« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(116)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実 | トップページ | 「知事の清明会発足・ブラジル移民百周年」 »

2008年6月16日 (月)

「また、東北で大地震、赤城南面にも大地震があった」

◇中国の四川大地震から1ヵ月が過ぎ世間の関心もやや静まったかと思ったとき、14日午前東北で大地震が起きた。私の目はテレビの画面に釘付けされた。緑の山並みがすっぽり消えて赤い土がむき出しになっている。森を走る一本の道が赤い崖の上で切れている。あの細い道を走っていた車があったとすれば車はどこへ消えたのかと思った。

 新聞は9人死亡、13人不明と報じている(16日現在)。震度は6強。マグニチュードは7.2で阪神大震災に匹敵するという。「岩手・宮城内陸地震」と命名された。

 最近、地震がやけに多い。5月におきたものを列挙すると、1日・千葉沖(4)、2日・能登沖(3)、2日・島根県(3)、3日・宮古島(3)、8日・茨城県(5弱)、そして今回の14日・東北大地震(6)( )内の数字は震度である。これらは近づく大地震の前兆なのか、不気味である。

 「だけど、群馬県は地盤がしっかりしているから大丈夫だね」地震のニュースが流れる度に、私たちのまわりからは、このような声が聞こえてくる。果してそうだろうか。自然の力を甘く見ているのではなかろうか。千年の眠りから醒めて大爆発する火山、死んだと思われていた断層から突然起きる地震、これらの例は決してなくないのだ。

 過去には、赤城山麓、上野国(こうずけのくに、今の群馬県)に大地震があった事が伝えられている。類聚国史には、弘仁九年(818年)に、上野国を中心に大きな地震があって、押し潰された人々は数えきれないほどであったこと、天皇は使を派遣して救助に当たらせたことなどが記されている。

 最近の発掘調査では、赤城山麓各地の遺跡から地震のあとが発見され、その地震は9世紀のものと推定されることから弘仁の大地震の跡ではないかといわれている。発掘調査については、平成3年に新里村教育委員会(当時)が発行した、「赤城山麓の歴史地震一弘仁九年に発生した地震とその災害一」に詳しい。昔は、地震は為政者の不徳が原因で起きると考えられた。中国では今日もそのような考えが民衆の間にあることが、今回の四川大地震に関して報じられていた。日本も中国も、現在、政治が多くの難題を抱え、政治に対する国民の不満が大きい。地震は政治に対する天罰だと想像する人は、日本にも中国にも多いかも知れない。地震は地球の叫びである。温暖化が加速し、地球の危機が叫ばれる中で、地震は地球の怒りの表現とも思える。

◇白根開善学校の理事会に出た。(14日)。全寮制のこの学校は、現在、燃料費や食材の高騰、学費未納者問題等に苦しんでいることが報告された。また、報告の中で興味をひく話があった。修学旅行で鹿児島の知覧へ行き特攻隊の記念館を訪ねたという。本吉校長の昔の恩師がここから飛び立ったのだ。遺影があり、20813日と最期の日が記されていた。終戦の2日前である。終戦は事実上決まっていたのだ。このような死が多かったのだろうと胸を痛めた。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

|

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(116)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実 | トップページ | 「知事の清明会発足・ブラジル移民百周年」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「また、東北で大地震、赤城南面にも大地震があった」:

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(116)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実 | トップページ | 「知事の清明会発足・ブラジル移民百周年」 »