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2008年6月30日 (月)

「ふるさと塾はオバマ・雨の中のツアー」

◇今月の「ふるさと塾」は「オバマとアメリカ」だった(28日)。数十枚のオバマの映像とオバマ語録を材料に使ってオバマが大統領になる事の意味を話した。母は白人、父はケニア出身の黒人。この両親はオバマが幼い頃離婚した。

 私が紹介したオバマ語録の中には次のようなものがある。「私はれっきとした黒人です。ニューヨークでタクシーをつかまえるのに苦労しますから」、「軍事力を用いて他国に民主主義を押しつけて良いという考え方について、米国はもっと謙虚な気持ちを持つべきです」、「アメリカの理想は、この国のすべての子どもが人生の目的を持つことが出来るということです」「普通の人たちが夢見る方法を忘れたのではありません。指導者たちが忘れたのです」

 初の黒人大統領が実現したら、世界はアメリカを素晴しい国だと思い、アメリカ人はそれを誇りに思い、アメリカは新しい活力を得て変化するだろう、と私は語った。

 アメリカはイギリスと戦って独立を勝ち取ったが、独立宣言の中核は、自由と平等である。平等という事は黒人も平等でなければならないことを意味する。アメリカの建国の理念からすれば、奴隷解放は必然の事であり、それを実現したのがリンカーンである。奴隷は解放されても大きな差別があった。アメリカの歴史は、黒人が一歩一歩権利を獲得する過程であったといえる。その究極の到達点が黒人大統領の実現である。オバマが大統領になることは、このような意味がある。人類の歴史が肌の色による人種偏見の歴史であった事を考えれば、黒人オバマが地上で最大の権力の座につくことは人類史上の意味をもつ。正にアメリカンドリームの象徴である。私は、ふるさと塾でこのような事を熱く語り、歴代の主な大統領にもふれた。

◇中村旅行会は、毎つき1回必ず言っている。昔は、バスを十二台位連ねて皇居見物などをしたが、今は大型バス1台である。29日は朝から雨であった。昨年来、旅行が一日中雨のことは今回が初めての事。靖国神社、柴又帝釈天、六本木のミッドタウン、アカサカサカスを回った。

 ミッドタウンの時、脱け出し、ある目的があって青山墓地へ向かった。雨の中を小走りに急いで10分ちょっとで墓地に着く。過去に二度試みたが失敗したので、今回は大体の位置を調べておいた。

 名の知れた歴史上の人物の墓がいたる所にある。それを追うだけでも楽しい。遂に発見した。雨に打たれて「忠犬ハチ公の碑」が立っていた。ハチ公が忠義を尽くした東大教授上野英三郎博士の墓の片隅にハチ公を祭る小さなお宮があった。動物の墓は認められないのであろう。ハチ公に最大の敬意を表している事が分かる。

 ハチ公は秋田犬で秋田県大館市の産だという。我が家の忠犬ナナも秋田犬で、血統証つきの名犬である。私の不注意でフィラリアにかかり、目下注射を打たれて安静中である。(読者に感謝)

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2008年6月29日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(120)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

一方、収容所側は、何とかストライキを止めさせようと、さまざまな飴と鞭の策略を使って運動の切り崩しを図った。しかし、初めは、甘く見ていた日本人の団結が信じられぬほど固いことを知り手を焼いた。

 記録によれば、闘争に参加したほとんどの人が請願書を書いた。これは、闘争に参加した日本人が、それぞれ自らの強い意思に基づいてこの闘争に参加していることを示すものである。そしてこの事実が団結の強さを支えた。

 石田三郎が、この闘争の中で、日本人の誇りを取り戻すことができたと言ったが、それは、この闘争に参加したすべての日本人が、自らの自発的意思によって、かつての軍隊においても見られなかった真の団結を獲得した喜びと興奮を示す言葉だと思う。

 日本人の団結ということについて、塩原眞資さんは、私との対談の中で、「軍隊の階級制度の厳しさの延長線にあったのか、収容所においては日本人同士の団結が生まれなかった」と語った。

 旧軍隊では、鉄の規律が軍の統制を支えるものとして重視された。これは、世界のどの軍についてもいえる当然のことであるが、旧日本軍では、絶対的な天皇を頂点に、「上官の命令は天皇の命令」ということが徹底されたため、軍の規律は冷厳を極めた。そしてこのような上下関係の濫用や悪用も多かった。それが、私的制裁であった。このようなことは、階級の下の者ほど犠牲になる。塩原さんの話の中にも、私的制裁に耐えられず自殺した者のこと、なかでも、糞の中に飛び込んで、両足を上に突き出して死んだ初年兵のことなどがあった。

 このように上からの力、あるいは、外からの力によって強制される制度の下では、真の団結は生まれるはずはない。自律的な、納得づくの心の動きこそ、真の団結を支えるものである。敗戦によって、日本人は、惨めにも心を失って、何でもソ連側の言いなりになり、奴隷のような姿になったことは、このような日本人の内なる力の欠如が原因だと私は思う。ハバロフスク事件における闘う姿は、初めて、自分の生命を守るために立ち上がった人々の生き生きとした心の表れだった。闘争が長期化してゆく中で、日本人は、ついに、最後の手段である、まさに死を賭けた断食闘争に突入する。

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2008年6月28日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(120)第5章 日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の事実

尊敬する議長閣下、私達全日本人は、閣下の考えておられる人道主義、即ち広汎な世界人民に、今、支持を受けているソ連政府の平和的政策は、決して斯くの如き内容のものでないことを深く信ずるが故に、再度、閣下の直接指示に基づく、解決のための全権を有する公正なる委員会の派遣方を衷心より請願するものであります。

 また、次のものは、万国赤十字社に宛てた山中顕夫の請願書の要点である。

請願書           1956年1月30日

万国赤十字社事務総長宛                  山中顕夫

「謹んで一書を呈します。ソ連邦ハバロフスク第16収容所の日本人全員が労働を拒否し、ソ連邦政府に対して請願運動中であります。しかし、既に1ヶ月余を経過するも何等の解決が見られません。そこで、我々は、国際的人権・博愛の象徴たる貴社に対し、我々の実状を訴え、世界人類の審判を仰ぐと共に公正なる解決のために援助を与えられんことを懇願するものであります」という文に始まり、続けて、収容所の扱いの過酷さをこまごまと訴えていく。そして、「ベリア処刑の後、一般のソ連囚人に対して、画期的待遇改善が行われたのにもかかわらず、日本人に対してはかえって過酷の度を加えています」と指摘。これは、スターリンが死に、スターリンの下で、過酷な受刑者の扱いを指摘してきた内相ベリアが政変により銃殺され、囚人に対する処遇が大きく変化したことを指す。また、「我々は、このような過酷な管理の下で、11年目に入り、平均年齢は、42.6歳となり、健康状態は、昨年春以来急激に悪化し、我々総員の過半数は完全病人又は、半病人状態となるに至ったのであります。それにも拘らず我々は、隠忍自重し、困苦極まりなき非人道的奴隷的生活に耐えてきたのでありますが、管理当局は、零下30度の酷寒の中に、80人の病人を労働に狩り出すに至り、遂に自己の生命を自ら守るために人間として最後の要求を叫ばざるを得なかったのであります。即ち今日の80名の運命は明日の我々全員の運命なのであります」

 と切実に訴える。そして、自分たちに対する処遇を改善するために力を貸してくれと請願している。

 日本人は切なる思いを込めて、このような請願を執拗にくり返した。

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2008年6月27日 (金)

「鳩山法相は死に神か」

◇鳩山法相が激怒する姿が放映された。朝日新聞の記事に抗議した記者会見の様子である。いかめしい大きな顔と身体は、私には仁王に見えるが、死刑執行と結びつけて特別の感情をもって接すれば死に神に見えるかもしれない。

 今月18日、朝日の夕刊一面の「素粒子」に次の一文が載った。「永世死刑執行人鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2ヶ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神。」

 今月17日、朝日の記事の前日、鳩山法相の命令で3人の死刑が執行された。その中には4人の幼女を殺害した宮崎勤、及び73歳の高齢者も含まれていた。鳩山法相の命令で執行された死刑は13人。歴代法相の中で際立って多いという事でマスコミも注目した。鳩山氏は「正義を実現するために粛々と執行している」と語った。

