。

 食材価格の上昇は学校給食をも痛撃し、給食費の値上げを迫られる市町村が増えている。安い材料に切りかえる所も出ているといわれるが「食育」が重視される中では、コスト削減にも限界がある。本県昭和村では、市場に出せない野菜の利用を検討するとか。

 私の地元では、遊休農地、耕作放棄地が広がる。そこで野菜を作ったらと思うが、農業の形を直ぐに変えることが出来ず残念である。

◇石油の値上がりが日本の農業に変革を迫っている。現在の日本の農業は石油燃料に頼っている。ハウス栽培、温室栽培、機械化などに石油燃料を使うからだ。農産物だけでなく水産物も原油なしでは確保できない。原油は無尽蔵ではない。やがて枯渇するときが来る。枯渇に至る過程で価格はどんどん上昇する。

 石油で食料を得る時代は終わりつつあるのだ。石油の問題は環境問題と結びついていて、現代文明に変革を迫っている。石油に頼る生活スタイル、産業の形を変えなければならない。7月に始まった諸産物の値上がりは、このことを物語っている。事態の深刻さはオイルショックの比ではない。スーパーで並ぶ野菜、魚、肉が、私たちに何を訴えているかを真剣に考えるべきである。

◇私の知人は、北海道洞爺湖サミットに臨む福田首相に食料問題の安定について首脳たちと話し合うように伝えて欲しいと言ってきた。誰もが、食糧がグローバルな問題だと受け止め、危機感を募らせているのだ。

北海道洞爺湖サミットで、世界の食糧危機対策に取り組む専門家会合の創設が日本から提案され認められる見通しだという。穀物の輸出制限を控えること、備蓄穀物をどのように放出するか、穀物価格安定のための国際連携などについて、総合的に調整することが目的。飢える国と飽食の国があり、食糧が余る国も国によって状況が異なる。先進国が話し合えば食糧危機打開の道が見つかるだろう。

◇5月議会で原議員が群馬の夢を語って注目された。道州制が実現する場合、群馬は一つの州の中心として適地だから今から議論し手を上げるべきだというもの。政府は10年後に導入することを提言している。道州制によって国の役割、地方の役割が大きく変わる。それは、司馬遼太郎のいう「この国のかたち」を問う問題である。県庁内で職員による研究会が始まる。「日記」でも取り上げていきたい。(読者に感謝)

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2008年7月 2日 (水)

「青少年健全育成条例を活かす時だ」

◇最近の青少年の行動にはどうしても理解し難いものが多い。肉親を殺す、理由もなく他人を殺すなどの凶悪犯罪を犯す少年は、きまって、前科もなく普通の生活を送ってきた少年である。これらの少年の背後には同じような犯罪を犯す可能性を持った多くの若者がいるに違いない。現在の病める社会にもその原因があることは否定できない。だとすれば、社会が力を合わせて青少年を健全に育成する義務は大きいと言わねばならない。

 群馬県青少年健全育成条例の目的はここにある。社会の変化は目を見張るばかりである。青少年を育成する条例は、時代の変化に対応したものでなければ効果を上げられない。昭和36年に作られた群馬県青少年保護育成条例が大きく改正されて、群馬県青少年健全育成条例が平成19年に作られたのはそのためである。

 新しい条例は、未成年者に酒、タバコを売らないための規制、未成年者を深夜外出させない、インターネットの有害情報を青少年に閲覧させない等の親や業者の義務も定める。またこの条例は、市民が良好な地域環境をつくり青少年の健全な育成に努めるべきことを定める。

 この改正条例はタイムリーなものであり、重要な役割を担うにもかかわらず、十分に活かされていないと思う。現在、非行の入り口になっているのが未成年の酒、タバコ、正当な理由のない深夜外出である。また、インターネットの有害情報は青少年の心を蝕(むしば)んでいる。立派な条例も存在するだけでは役に立たない。警察、学校、地域社会は連携してこの条例を活かして欲しいと思う。

