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2008年7月 6日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(122)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

断食闘争に耐えられない病弱者を除き、506人が断食に入った。このような多数が一致して断食行動に出ることは、収容所の歴史にも例のないことで、収容所当局は、狼狽した。彼らは態度を豹変させ、何とか食べさせようとして、なだめたりすかしたりした。しかし、日本人の意思は固く、ある者は静かに目を閉じて座し、ある者は、じっと身体を横たえて動かない。それぞれの姿からは、死の決意が伝わり、不気味な静寂は侵し難い力となってあたりをおおっていた。

 収容所の提供する食料を拒否し、乾パンを1日2回、1回に2枚をお湯に浸してのどを通す。空腹に耐えることはつらいことであるが、零下30度を超す酷寒の中の作業をはじめ、長いこと耐えてきたさまざまな辛苦を思えば我慢することができた。そして、これまでの苦労と違うことは、ソ連の強制に屈して奴隷のように耐えるのとは違って、胸を張って仲間と心を一つにして、正義の戦いに参加しているのだという誇りがあることであった。

 一週間が過ぎたころ、収容所に異質な空気がかすかに漂うのを、日本人の研ぎ澄ました神経は逃さなかった。静かな緊張が支配していた。

 3月11日午前5時、異常事態が発生した。夜明け前の収容所は、まだ闇につつまれていた。凍土の上を流れる気温は零下35度、全ての生き物の存在を許さぬような死の世界の静寂を破るただならぬ物音に、日本人は、はっと目を覚ました。人々は反射的に来るものが来たと直感した。

「敵襲」、「起床」

不寝番が絶叫する。

「ウラー、ウラー」

威かくの声とともに、すさまじい物音で扉が壊され、ソ連兵がどっとなだれ込んできた。

「ソ連邦内務次官ポチコフ中将の命令だ。日本人は、戸外に整列せよ」

入り口に立った大男がひきつった声で叫び、それを、並んで立つ通訳が、日本語で繰り返した。日本人は動かない。ソ連兵は、手に白樺の棍棒をもって、ぎらぎらと殺気立った目で、大男の後ろで身構えている。大男が手を上げてなにやら叫んだ。ソ連兵は、主人の命令を待っていた猟犬のように突進し、日本人に襲いかかった。ベッドにしがみつく日本人、腕ずくで引きずり出そうとするソ連兵、飛びかう日本人とロシア人の怒号、収容所の中は一瞬にして修羅場と化していた。

☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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