 朝日の記事は大きな反響を呼んだ。私が注目したのは、被害者の遺族の人々の抗議である。被害者側の感情からすれば、死刑の執行は正義の実現である。本来自分が復讐したいところを国が手続きを踏んで執行したのだ。「死に神」の表現は、死刑の執行は邪悪のものだと言っている。これは許せない。抗議の意味はこうだと思う。

 6月21日朝日夕刊の「素粒子」は批判、抗議を受けて次のようになった。「鳩山法相の件で1000件超の抗議をいただく。『法相は職務を全うしているだけ』『死に神とはふざけすぎ』との内容でした。法相のご苦労や被害者遺族の思いは十分認識しています。それでも、死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです。」

 今、国を挙げて「死刑」を考える時に来ている。世界の文明国の大勢は死刑廃止の方向である。この事の他に、来年からは裁判員制度が始まり、私たちは死刑判決に関わる可能性をもつ。今回の騒ぎは、死刑制度を考える格好の材料を提供することになった。

◇死刑制度のポイントを挙げる。○死刑は監獄内に於て絞首して執行する。○死刑の執行は法務大臣の命令による。○この命令は、判決確定の日から6ヶ月以内にしなければならない。○法務大臣が命じた時は五日以内に執行しなければならない。

◇憲法は残虐な刑を禁止しているが、最高裁は現在の執行方法につき残虐な刑ではないとしている。死刑が定められている犯罪は、殺人、強盗殺人、強盗強姦致死等に限られている。中国などは汚職などでも死刑が行われる。死刑制度の是非を問う主な論拠は次のようなものだ。①裁判には間違いがある。(執行後に冤罪とわかった場合、とり返しがつかない)。②犯罪抑制力(死刑を廃止すると凶悪殺人が増えるか)。③国民感情。

◇農業を目的とする会社・シンセンの懇談会(26日)。原油、食糧、飼料、肥料等全てが連動して狂騰している。一方、遊休農地は広がる。農業の危機は農業の転機。私も出資者であるこの会社を活かそうと決意した。林・農政部長の貴重なアドバイスも得た。(読者に感謝)

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2008年6月26日 (木)

「インターネットは社会の白蟻か」

◇私のある知人が「インターネットは社会の柱を食い荒らす白蟻だ、退治しないと社会が崩れてしまう」と言った。この言葉はインターネット社会の負の側面を衝いている。違法、有害情報が氾濫し社会に深刻な悪影響を与えている。容易にアクセス出来ることから青少年の心を蝕(むしば)む要因にもなっている。

 社会のモラルが全般に低下しているから、インターネット利用者の中にモラルの低い人が多いのは当然で、それに、だれが書込みをしているか分からないという匿名性が加わって無責任な情報が洪水のように流れている。このような状況がまた社会のモラルを悪くするという悪循環が続いている。何とかしなければならない。

 秋葉原の殺人事件ではインターネットに犯行の予告があった。これをまねる書込みが増えているという。秋葉原の事件の後、殺傷予告をインターネットに書き込む事件が多く18人が逮捕、補導された。書込みの内容によって業務妨害罪、威力業務妨害罪、脅迫罪などが適用され、いたずら目的であっても軽犯罪法の適用もある。殺傷の予告が特定の人に恐怖心を与えれば脅迫罪に当たるし、業務に対する妨げとなれば、威力業務妨害罪に当たる。

 警察庁は全国の警察本部に、ネットに犯罪予告を書き込むことを厳正に取り締まり、摘発例を積極的に社会に知らせるように通達した。規範意識を持たない浮ついた風潮に警告を与える効果があるだろう。本県警察の対応を見たい。

◇殺人で逮捕されないまま時効になったケースが過去5年間で241件あるという。映画や小説の世界では、時効完成直前犯人が逮捕されるなどの場面がよくある。時効が完成すれば刑罰を受けないことになる。死刑に当たる罪については15年、無期懲役に当たる罰については10年で時効が完成する。

 毎年、殺人事件は、1200件から1300件位発生している。未解決の事件は多い。だから社会の片隅で息を殺して時効の完成を待つ人がいるに違いない。時効はなぜあるのかと首をかしげる人は多い。その理由は、長期間経過すると、証拠がなくなってしまうこと。また、処罰感情が薄くなること、などである。

 死刑に当る罪から拘留など軽い罪に至るまで同じ理由で時効が説明できるのかと素朴な疑問がわく。外国には殺人に時効はない国もある。三浦和義氏がサイパンで身柄を拘束されているが米国には殺人事件に時効はない。長時間たつと証拠がなくなるという事に対しては、DNA鑑定など科学捜査が進歩し数十年たっても立証できるという意見がある。

◇「居酒屋タクシー」などという言葉が登場した。公費でタクシーに乗る官僚とタクシー業との癒着がある。福田首相は悪しき慣習、金品の授受は言語道断と語った。朝のテレビでも攻撃の第1のまとに。優秀な官僚は、崩れていく日本を支える砦だ。志を取り戻して欲しい。(読者に感謝。)

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2008年6月25日 (水)

「子どもの携帯・有害サイト規制法」

◇太田市は、小学生の携帯電話所持を原則禁止する方針を固めた。その内容は、学校での所持禁止、そして、家庭に持たせない事を求めること。県内では、前橋市教委がPTAと連名で、小中学生には携帯を持たせないでほしいとの考えを発表した。

 殺されたり誘拐されたりといった、子どもが犠牲となる犯罪が多い。そこで子どもの位地を確認出来る携帯のメリットは無視できないがマイナス面の方が重大であると思う。

 私の知人がやや興奮気味に携帯の被害を私に語った。それは小中学生の世界で携帯が窮屈な人間関係を作り出しているというのだ。例えば、先輩からメールが入って、どうして返事が遅れたのかと非難される、接触したくない人も携帯があると避けられない、つまり、子どもたちは携帯を持つことにより見えない糸によって拘束しあっていて逃れることが出来ないというのだ。

 このことをある母親に話したら、その人は、事態は深刻でその人の子どもは、24時間どこにいても嫌な先輩やクラス仲間から逃れられないという恐怖感を持っていると話してくれた。

 携帯電話は、最先端の科学技術を内蔵した魔法の小箱である。それは、とんでもない刺激的な世界、あるいは、病める現代社会の暗部とつながっている。その上に、子どもたちを縛り合う鎖だとしたら、子どもたちには荷が重過ぎることは明らかなのだから、私は、小中学生に持たせるべきでないと思う。法律をつくって禁止することは容易に実現しそうもない。県教委や議会がイニシアティブをとって世論に訴えることが有効ではなかろうか。

◇有害サイト規制法が成立した。インターネット使用から生ずる弊害はとどまるところを知らない。最近の硫化水素による自殺の多発もその一例である。

 こんな例もある。無職の男は、電子掲示板に「半殺し50万円。殺したら100万円。年内に達成なら倍額」と実父の殺害依頼を書き込みし、これを見て連絡してきた派遣会社社員に実父を殺させた(警察白書から)。

 野放しだった有害サイトを規制するのは当然である。その骨子は、青少年の健全な成長を著しく阻害するものを青少年有害情報と定義する、携帯電話会社に18歳未満へのフィルタリングサービスを義務付ける、パソコンメーカーに出荷段階のフィルタリングソフトの組み込みを義務付ける等である。

◇インターネットは世界を一変させた。瞬時に誰もが、情報を発信し受信できる。社会に有害な情報が氾欄している。インターネットを悪用した新たな手口の犯罪も多発している。新しい技術を使った犯罪に対して法律は常に後追いである。健全なインターネット社会を築くために、法の規制が必要なのは当然であるが、法律だけでは不十分である。地域社会の協力体制と知恵が必要だ。小中学生に携帯を持たせない地域の努力はその一つの見本である。地域社会が試されているといえる。(読者に感謝)

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2008年6月24日 (火)

「八ツ場ダムの現場を見る」

◇過日、八ツ場ダム推進議連が出来、私は副会長に就いた。会長は田島県議。八ツ場でヤンバと読む。大型バスで県庁を出発し八ツ場ダム広報センターに着く。ここで事業説明と意見交換が行われた。

