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2008年7月 7日 (月)

「群馬情報センターの開所式」(4日)

◇議会バスは朝8時に議会を発って、途中、渋滞に会い、1120分頃、センターに着いた。銀座5丁目の交差点の一角に立つビルの2Fである。大澤知事のマニフェストの目玉の一つだ。東京から群馬を発信して群馬の活性化につなげることを目的とする。坪5万、85坪、その他の費用も入れて家賃は1ヵ月約450万円。安いか高いかはこれからの利用にかかる。

 開会式は少し離れた別のビルの中で行われた。地方自治研究機構会長の石原信雄さんは「群馬県は燈台下暗しだ」と語った。東京から離れた地方の方が古里のピーアールに熱心で、東京に近い関東の各県はあまり宣伝しない、というのである。群馬の人が上京の折り立ち寄ってみるのもよいだろう。その場合にはコーヒー位、出せるようにして下さいと、職員に注文しておいた。

◇ナナを騙(まだ)す事は難しかった。思ったより賢い秋田犬であった。フェラリヤ感染は毎月の薬を怠った私の責任だから、獣医の指示に真剣に取り組んだ。初日に成虫を殺すための注射をして2週間は安静である。運動させると長い成虫が心臓の弁につかえてしまうのだという。安静期の後、微細な仔虫を殺すために毎日錠剤5つを飲ませる。これが大変だった。ナナには相当こたえるらしい。初めはソーセージに埋め込んでうまい具合に飲み込ませたが、2度目からは、横目で好物を見て顔をそらせてしまう。アンコにくるんで鼻に近づけても私を疑わしそうな目で見て顔を遠ざける。私が何かをすることを見抜いているのだ。ナナに好かれている事務員の香織さんと娘のユリが手をかえ品をかえ、おだてたり、誉めたりして大変であった。「ナナちゃん、おりこうさんね、えらいわねー」といった調子で自分でカステラを食べてみせ、ナナの頭を撫で上を向かせて口を開けたところをノドの奥を目がけて放り込むのである。やっと25錠をこなすことが出来た。私はナナの信頼を取り戻すためにしばらく時間がかかるかと思うのである。

◇ある旅行社の若者が私を訪ねた(5日)。大学で民俗学を学び、その関連で2年間ニューギニアで生活したこの若者は、私が書いた小冊子、「今見る地獄の戦場」を読んで、会いたくなったという。私がパプアニューギニアを訪れたのは平成13年のことである。若者との会話で、ラエ、ウェワク、ダンピールなど懐かしい言葉が飛び出す。

若者はマラリアに罹って人事不省におちいった体験のこと、「知恵を貸す」ことを「脳みそを食わせる」と表現するのは食人の習慣と関係あるかも知れないことなどを語った。ニューギニアでは50年程前まで人間の脳を食べる習慣があり、それが原因で狂牛病(クロイッフェルトヤコブ病)が蔓延していた。この事は私の本の中でも書かれている。地球上で人蹟不踏の秘境が少なくなった。そのことが地球の危機と歩調を合わせているようにも思える。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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