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2008年7月20日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(126)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

アレクセイ・キリチェンコの論文は、モスクワの国立中央古文書保管総局に保存された資料に基づくものである。

現在のロシア人が、しかも、公的立場にある重要な人物が、発掘した資料に基づいて、強制収容所の抵抗運動をどのように見ているかということは、大いに興味あることである。その主な部分を紹介したい。

「第二次世界大戦後、64万人に上る日本軍捕虜がスターリンによって旧ソ連領内へ不法護送され、共産主義建設現場で奴隷のように使役されたシベリア抑留問題は、近年ロシアでも広く知られるようになった。しかし、ロシア人は当局によって長くひた隠しにされた抑留問題の実態が明るみに出されても、誰1人驚きはしなかった。旧ソ連国民自体がスターリンによってあまりに多くの辛酸をなめ、犠牲を払ったため、シベリアのラーゲルで62,000人の日本人捕虜が死亡したと聞かされても別に驚くほどの事はなかったからだ。とはいえ、ロシア人が人間的価値観を失ったわけでは決してなく、民族の名誉にかけても日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したいと考えている。-今回ここで紹介するのは、私が同総局などの古文書保管所で資料を調査中、偶然に発見したラーゲリでの日本人抑留者の抵抗の記録である」

これは冒頭の文章であるが、その中に注目すべき部分がいくつかある。まず、抑留者の数を64万人、死者を6万2千人としている点である。これは、日本が発表している数より多いが、本来、加害者として少なく発表することが予想されるにもかかわらず、このような数字が発表されることが注目される。今後、多くの資料の整理研究が進めば、さらに正確な数字が分かるのではなかろうか。

次に、ロシア人の名誉にかけて日本人抑留者に対する歴史的公正を回復したいと述べている点に、私は、驚きを覚える。日本人が最も嫌いな国、あるいは最も恐い国としてあげるのが通常ソ連である。これは、日ロ戦争という形でソ連と出合って以来のことと思われる。北極につながる酷寒の大国ということで、寒さに弱い日本人は本能的に恐怖感を抱くのかもしれない。その上に、過酷な強制抑留や北方領土の占領などが重なって信用できない理不尽な国というイメージが私たちの心の底に定着しているものと思う。奴隷のような苦しみを長い間加えられた抑留体験者やその家族の苦しみと恨みは、私たちの想像をはるかに超えるものがあろう。来日したエリツィンが、「謝罪の意を表します」と深々と頭を下げた姿には多くの日本人が注目したが、政治家の儀礼的な態度と受け止めた人も多いであろう。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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