 ダム建設関係各地区の代表が意見を述べた。その中で川原湯地区代表の人が半数を占めた事が先ず注目された。川原湯温泉が水没する事の重大さを示すものであると思った。

 ダム建設に調査着手以来50数年が過ぎた。最初は激しい反対運動があった。その中心に川原湯温泉の人々がいた。言い伝えによれば、川原湯温泉は、鎌倉時代、源頼朝が狩に来て湯に入ったのがきっかけで開かれたという。真偽はともかく古い歴史を持つ温泉なのだ。温泉組合の人たちは、早く代替地に移って生活を再建させたい、規模は小さくてもきれいな旅館にしたい、などと意見を述べていた。

 意見交換の最中、外の雨は激しさを増し、バケツの水をあけるような凄さである。そして、ドドーンと雷が轟いた。一瞬、私は浅間山の爆発を思った。天明の大爆発では大規模な泥流が吾妻渓谷を埋めて流れ下り大惨害を起こした。この時期、群馬県北部では大雨警報が出ていた事を後で知った。

 2台の小型バスに分乗して各地の工事現場を回る。雨は小降りになっていたが、吾妻川は濁流が音を立て逆巻くように流れていた。

 動くバスの中で技師の説明を聞く。雨に煙る高い山に囲まれた広大な地域が建設現場と化していた。水没地区の道路や社会施設、集落を全て移転させる。山の斜面に代替の住宅分譲地がつくられていた。代替の国道建設が進み深い谷底から橋脚が天に向って伸びている。山の中腹には新しい神社がつくられ、近くには石像群も移されていた。大規模なダムをつくるとはこういう事かと新しい発見に驚く。白砂川が吾妻渓谷に流れ込む地点の須川橋もつくりかえられようとしていた。白砂川に沿って北上すれば六合村に至る。その奥の白根改善学校に幾度となく通った事が思い出された。

総工費4,600億円、そのうち、ダム本体にかける費用は10分の1弱という。ダムの水面の標高は586m、水深はダム附近で100mとなる。高所に移転する河原湯温泉には湯を導管で汲み上げる。東電の送電線は地下に埋め、高い鉄塔は姿を消す。巨大ダムの目的は利水と治水である。下流の430万人の水需要に応えるのが利水。100年に一度の洪水に備えるのが治水である。

地球が狂いだした現在、100年に一度の洪水は明日起きるかも分からない。増水して盛り上るようにして流れる吾妻川の濁流を見ながら私は思った。昔の巨大事業はピラミッドも万里の長城も何十万人もの人の手で行われたが21世紀の巨大土木事業は、技術と機械で行われている。大きなクレーンとトラックが慌しそうに動いていた。(読者に感謝)

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2008年6月23日 (月)

「ダーウィン展を見る。夜の秋葉原を歩く。22日」

◇国立科学博物館の「ダーウィン展」は、22日が最後だった。かねて興味をもっていた「ダーウィン」を資料に基づいて体系的に学べる機会と思って足を運んだ。日曜日という事もあって家族連れでにぎわっていた。

ダーウィンがビーグル号に乗ってガラパゴス島を訪ね種の進化の証拠を見つける話は有名である。「種の起源」が出版されるとイギリスでは凄い反響を呼び一日で売り切れたという。ダーウィンの学説は、人間も霊長類から進化したもの、そして、その霊長類は更に遠い祖先から進化したというもので、それは、神が万物を創造したものという聖書の教えに反するものであった。宗教と科学の関係は永遠のテーマである。今日でもキリスト教徒の中には創造説を信じている人が少なからずいる。そして、高名な科学者で進化の過程を神が導いているという説を唱える人もいる。久しぶりに広い大きな気分にひたることが出来た。

 小学校の低学年と思える女の子が、熱心にスケッチをしたりメモを取ったりしている姿を見た。ダーウィンの生涯の物語は彼の壮大な「進化論」と共に子どもたちの心に夢と感動を与えたに違いない。

 ◇学生時代の友人達に会った(22日)。実は上京の主目的は彼らに会うことであった。その中に弁護士のS君がいた。東大から大蔵省に入り順調に出世街道を走っていたが、ある時、すすめられて衆院選に出て失敗した。在学中に司法試験に合格していたので、研修生となり銀座で弁護士を開業した。非常に優秀な男である。私はS君と色々な議論をした。その中に、県政の重要問題もあり、貴重な示唆を受けた。

◇秋葉原の惨劇の現場を歩いた(22日)。夜のまちは、雨に打たれ人影もまばらで静かだった。巨大なビルの陰に魔物が潜むような不気味さを感じる。このあたりかと歩行者天国の狂騒を想像した。歩道の隅にひっそりと花が置かれていた。大きな交差点の近くには白い祭壇がつくられコーラやジュースなどの飲み物が沢山捧げられていた。悪夢は現実だった事を静かに語る光景に見えた。日本の若者文化を象徴するまちで、病める日本を象徴するような事件が起きたことを改めて思った。

◇先日の「日記」で、県庁舎最上階で抱いた感想を書いた。眼下の公共施設の屋上を太陽光の発電所にしたらというもの。多くの人から賛成の声が届いた。学校の屋上も発電所にという声もあった。

日本は、CO2の大幅な削減を世界に約束している。官民一体となってクリーンなエネルギーをつくらねばならないが行政は、まず手本を示すべきである。

経済産業省は、太陽光発電を本格的に普及させるため、家庭向けに補助金制度や優遇税制を検討するという。また、住宅用発電システムの価格を近く半額にすること、及び新築持ち家住宅の7割以上が太陽光発電を採用しなければならないこと、などの目標を掲げた。私が関わるNPOは、823日、「不都合な真実」映写会を行う。ゴアが語る地球の危機を受け止めるためだ。(読者に感謝)

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2008年6月22日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(118)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

8 請願運動の実態 石田三郎を中心とする日本人は、知恵をしぼり、あらゆる手段を尽くして闘った。しかしソ連側もしたたかで、戦いは長期化していった。闘争手段の主たるものは、中央政府に請願書を出す運動であり、これに多くの精力が傾注された。代表名で多くの請願書が書かれ、また、各個人が精魂込めて文章を書いた。そのために、密かに用意した大量の紙がすべて使い果されるに至った。しかし、これらの請願書は、中央に届けられることなく、握りつぶされていたことが後に分かるのである。 ここで、請願闘争の実態を知るために代表名と個人名の請願書の中から各一例ずつ、その要点を示して紹介する。 請願書     1956年1月30日 ウォロシーロフ宛                    石田 三郎 尊敬する議長閣下、現地機関は、事件発生後1ヵ月以上を経過しているにも拘らず、私達に対して依然として不当な扱いを継続しております。収容所当局の非人道的取扱いに端を発しているこの事件の最中に重病患者2名が遂に死去するに至りました。そのうちの1人は、希望食として、タマゴとリンゴを求めており何回となく、日本人病院関係者及び看護人から請願しても認められず、ハバロフスク地方内務省長官の巡視時に直接請願することにより、その命令によって初めて死の直前に与えられました。しかし、時遅く、効果なく死去するに至りました。 更にもう1人は、やはり、唯一の摂取可能食物としてタマゴとリンゴを求めましたが、希望は実現せず死去に至りました。賢明なる閣下には、この小さなことがらの中から、管理機関の取扱い態度の一端を知って戴けると思います。即ち、これを拡大したものが、労働、衣糧生活その他全般にわたって、管理の中で行われてきたのであります。そして、この悪質な管理の諸事実の集積が我々の生命を脅かすに至り、今回の問題となって爆発したのであります。そして、私たち全日本人は、全員が死を決意してこの運動のために結束せねばならなかったのであります。私達は、貴国における軍事俘虜でありますが、私達も矢張り人間であります。私達は、人間としての極く普通の取扱いを請願しているのであります。それを現地官憲が最も卑劣な手段で、しかも威嚇的恐喝的手段で圧殺せんと企図する行為は、果して正しいものでしょうか。 ☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年6月21日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(117)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

収容所側は、この空気を憂慮して、ついに浅原グループを全く分離する方針をとるに至った。しかし、このような対立のしこりは消えることなく、後に、帰国船興安丸の船上で、青年たちは、浅原たちを本気で海に投げ込もうとしたほど、根深いものであった。これは、別に取り上げる「民主運動」なるものが、いかに日本人の心を傷つけたかを物語るものであった。

