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2008年7月 5日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(121)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

闘争は膠着状態にあった。作業拒否を宣言してから2ヶ月以上が経つ。主要な戦術として実行してきた中央政府に対する請願文書の送付も、現地収容所に握りつぶされているらしい。人々の団結は固く、志気は高いが、何とかこの状態を打開しなければという危機感も高まっていた。日本人は知恵を絞った。人材には事欠かないのである。元満州国や元関東軍の中枢にいた要人が集っているのだ。

 かつて、天皇の軍隊として戦った力を、今は新たな目標に向け、また、新たな大義のために役立てているのだという思いが人々を支えていた。人々は懸命に考えた。収容所側を追い詰め、中央政府に助けを求めざるを得ない状態を作り出す手段は何か。唯一つある。それは、死を賭けた断食である。収容所の日本人全体が断食して倒れ、最悪の場合、死に至ることになれば、収容所は中央政府から責任を問われる。そういう事態を収容所は最も恐れるはずである。日本人は、全員一致して、断食闘争に参同した。密かに計画が練られ準備が進められた。

「健康で生きて祖国に帰ることがこの闘争の目的ではないか。断食をいつまでも続け自滅してしまったのでは元も子もない」

誰かが意見を出した。代表部は、このことを重要な問題として受け止めて、密かに策を立てていた。実は以前から、何事か重大事件が起きた場合に備え、こつこつと非常用の食料を蓄え、隠しておいた。祖国から送られてきた小包のもの、日頃の配られた食料の一部、小麦粉から密かに作った乾パンなどである。今や、これを密かに断食闘争に使おうというのだ。完全な断食によって、体力を消耗し尽くし、倒れてしまうことを恐れたのである。そして、断食に入った場合、相手が変化を現し、中央政府が何らかの行動を起こすのはおよそ一週間後と見通しを立てていた。

闘争代表部は、断食宣言書を作り、収容所のナジョージン少佐に渡した。

「作業拒否以来70日が経過しましたが、この間、何等誠意ある対応はみられません。ソ連邦政府の人道主義と平和政策を踏みにじろうとする地方官憲の卑劣な行為に対して我々は強い憤激の念を禁じ得ません。そこで、今、自己の生命を賭して、即ち絶食により中央からの全権派遣を請願する以外に策なきに至りました。3月2日以降、我々は断固として集団断食に入ることを宣言します。」

☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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