◇現在、小中学生に携帯電話を持たせることの是非が激しく議論されている。社会の実態が教えるところによれば、子どもたちは、携帯を持つことによりわずらわしい人間関係に縛られ苦しんでいる。この問題などは、群馬県青少年健全育成条例を支えにして地域社会が知恵をしぼるべき好例ではないか。

 また、青少年を有害なサイトから守るためにフィルタリングの義務などを定める有害サイト規制法が成立した。国の法律が出来ても地方がこれに呼応しなければ効果がない。この点でも群馬県青少年健全育成条例の役割が活かされるべきである。

 深夜のコンビニは青少年の深夜徘徊の温床だといわれる。今、コンビニの深夜営業を規制する動きが高まっているが、ここでも、青少年健全育成条例の趣旨を活かして、本県は積極的な動きをすべきではないか。

◇成人識別カード・タスポの導入を受け、たばこ業界は自販機でのタバコ販売を近く解禁する。未成年者の喫煙を防ぐため深夜の自販機販売を自粛していた。タスポは取得のわずらわしさからコンビ二でのタバコ販売が現在急増している。未成年者がコンビニでたばこを買ってしまう例は多いらしい。コンビニは現代社会の注目点なのだ。(読者に感謝)

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2008年7月 1日 (火)

「コンビニの24時間営業の規制・たばこ千円の意味」

◇コンビーニィエンスは便利という意味の英語である。語源が何かとは無関係にコンビニという言葉はすっかり定着した。日用品は何でも用が足りる誠に「便利」な存在である。

コンビニの深夜営業を規制しようという動きが広がっている。これは多くの問題点と結びついている。私が、この問題を意識するに至ったきっかけは、妻の昔の教え子でコンビニの店長をしているN君の訴えを聞いたことである。

 彼はセブンイレブンの店長である。彼は本部の方針とは違って深夜の規制に賛成である。店舗の経営者は多くがN君と同じ考えだという。

 N君が挙げる要点を紹介する。(1)ほとんどの店が深夜の時間帯は赤字である。(2)未成年の深夜徘徊及び、たばこ、酒購入の温床になっている。(3)コンビニ強盗は、深夜6時間に集中している。(4)閉店時間を設けそれに近づいたら安く見切り販売すれば廃棄食品が少なくなる、など。

 一方、24時間営業を主張する立場は、緊急避難所としての機能、深夜労働市場の提供、生活の利便性などを挙げる。

 私は、深夜規制に賛成である。それは、主に青少年の健全育成と地球温暖化防止のためである。群馬県は青少年健全育成条例を設けて子どもたちの深夜の徘徊をなくそうとしている。温暖化防止は差し迫った問題である。そのためには、市民の生活スタイルを変えなければならない。

深夜のコンビニをなくすことは、夜型の生活をなくすための象徴的意味がある。コンビニだけでなく多くの業種が深夜の数時間営業活動を停止すればエネルギー消費の削減効果は大きいに違いない。一般市民もならって生活スタイルを改めれば、トータルとしてのCO2削減効果は莫大なものになるだろう。

 群馬県は、今後、地球温暖化防止条例を作る中で、コンビニの24時間営業規制をどう盛り込むか検討する予定である。

◇私は40歳の時、妻の癌死を機にタバコを止め、以来一本も吸っていない。県議会でもタバコを吸う議員は少なくなった。それでも会議の時狭い部屋で隣の人が無神経に流す煙に困ることがよくある。漂って来る煙に怒りを込めてフッーと息を吹き付けることもある。議員は人混みでの喫煙を控えないと票が減るだろう。そういう時代になった事を強く感じる。

 近くタバコが千円になるという。タバコをやめる県会議員はいるだろうか。これまで日本のタバコは安かった。千円たばこは税の増収と禁煙効果の両面から議論されている。

 ある試算に寄れば、現在の消費量が変わらなければ、95000億円の税の増収になる。私は値上げが禁煙に結びつくことを期待した。最近若い女性と少年の喫煙が増えている。こういう層にとって一箱千円は負担だろうから禁煙に踏み切る人が増えるのではないか。ある研究では、1000円にすれば、喫煙者の9割が禁煙を考えるという。英国は1290円、フランス782円、日本300円。たばこ一箱の価格である。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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