7 日本人を「意気地なし」と軽蔑した外国人

 日本人が結束して闘う姿は、同じ収容所の外国人を驚かせた。ハバロフスクには、中国人、朝鮮人、蒙古人がかなりの数、収容されていたが、彼らの代表がある時、闘う日本人を訪ねて共闘を申し込み、こう発言したという。

 「私たちは、これまで、日本人は何と意気地がないのかと思っていました。日本に帰りたいばかりに、何でもソ連の言いなりになっている。それだけでなく、ソ連にこびたり、へつらったりしている。情けないことだと思いました。これが、かつて、私たちの上に立って支配していた民族か、これが日本人の本性かと、実は、軽蔑していました。ところが、この度の一糸乱れぬ見事な闘いぶりを見て、私たちが誤っていた。やはりこれが真実の日本人だと思いました。私たちもできるだけの応援をしたい」

 石田三郎たちは、この言葉に感激した。そして、これまでの自分たちが軽蔑されるのは当然だと思った。ソ同盟万歳を叫び、赤旗を振って労働歌を歌い、スターリン元師に対して感謝状を書くといった同胞のこれまでの姿を、石田三郎は改めて思い返し、日本人収容者全体の問題として恥じた。

 いくつもの抑留者の手記で述べられていることであるが、戦いに敗れて、同じように強制労働に服していたドイツ人は、収容所側の不当な扱いには、毅然とした態度をとったという。また、ある手記によれば、メーデーの日に、日本人が赤旗を先頭に立てて祝賀行進していると1人のドイツ人捕虜の若者が、その赤旗を奪いとって地上に投げ、「日本の国旗は赤旗なのか」と怒鳴った。この若者は、同じようにソ連から理不尽な扱いを受けている仲間として日本人が、共通の敵に対して尾を振るような姿を許せなかったのであろう。

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2008年6月20日 (金)

「終戦2日前に突撃した特攻隊員の話」

13日の「日記」で本吉開善学校長の恩師のことを書いたら「詳しく書いて」というコメントがあった。この隊員は、専修大学卒で名前は、上大迫克己(かみおおさこかつみ)。隊名は第3次流星隊、機種は艦上攻撃機「流星」、戦死年月日は、昭和20813日、戦死場所は「本邦東方」とされる。25歳で東の空に流れ星のように散ったのだ。

 私は、この文を書くために白根開善学校へ電話した。本吉さんの話によると、鹿児島の小学2年のとき防空壕を掘っていたら、穴の上に立った上大迫さんが、「これで会えなくなる」と話したという。戦死の2週間前のことだった。文学好きの青年でいろいろな話をしてくれたという。私は、知覧から飛び立ったと書いたがそれは間違いで、出撃基地は木更津だった。特攻姿の写真は知覧の記念館にあった。

◇昭和208月上旬の終戦をめぐる状況を書く。無条件降伏を内容とするポツダム宣言は前月726日に発せられていた。連合国は決断を迫るように86日広島市に原爆を投下した。一発の爆弾で広島全市は壊滅状態になった。これを知った天皇は、8日朝、「これ以上戦争を続けることは不可能である。なるべく速やかに戦争を終結するよう努力せよ」と指示。9日、ソ連が参戦、そして、この日長崎に2発目の原爆が投下された。

 9日夜、後前会議は紛糾するが、天皇の誓断によってポツダム宣言受諾となった。この時点で終戦は事実上決定されたといえる。天皇がマイクの前に立って国民に終戦を伝えたいわゆる玉音放送が815日になったのは次の理由による。9日夜のポ宣言受諾は、天皇の地位に変更がないことを条件とした通告であったため、連合国に認められなかった。そこで再度の聖断が14日午前に下され、無条件の降伏を受け入れる事になった。

◇それにしても813日の上大迫氏の出撃は悲しい出来事である。各地の戦場では、この時点で激しい戦闘が繰り広げられ多くの若者の命が散っていたのである。捨てなくもよい貴重な命であった。戦争とは非情なものなのである。今年も八月が近づく。

◇自殺者が10年連続で3万人を超えた。人口10万人当りの自殺率は、日本はロシアに次いで世界2位。豊かな国日本の異常な姿である。昨年の自殺者は33,093人である。ひっそりと死んでいくから目立たないが、これだけの人が一ヶ所で死んだとすれば想像を絶する光景だろう。60歳以上の高齢者と30歳代が過去最高だったことは、日本の社会の特色を反映していると思う。若者の自殺が多いことは社会を支える活力が失われていくことを示すものだ。また、若者に夢を与えられない社会の在り方が問われている。自殺の未遂や予備軍は非情に多いに違いない。こういう人は何か安易な手段があれば、自殺に走る。硫化水素による自殺が今年5ヶ月で517人にのぼった。自殺は地域が取り組む課題である。最多だった秋田県は努力して減らし、かわって全国最多は山梨県となった。群馬県は、昨年590人で全国17位であった。(読者に感謝)

13日の日記で稲山副知事の年齢を53歳と書いた。49歳の間違いであった。》

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2008年6月19日 (木)

「ナナがフィラリアに感染した」

◇ナナは秋田犬の雌で8歳である。すっかり家族の一員となっている。私が帰ると足音で分かるらしく鳴く。人なつこい犬で、人の側が好きだ。事務所の話し声が聞こえるとそこへ連れて行けとしきりに呼ぶ。娘のゆりが耳をのぞいて驚いて声をあげた。何かいるらしいというのだ。私が耳の裏を返してよく見ると小豆粒位のものがへばりついている。ピンセットでえぐるようにして取り出すと小さな足が動いている。奥にはまだいるらしい。何匹かとったが大変だというので、近くの獣医に見せた。ダニの一種とか。背筋に薬液をたらした。これで耳の奥の小動物は完全に死ぬらしい。

 やれやれとしたのも束の間、血をとって顕微鏡で見ていた獣医師が「あっ、かかっている」と叫ぶ。「えっ」と声を上げて、私は顕微鏡と通じた拡大画面を見た。何かが動いている。フィラリアの感染と説明された。しまったと思った。定期的に薬を飲ませる予防薬を飲ませなかったのだ。治療は厳しいという。私はナナを助ける決心をした。今日(19日)、午前と午後に注射をする。これで成虫を殺す治療を続ける。獣医の前でナナが不安そうな目で私を見上げていた。

 フィラリアは蚊からうつる線虫類で犬の血液1ccの中に何百と蠢(うごめ)いている。感染後の6ヶ月でオスなら20cm、メスなら30cmの成虫になって動脈から心臓にそして大静脈へとあふれていくという。ナナが手遅れになっていないようにと祈った。

◇ラジオのニュースにおやと耳を傾けた。ノルウェーで同性同志の結婚を認める法律が可決されたというのだ。夫婦としての法的地位を法律で保証するというもので、人工授精、養子縁組によって子どもを持つことも認められるという。子どもは、同性の親をもつことに戸惑うのではないか。私の事務所で話したら日本ならいじめられると事務員が言った。アメリカではマサチューセッツ州が同性の結婚届を認める。同性婚は、04年の米大統領選の焦点の1つになった。ブッシュは、同性婚を否定し、結婚は男女の組み合わせによるものと主張。ブッシュに勝利をもたらす大きな要因になったとされる。私たちの結婚観、論理観からは遠く離れた問題と思えるが、人間とは不思議な存在だという事を考える材料ではある。

◇新型インフルエンザについて国は対応策の法的整備を進めている。その中に国外で日本人が感染した場合に帰国を禁止する措置がある。しかし、感染者の帰国はあり得る。国は、一人の感染した日本人が帰国した場合、二週間で全国に広がり36万人の感染者が出るというシミュレーションをまとめた。県も対策室を設けて対応を研究している。最近強毒性の鳥インフルエンザによる鳥の死が日本でも確認され始めている。新型は、鳥インフルエンザが突然変異して人から人に移るもの。個人の対応策が迫られる段階になっている。(読者に感謝)

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2008年6月18日 (水)

