シベリア強制抑留『望郷の叫び』(123)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実
「手を出すな、抵抗するな」
誰かが叫ぶと、この言葉が収容所の中でこだまし合うように、あちらでもこちらでも響いた。長い間、あらゆる戦術を工夫する中で、いつも合言葉のように繰り返されたことは、暴力による抵抗をしないということであった。今、棍棒を持ったソ連兵が扉を壊してなだれこんだ行為は、支配者が権力という装いを身につけて、その実、むき出しの暴力を突きつけた姿である。暴力に対して暴力で対抗したなら、さらなる情け容赦のない冷酷な暴力を引き出すことは明らかなのだ。そうなれば、すべては水の泡になる。予期せぬ咄嗟の事態に対しても、このことは、日本人の頭に電流のように走った。
「我慢しろ、手を出すな、すべてが無駄になるぞ」
引きずり出されてゆく年配の日本人の悲痛な声が、ソ連兵の怒鳴る声の中に消えてゆく。柱やベッドにしがみつく日本人をひきはがすように抱きかかえ、追い立て、ソ連兵は、すべての日本人を建物の外に連れ出した。収容所の営庭で、今、改めて勝者と敗者が対峙していた。敗れた日本人の落胆し肩を落とした姿を見下ろすソ連兵指揮官の目には、それ見たことかという冷笑が浮かんでいた。
ソ連がこのような直接行動に出ることは、作業拒否を始めたころは常に警戒したことであるが、断食宣言後は、まずは中央政府の代表が交渉のために現われることを期待していたので、予想外のことであった。
ついに会見のときがきた。石田三郎は、ポチコフ中将の前に立っていた。中央政府から派遣されたこの将官は、あたりをはらう威厳を示してイスに腰掛けていた。石田三郎は敬礼をし、直立不動の姿勢をとって、将官の目を見つめていた。しばし緊張した沈黙の時が流れた。この人物がソ連の中央政府の代表か。そう思うと、かつて満州になだれ込んだソ連軍の暴虐、混乱の中に投げ込まれた兵士や逃げまどう民間人の姿、そして長い刑務所や収容所のさまざまな出来事が、瞬時に石田の胸によみがえった。
再び、戦いに敗れてここに立っていると思いながらも、今、ポチコフ中将を前にして、気付くことがあった。それは、中将の態度が、これまでのソ連軍のそれとはなぜか違っていることである。石田を見る目つきも奴隷を見るような軽蔑したものではないのだ。そして石田は、この時になって、はっと思い当たることがあった。それは、兵士が収容所に踏み込んだ時、白樺の棍棒を持ち、銃は使わなかったことだ。石田の胸にずしりと感じるものがあった。
☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。
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