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2008年7月21日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(127)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

 そこで、民間人である学者が、「民族の名誉にかけても日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したい」と発言していることは、ロシア人にも温かい血が流れていて、私たち日本人に対して正しい人間関係を築くためのメッセージを送る姿と受け取れて、心温まるものを感じる。

 アレクセイ・キリチェンコを動かしたものは、地獄のような環境の下でも理想と信念を捨てず、自己と祖国日本に忠実であり続けたサムライたちのドラマであった。彼は、スターリン体制に捨て身の抵抗をしたサムライの行動に新鮮な驚きを感じたのである。次の文にこのことが述べられている。

「敵の捕虜としてスターリン時代のラーゲリという地獄の生活環境に置かれながら、自らの理想と信念を捨てず、あくまで自己と祖国日本に忠実であり続けた人々がいた。―― 彼らは、自殺、脱走、ハンストなどの形で、不当なスターリン体制に抵抗を試み、収容所当局を困惑させた。様々な形態の日本人捕虜の抵抗は、ほぼすべてのラーゲリで起きており、45年秋の抑留開始から最後の抑留者が帰還する56年まで続いた」

 「(抵抗運動のことを)ソ連の公文書の形で公表するのは今回が初めてとなる。半世紀近くを経てセピア色に変色した古文書を読みながら、捕虜の身でスターリン体制に捨て身の抵抗を挑んだサムライたちのドラマは、日本研究者である私にも新鮮な驚きを与えた」

 この文から、羊のように従順で、奴隷のように惨めで骨のない日本人といわれていたが、シベリア全体から集められた資料によれば、各地の収容所で様々な抵抗運動を起こしていたことが分かる。しかし、それらの多くは、突発的なものであって、計画的あるいは組織的なものではなかったと思われる。そこで彼が最も注目するサムライたちの反乱がハバロフスク事件であった。

 アレクセイ・キリチェンコは日本人抑留者の最大のレジスタンス、ハバロフスク事件に特に触れたいとして、次のように述べる。

 「これは、総じて黙々と労働に従事してきた日本人捕虜が一斉に決起した点でソ連当局にも大きな衝撃を与えた。更に、この統一行動は十分組織化され、秘密裏に準備され、密告による情報漏れもなかった。当初ハバロフスク地方当局は威嚇や切り崩しによって地方レベルでの解決を図ったが、日本人側は断食闘争に入るなど闘争を拡大。事件はフルシチョフの元にも報告され、アリストフ党書記を団長とする政府対策委が組織された。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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