「衝撃の幼女連続殺人犯の死刑執行(17日)」

事件発生から20年がたった。その間に様々な衝撃的な事件があったが宮崎勤の名は忘れられない。犯罪史上に残る異常な事件だった。88(昭和63)から89年にかけて4人の幼女が殺害された。宮崎は、最初の犠牲者の両手を切断して食べた。遺体にワイセツ行為をするビデオを作成した。手に先天性の障害を持つことが負い目になって成人女性に近づけなかった。マスコミは過熱気味で、おたく、ロリコン、ホラーマニアと報じた。ロリコン暴力、ホラーなどのビデオ6千巻で埋め尽くされた部屋で遺体を切断した。印刷工場経営の父親は、宮崎逮捕後自殺。犯行当時、25歳の若者は45歳でこの世を去った。

 常軌をはるかに超えた宮崎の性格は正常ではない。責任能力がない場合なら無罪となる。東京地裁は判決を下すまでに7年をかけた。こんなにも長い年月をかけた主な理由は、責任能力の有無を調べる精神鑑定を2度に渡って行ったからだ。鑑定の結果は分かれたが東京地裁は責任能力を認める鑑定を採用して死刑の判決を下した。二審の東京高裁も責任能力を認めた。注目の最高裁は、「被告に責任能力があるとした一審、二審の判決は正当として是認できる。自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。酌量の余地はない」とし、宮崎の死刑は確定したのである。2006117日のことである。そして2年後に死刑が執行された。

 この日、鳩山法相の命令により宮崎の他に2人の死刑が執行された。1人は73歳の死刑囚であった。鳩山法相の命令で執行された死刑は13人である。歴代の法相の中で際立って多い。法相は、「正義を実現するために粛々と執行している」と発言した。

 恐らく多くの人が宮崎の死刑に賛成することだろう。国民の感情論だけで死刑制度を存続させてよいか否かが問われる時代になった。ある中学の女の子が、国が人を殺すことは許されないといった。これは重い意味のある言葉なのである。

来年裁判員制度が始まる。宮崎勤の事件で東京地裁は7年もかけた。鑑定が2度行われ、その結論は分かれた。死刑という極刑の決定に関わるという重圧感と共に、このような長く難しい刑事事件に、普通の市民が付き合うことは困難だ。だからといって、被告の人権を考えれば、手続きを簡単にするにも限度がある。

環境団体の創立20周年記念式典に出た。ある国会議員が3つの危機を訴えていた。資源の枯渇(だから循環型社会に)、地球温暖化(だから低炭素社会に)、生態系の危機(絶滅種が増えている)。これらの3つは相互に結びついている。「低炭素って」と近くの人の声が聞こえた。炭素Cは、二酸化炭素CO2の原因となり、これが温暖化の主因となっているのだ。県関係では、ブラジルに発った知事にかわって副知事が挨拶した。(読者に感謝)

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2008年6月17日 (火)

「知事の清明会発足・ブラジル移民百周年」

◇大澤知事の政治活動を支える政治団体「清明会」の設立総会が開かれた(16日)。大澤知事は、かねて計画していたこの会を済ませ、翌17日、ブラジル移民百周年に向けて日本を発つ予定である。

 全会一致で役員の承認がなされ、大澤知事が登壇して挨拶した。知事に就任して間もなく一年になるが大澤さんはこの間に大きく変わったと思う。地位と環境が人をつくるといわれる。知事としての自信も態度に現われていた。演説は総合力の現われである。知事選の頃と比べて格段にうまくなった。国と県と市町村の連携を密にする中で、市町村に重点を置いた県政を進める、群馬のポテンシャル(可能性)は大きい、それを皆と力を合わせて実現させたいと力強く抱負を語った。

 前知事に近かった人たちも主な顔ぶれは参加し、その中の何人かは登壇して挨拶した。

変わり身が早いと評する声も聞かれるが、私は、これも民主主義の特色の一つだと思う。

初めは支持しなかったことも状況の変化、新しい動きを見てこれは良いと思えば支持に変えることは普通の選択の姿である。目的は一つ、良い県政をつくることなのだから。

 役員の代表として登壇した松沢さんは、命をかけて大澤知事を誕生させた金子泰造さんに線香を上げてきたと挨拶の中で触れていた。南波幹事長が挨拶するのを見て、市長選出馬のため県議及び幹事長職を辞した金子泰造さんの在りし日の姿を想像した。

◇私は平成17年に議長として南米各地の県人会を訪ねた。日本移民が一番多いブラジルでは県人会60周年に参加した。あの時は、小寺知事は自ら訪問する強い意志があったらしいがかなわず、代理に後藤出納長が私と同行した。県政における対立を忘れ2人で歌をうたった事もあった。

 今回は南米移民百周年記念式典への参加である。首長では、大澤知事、髙木市長等が参加するが、民間の移民関係者も多く参加する。移民といえば、人は直ぐにブラジルを連想する。それ程ブラジルへは日本人の移民が多く渡りその歴史も長い。第一回は1908年(明治41年)、日ロ戦争の3年後の事である。資料館を訪ねて奴隷のような生活をした初期移民の苦労を知った。

移民一世の人々は皆高齢期を迎え数も少なくなっている。2世3世の人たちは日本人としての自覚も少なく日系移民の社会は大きな転機を迎えている。しかし、日系移民の役割は極めて重要で資源大国ブラジルと日本との絆の役目は今後ますます大きくなるバイオ作物が騒がれているが、ブラジルは、世界最大のサトウキビ生産国である。

大河アマゾンのほとりに群馬の森がある。県会議員が中心になって県民から金を集めて取得した広大な森の在り方も変わろうとしている。「子ども緑の大使」は廃止される。群馬の森の運営も国に移すことも含め検討される。地球環境を守るためのシンボルでもある「アマゾン群馬の森」の在り方は県民全体で真剣に考えるべきだ。(読者に感謝)

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2008年6月16日 (月)

「また、東北で大地震、赤城南面にも大地震があった」

◇中国の四川大地震から1ヵ月が過ぎ世間の関心もやや静まったかと思ったとき、14日午前東北で大地震が起きた。私の目はテレビの画面に釘付けされた。緑の山並みがすっぽり消えて赤い土がむき出しになっている。森を走る一本の道が赤い崖の上で切れている。あの細い道を走っていた車があったとすれば車はどこへ消えたのかと思った。

 新聞は9人死亡、13人不明と報じている(16日現在)。震度は6強。マグニチュードは7.2で阪神大震災に匹敵するという。「岩手・宮城内陸地震」と命名された。

 最近、地震がやけに多い。5月におきたものを列挙すると、1日・千葉沖(4)、2日・能登沖(3)、2日・島根県(3)、3日・宮古島(3)、8日・茨城県(5弱)、そして今回の14日・東北大地震(6)( )内の数字は震度である。これらは近づく大地震の前兆なのか、不気味である。

 「だけど、群馬県は地盤がしっかりしているから大丈夫だね」地震のニュースが流れる度に、私たちのまわりからは、このような声が聞こえてくる。果してそうだろうか。自然の力を甘く見ているのではなかろうか。千年の眠りから醒めて大爆発する火山、死んだと思われていた断層から突然起きる地震、これらの例は決してなくないのだ。

 過去には、赤城山麓、上野国(こうずけのくに、今の群馬県)に大地震があった事が伝えられている。類聚国史には、弘仁九年(818年)に、上野国を中心に大きな地震があって、押し潰された人々は数えきれないほどであったこと、天皇は使を派遣して救助に当たらせたことなどが記されている。

 最近の発掘調査では、赤城山麓各地の遺跡から地震のあとが発見され、その地震は9世紀のものと推定されることから弘仁の大地震の跡ではないかといわれている。発掘調査については、平成3年に新里村教育委員会(当時)が発行した、「赤城山麓の歴史地震一弘仁九年に発生した地震とその災害一」に詳しい。昔は、地震は為政者の不徳が原因で起きると考えられた。中国では今日もそのような考えが民衆の間にあることが、今回の四川大地震に関して報じられていた。日本も中国も、現在、政治が多くの難題を抱え、政治に対する国民の不満が大きい。地震は政治に対する天罰だと想像する人は、日本にも中国にも多いかも知れない。地震は地球の叫びである。温暖化が加速し、地球の危機が叫ばれる中で、地震は地球の怒りの表現とも思える。

◇白根開善学校の理事会に出た。(14日)。全寮制のこの学校は、現在、燃料費や食材の高騰、学費未納者問題等に苦しんでいることが報告された。また、報告の中で興味をひく話があった。修学旅行で鹿児島の知覧へ行き特攻隊の記念館を訪ねたという。本吉校長の昔の恩師がここから飛び立ったのだ。遺影があり、20813日と最期の日が記されていた。終戦の2日前である。終戦は事実上決まっていたのだ。このような死が多かったのだろうと胸を痛めた。(読者に感謝)

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2008年6月15日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(116)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

人々は、故郷の妻や子、父母や山河を思って歌った。人々の頬には涙が流れていた。轟く歌声は、人々の心を一層動かし、歌声は泣き声となって凍土に響いた。苦しい抑留生活が長く続くなかで、今、時は止まり、別世界の空間が人々を包んでいた。

長い収容所の生活の中で、国歌を歌うことは初めてのことであった。「民主運動」の嵐の中では、国詩も日の丸も反動のシンボルであり、歌ったり貼ったりすることは、まったく不可能なことであった。「民主運動」の中では、祖国は、日本ではなくソ連でなければならなかった。「共産主義の元祖ソ同盟こそ、理想の国であり、資本主義の支配する日本は変えねばならない。だからソ同盟こそ祖国なのだ」と教えられた。多くの日本人は、不本意ながらも、民主教育の理解が進んだことを認められて、すこしでも早く帰国したいばかりに表面を装って生きてきた。収容所では、表面だけ赤化したことを、密かに赤大根と言ったという。心ある者は、このようなことを卑屈なこととして、後ろめたく思っていた。中には自分は日本人ではなくなってしまったと自虐の念に苦しんでいる者もいた。

ところが図らずも今度の事件が発生し、一致団結して収容所当局と対決すことになり、日本人としての自覚が高まり、日本人としての誇りが蘇ってきた。

 この湧き上がる新たな力によって、「民主運動」のリーダーで、シベリアの天皇として恐れられた浅原一派は、はじき出され、彼らは、今や、恐怖の存在ではなくなっていた。このような中で迎えた正月であり、その中での国歌・君が代の斉唱であり、日の丸であった。石田三郎が、「日本人となり得た」とか、民族の魂を回復し得たということも、このようにして理解できるのである。

 ところで、浅原正基を中心とする「民主主義」のグループは、もとより作業拒否の闘争には加わらなかったが、同じ収容所の中の一角で生活していた。彼らは勢力を失ってはいたが、依然として水と油の関係であり、闘争が長びき、作業拒否組の意識が激化してゆくにつれ、この関係は次第に険悪になっていった。特に、彼らを通じて収容所側に情報が漏れてゆくことが、人々を苛立たせ、怒りをつのらせた。そして、状況は緊迫しいつ爆発するかもしれぬ状態になった。血気の青年防衛隊は、このままでは、闘争も失敗する、浅原グループを叩き出すべきだと代表に迫った。

「いかなることがあっても、浅原グループに手を加えてはならない。それは、ソ連側の実力行使の口実となり、我々の首をしめる結果になる」と、逸る青年を代表部は必死に抑えた。

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2008年6月14日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(115)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

人々がこのように、純粋な気持ちで涙を流すことは祖国を離れて以来初めてのことであった。外の力で動くのではなく、内なる力に衝き動かされ、その結果、人間として一番大切な生命をかけることになった。そのことによって、奴隷としての自分を解放し、日本人としての誇りを仲間と共感するという喜びであった。

この青年隊は、その後、大きな役割を果した。闘争は、予想に反して長引いたので、若者の行動力を必要とすることがいろいろ生じたのである。また、ソ連側に、軽々しく武力弾圧に踏み切ることを控えさせるために、決死の青年隊の存在は大きな意味があったと思われる。

六 感激の正月を迎えて・浅原グループとの対決

 石田三郎たちは、ソ連に連行されてから11回目の正月を、闘争の中で迎えた。打開策も見つからず、闘争の行方については大きな不安があったが、今までの正月にはない活気があふれ、収容所の日本人は大きな喜びに浸っていた。

 正月づくりに取り組む日本人の表情は明るかった。日本の正月の姿を少しでもここシベリア収容所の中に実現しようとして、人々は、前日から建物の周りの雪をどけ、施設の中は、特別に清掃された。器用な人は、門松やお飾りやしめ縄まで、代用の材料を見つけてきて工夫した。各部屋には、紙に描かれた日の丸も貼られた。懐かしい日の丸は、人々の心をうきうきさせた。作業に取り組む日本人の後ろ姿は、どこか、日本の家庭で家族のためにサービスするお父さんを思わせるものがあった。それは、自らの心に従って行動する人間の自然の姿であった。

 石田三郎は、『無抵抗の抵抗』の中で、ソ連に連行されてから、この正月ほど心から喜び、日本人としての正月を祝ったことはなかった、それは、本来の日本人になり得たという、また、民族の魂を回復し得たという喜びであった、と述べている。

 元日の早朝、日本人は建物の外に出て整列した。白樺の林は雪で覆われ、林のかなたから昇り始めた太陽が、樹間を通して幾筋もの陽光を投げていた。人々は、東南に向かってしばらく頭を下げやがて静かに上げると、歌いだした。

「君が代は、千代に八千代に・・・」

 歌声は次第に高まり凍った白樺の木々を揺るがすように広がってゆく。

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2008年6月13日 (金)

5月定例会終わる(12日)

◇6月議会が終わった。各委員会で審議された結果について委員長報告がなされ、採決がなされた。県政の重要課題については、これから折に触れ取り上げて紹介したい。

 この日、知事の追加議案上程があった。副知事選任の件である。大沢知事になって2人の副知事が設けられていたが佐々木淳氏が6月11日に退職したので後任者を選ぶことになった。佐々木さんは、気さくな良い人であったが、群馬の水になじめなかったのかもしれない。副知事として短い在任期間であった。知事の提案は全会一致で認められ稲山副知事が誕生した。

 議会終了後、大沢知事は稲山氏を伴って自民党控室を訪れた。稲山氏は、大沢県政を支えて群馬の発展の為に尽くしたいと挨拶した。神経質な官僚というイメージではないソフトな笑顔は、自民党議員にも好感をもって迎えられたようだ。

 稲山博司氏を紹介したい。東大法学部を卒業し自治省に入り、現在49歳。岐阜県、千葉県、広島県などの地方行政にたずさわり、平成11年からは和歌山県の総務部長を務めた。平成19年7月から総務省の自治財政局調整課長の職にあった。

 副知事2人制は有効に機能すれば大きな効果を上げることが出来ると思う。茂原副知事は大沢知事を補佐してよく役割を発揮している。地方分権の時代が進む中で国と地方の新たな関係が始まる。その意味で中央省庁とのパイプ役は必要なのだ。稲山副知事が十分に役割を果せる環境を作るべきである。

◇首相問責決議案が参院で可決され騒ぎとなっている。私の所へも、どういう意味かとたくさんの声が寄せられた。福田首相の地元だけに関心が高いのだ。ラジオから市民の声が流れるが、野党の動きに対する批判が多いようだ。その中に次のような意見があった。「問責決議は無視される。そして、それは参院の力がないことを示すことになり参院無用論につながる」。これは傾聴に値する意見なのである。憲法は衆院に優越性を認めている。ねじれ国会の下で最近騒がれた衆院の再議決は、優越性の一例だ。つまり、衆院が可決した法案を参院が否決した場合、衆院が再び出席議員の三分の二以上で可決すれば法律が成立するのである。内閣不信任決議権が衆院にだけ認められるのも衆院の優越を示す例である。今回のような事が衆院で起これば内閣は解散か総辞職を迫られる。これは憲法に書かれている。ところが参院については憲法上規定がない。首相に対する問責決議が可決されても法的効果はないのである。政治的責任は別であるが。参議院無用論は昔から存在するが、私はねじれ国会の下で参議院の意義が新たに認められたようにも思う。ラジオの意見でもねじれ国会は素晴らしいというのがあった。自民党だけでは政治が動かないという事は、民主主義の進歩でもあるのだ。(読者に感謝)

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2008年6月12日 (木)

「17人殺傷男の悲しい軌跡」

◇無差別殺人を犯した男は、何ヶ月も前から携帯のサイトにおびただしい数の書込みを続けた。それを読むと長い間の暗い挫折の中で男の心に根を張った悲しい狂気を感じる。私が会った何人かの人は、当然死刑だと言った。記者の前で倒れる母の姿があった。

 サイトの書込みで注目したものを拾ってみる。「負け組みは生まれながらにして負け組みなのです」「(ネット)は私の唯一の居場所」「私より幸せな人を全て殺せば私も幸せになれますかね?」「誰にも相手にされない」「みんな敵、本当の友達が欲しい」「三流の短大卒には女性のチャンスはない」「他人の不幸は蜜の味、みんな死ねばいい」「高校出て8年負けっぱなしの人生」「小さい頃からいい子を演じさせられてきた」6月に入ってから、「みんな死んでしまえ」「やりたいこと、殺人」などという、社会を恨む表現が急に多くなり、その中に、「土浦の何人か刺した奴を思い出した」、「誰でもよかった…なんかわかる気がする」というのがある。

 土浦の奴とは、今年3月茨城県土浦市のJR駅構内で24歳の男が8人を刺した事件を指すと思われる。今年に入って通り魔や無差別殺傷事件が続発している。そして、容疑者は、みな、「誰でもよかった」と供述しているのだ。振り返れば、前科のない普通の若者が首を切断したり、肉親を殺して遺体を切り刻んだりする事件が続いている。自殺者は毎年3万人を超える。自殺を考える人の数は、はるかに多いだろう。これらの人の中には社会を恨む人が非常に多いに違いない。殺人を犯したものは厳罰を受けねばならない。しかし、最近の初犯者の犯罪を見ると、社会にもその原因があることは否定出来ないと思う。

 秋葉原で惨劇を起こした男は、教育熱心な家庭、県内最難間という進学校という環境で育った。何のための教育だったのかと思う。携帯だけが唯一の友だちとは。機械文明の犠牲になっている若者の姿がいたましい。若者に夢を与えられない社会の未来は暗い。政治の責任を痛感する。今日も秋葉原を書いてしまった。

10日の特別委員会で私は行財政改革の観点から県立病院の未収金と赤字について質問した。未収金は19年度までで9,650万円に、累積赤字は120億円に達した。県立4病院の累計である。私は、これまでも、「未収状態を分析し、払えるのに払わない悪質の者には厳しい手段を」と主張してきた。私の質問に、当局は、訴訟に踏み切り勝訴したケースを報告した。その人は県外の人で手術代を払わなかった。当局は、弁護士を頼まず訴訟手続きを進めたという。こういう姿勢を評価したい。県立病院の民営化論も出ているが県立病院としての役割は大きい。

◇四川大地震から1ヶ月が過ぎた。死者不明者は9万人に迫り、多くの学校が倒壊した。この大災害は社会の様々な問題点も表に押し出した。地震大国日本としても他山の石とすべき事が多い。東京直下、東海大地震は、いつ起きてもおかしくない。(読者に感謝)

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2008年6月11日 (水)

「アキバの白昼夢、惨劇の後に残るものは」

◇無差別殺人は現代日本の社会に様々な問題を突き付けた。犯行はネットで予告されていた。「秋葉原で人を殺します。車でつっこんで車が使えなくなったらナイフを使います」、「これは酷い雨。全部完璧に準備したのに」、「まぁいいや、規模が小さくても、雨天決行」こんな文が時間を追って書き込まれた。凶器は人を殺す武器として作られたダガーナイフ。事件の2日前、事件を決意して買った。グリーンベレーは、ベトナム戦で活躍したアメリカの特殊部隊で、ジョンウェイン主演の映画もつくられた。このグリーンベレーに在籍した経験をもつある軍事ジャーナリストによれば、このダガーナイフは刃が薄く細いため力がなくても一刺で人を殺せる、刃先に血がつきにくいので何度使用しても殺傷能力が落ちないとのこと。

 容疑者は真面目で頭のいい、普通の市民の顔をした青年である。殺された7人の中には将来を期待された東京芸大の生徒もいた。

 この事件の波紋は大きい。「有害サイトを規制して事前にこのような事件を防ぐべきだ」、「凶器となる武器の販売を規制すべきだ」などの議論が起きている。また、舛添厚生労働大臣は格差社会の問題に触れ、「派遣制度を考え直す時だ」、鳩山法相は「厳罰を持って対応すべきだ」と発言した。通常に裁判が進めば、死刑は免れないことだろう。

 このような不可解な事件は、今後、増えるに違いない。間近になった裁判員制度ではこのような事件を一般の市民が裁く事になる。その意味で、私たちは、このような事件をしっかり受け止めて考える習慣を養わなければならないと思う。

◇また硫化水素(H2S)の騒ぎがあった。一人が死に13人が病院に運ばれた。10日午前大阪市のマンションでのこと。H2Sを発生させたとみられる男性は死亡し、警察官は意識不明になった。

 死んだ男のそばには洗剤の容器があった。洗剤を使ってH2Sを簡単に発生させることができることから、これを手段とする事件が跡を絶たない。

 検察庁は硫化水素の自殺者を、第三者を巻き添えにした場合、重過失傷害罪で書類送検する方針だという。日本の刑法では、自殺は犯罪ではない。しかし硫化水素を発生させまわりの人に中毒症状を起こさせた場合、それは傷害罪になる。死後であってもその責任の重さを社会に知らせて再発防止を図る必要があるのだ。

10日、金子泰造さんを偲ぶ会が行われた。共に闘った県議、市議の同志を中心にした集いである。泰造さんのありし日の事が語られ、彼の死を無駄にしないようにと誓い合った。

10日の総務企画特別委員会で、私は税の問題を取り上げた。高木建設の150億円の所得隠しが指摘されたが、その後刑事告発は受けぬ事になり、高木建設の支払い義務も消滅した。納税者は納得しない。県税の欠損はどの位かという質問である。一般論と断った上で、150億円をベースにして試算すると法人県民税と法人事業税合わせて約17億円と当局は答えた。(読者に感謝)

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2008年6月10日 (火)

「秋葉原の通り魔事件の奇怪さ」

7人を殺した25才の青年は、どう見ても普通の若者で、報じられるところによれば、スポーツもよくやる優秀な高校生時代を送っている。悪魔が乗り移ったとでもいうのであろうか。

 あれだけの事を事前に準備する時、結果を考えない筈はない。厳しい取調べを受け、マスコミによって天下の晒し者になり、親やきょうだいは世間に顔を出せなくなる。本人は死刑を覚悟しているとしても、直ぐに死なせてはもらえない。長い刑事手続きの重圧に苦しまねばならない。咄嗟(とっさ)の犯行と違ってナイフを買って静岡から秋葉原まで車を走らせる間に、これらの事が頭に浮かばない筈がない。

 最近は普通の物差しでは測れない異常な事件が多すぎる。その背景には、日本人の心の構造的変化があるように思える。若い人は容易に死を選ぶ。インターネットで自殺を呼びかけるとすぐに仲間が集る。生きる意欲が弱い若者と、彼らに明るい希望を与えない暗い社会、これらは病める社会の闇をますます深くしている。簡単に死を考える人は、他人の命も軽く考えるのかも知れない。最近の動機が不明な大量殺人は、このような命を軽視する社会の風潮と無関係ではないだろう。

◇硫化水素による自殺騒ぎは全く理解出来ないことだ。一度、このような事が起こると全国にあっという間に連鎖するから不思議だ。本県でも、3月初めから硫化水素で自殺を図った事件は12件発生し、14名が死んだ。

 今日の社会は、次々に刺激的な出し物が登場する劇場のようだ。観客はアッと驚くのも瞬間の事で次の出し物に目を奪われ先程見たものはすぐに忘れてしまう。観客の刺激に対する感覚も次第に鈍くなる。このようにして通常人の健全な倫理感もいつしかおかしくなっていく。精神的基盤を持たない子どもたちが社会から受ける影響は大きいに違いない。このような、今の社会のどろどろした実態が異常な人間を大量生産しているのかも知れない。日本は、物があふれ、刺激があふれ、自由があふれている。豊かな成熟社会の中で、教育の役割、政治の責任の重大さを感じる。

◇緊急性がないのに110番を使う人が多い事が今問題になっている。公衆トイレに紙がないなどというのは論外として、電話番号を聞くなどは110番を手軽な“よろず相談窓口”と思っているのかも知れない。しかし、県議会でも取り上げられた最近の例は、これらとは違った悪質なもので、女は偽計業務妨害罪で逮捕された。高崎市在住の29歳の女は、今年1月末に群馬に転居し、その日から5月中旬までの間に計730回も携帯から110番した。一日、80回を超える日もあった。一般の通報は一日当り合計400回だからその多さが分かる。友だちがなく淋しかったと供述している。6月逮捕され現在拘留中である。現代人の孤独、これも社会の病理につながることだ。(読者に感謝)

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2008年6月 9日 (月)

「通り魔、白昼、歩行者天国で17人殺傷」

◇真昼の惨劇が秋葉原の歩行者天国で起きた。25歳の男がサバイバルナイフで次々と人を刺した。7人が殺され、10人が傷を負った。男は「世の中が嫌になった。生活に疲れた。人を殺すために来た。相手は誰でもよかった」と話す。東北の高校で優等生だった。社会の暗部が口を開いた。そこに蠢く(うごめく)黒い影は死を求める人たちだ。練炭や硫化水素で死ぬ人が後を絶たない。自らの死を求める人は、他人の死を平気で求めるのか。冷厳な法の裁きがこの若者を待つ。日本はどこに向うのか。

◇県庁舎32階を13分で登った(8日)

私は日頃、自分流の運動を続けている。例えば、腹筋、縄跳び、腕立て伏せ、兎跳び等々で、大学ノートに〇印を描き赤く色を塗ることが習慣になっている。そして、時々走り、山に登る。限界に挑戦して、全力を尽くした後は水と空気が実にうまい。

 久し振りに行政棟を32階まで登った。かなり苦しかったが13分であった。県民マラソンが近づくころは12分弱で登る。今年も体力を調整して11月の県民マラソンでは、10キロを56分台で走るつもりである。

 車会社の中で、私たちは、余程気をつけないと便利に流されて運動不足になってしまう。その結果は身体機能の老化である。それは、体力ばかりでなく気力の衰えとなって現れる。

◇タッタッタッタと必死で登って展望ホールに出た。眼下にグリーンドームの大きな屋根があった。目を移すと、女性会館、教育会館、裁判所、県警本部と公的な建物の屋上が広がる。私は、これらの屋上のスペースを発電所にしたら大きな成果が得られると思った。ソーラー発電である。原油が高騰し地球温暖化が叫ばれる中で、原油に替わるクリーンなエネルギーが求められている。太陽光はその一つだ。県庁を中心とした全ての公的建築物の屋上にソーラーパネルを並べたらどれ位の発電量とCO2削減効果があるかを試算してみたいと思った。行政は決断を下し実行してはどうか。

◇このところ、身近かな人が立て続けに亡くなっている。金子泰造さん、寺島鎮雄さんと続き人の命のはかなさを痛切に感じていたら友人の歯科医が交通事故で不慮の死を遂げた。私と同姓のこの男は、前高では泰造さんと同学年で、高校卒業後は、波乱に富んだ生き方をした。私と彼は若い頃、知り合って、長い付き合いになった。家庭をもってから勉強し直して大学に進み歯科医となった。本業のかたわらザリガニの研究をした事もあった。ザリガニは共食いをするので量産が難しいとの事で彼は共食いをさせないで量産することを研究した。研究所なるものを訪ねた時、大きな空間にポリの容器がうず高く積まれ、それぞれは水の流れるホースで連絡され、容器には生まれたばかりのザリガニが仕分けされていた。私は異様な光景に度肝を抜かれたが、研究が成功した話は聞かずじまいであった。県と市の歯科医師会長が弔辞を述べていた。私は文章を作らず、「君は勇気のある侍だった」と遺影に語りかけた。親族の席には彼にとり残されて立ちつくす妻と二人の子の姿があった。

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2008年6月 8日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(114)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

このような状況の中で、日本人の間で、一つの動きがあった。35歳以下の若者130人が自発的に青年防衛隊なるものを結成し、その結成式をやるから出てくれと、若者の代表が石田の所に来て言った。 作業拒否闘争が始まって間もない頃であった。青年防衛隊宣誓式と銘打って式は屋外で行われた。凍土の上に、シベリアの雪が静かに降っていた。若者は整列し、代表が宣誓文を読んだ。凛とした声が雪の空間に響く。顔にかかる雪にも気付かないかのごとく、青年たちの瞳は澄み、燃えていた。 敗戦によって、心の支えを失い、ただ屈辱に耐えてきたこれまでの姿は一変し、何者も恐れぬ気迫があたりを制していた。彼らの胸にあるものは、かつて無敵を誇った関東軍の勇姿であろうか。いやそうではない。もっと大きな崇高な理想が彼らを衝き動かしていたのだ。それは、国のため、天皇のためという上からの命令ではなく、自らの意志に基づいて人間の尊厳を取り戻すことを目的に、友のため、同胞のために正義の戦いに参加しているのだという誇りであった。 「私たち青年130名は、日本民族の誇りに基づいて代表を中心に一致団結し、闘争の最前線で活躍することを誓う」 と宣言し、我々は代表と生死を共にする、我々は老人を敬い病人を扶ける(たすける)、我々はすべての困難の陣頭に立つ、我々は日本民族の青年たるに恥じない修養に努力する、と続いた。 石田三郎はお礼の中で、運動の目的は一人残らず帰国することである、そのためには、暴力は絶対によくない、諸君の任務は、暴力に訴えることが生じないように監督してくれることであると述べた。そして、私を拉致するために血を見るような事態に至ったときは、私一人で出て行くと言うと、一人の青年は、石田の言葉を遮るように、きっぱりと言い放った。 「代表が奪われるよりは、私たち青年は、銃弾の前に屍をさらす覚悟です」 青年の頬に涙が流れていた。すすり泣く声が聞こえ、それは広がって、今や、すべての青年が泣いていた。石田三郎も泣いた。これまで、いかなる拷問にも耐え、いかなる困難を前にしても泣いたことのない石田三郎が、今は青年の手を振り泣いていた。 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年6月 7日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(113)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

顧問団の中には、瀬島龍三もいた。瀬島は、回想録の中で次のように語る。「平素から私と親しかった代表の石田君は、決起後、夜半を見計らって頻繁に私の寝台を訪ねてきた。二人は、よそから見えないように四つん這いになって意見を交換した」 また回想録は、重要な戦略についても意見を交わしたことを述べている。それは、ソ連の中央権力を批判することを避け、中央政府の人道主義を理解しない地方官憲が誤ったことをやっているので、それを改善してくれと請願すべきだということであった。 石田三郎たちは、中央のソ連内務大臣、プラウダの編集長、ソ連赤十字の代表等々に請願文書を送る運動を展開するが、資料を見ると、その文面は必ず、一定の形がとられている。例えば、1956年(昭和31年)2月10日の、ソ連邦内務大臣ドウドロワ宛の請願書では、「世界で最も正しい人道主義を終始主唱するソ連邦に於いて」と中央の政策を最大限褒め上げ、それにもかかわらず、当収容所は、「労働力強化の一方策として、計画的に病人狩り出しという挙に出た。収容所側の非人道的扱いに耐えられず生命の擁護のため止むを得ず、最後の手段として作業拒否に出た」だから、私たちの請願を聞いてほしいと述べている。また、1956年(昭和31年)1月24日のソ連赤十字社長ミチェーレフ宛請願書でも、「モスコー政府の人道主義は、今、地方官憲の手によって我々に対して行われているようなものではないことを確信し」と表現する。これらは、皆、瀬島龍三のアドバイスによる中央を持ち上げて地方をたたくという作戦に基づいていることが分かるのである。収容所側は、作業拒否に対して、「これは、まさに暴動である。ソ連邦に対する暴動である。直ちに作業に出ろ」と執拗に迫った。そして減食罰などを適用しながら、一方で、「直ちに作業に出れば、許してやる」と言ってゆさぶりをかけてくる。予想される収容所側の対抗策は、首謀者を拉致して抵抗運動の組織を壊滅させることであった。これに対する防衛策として、石田三郎は、各班から護衛をつけてもらい夜ごとに違った寝台を転々とする生活を続けた。 5 青年防衛隊の情熱代表石田三郎が当局によって拉致されることを誰もが恐れた。また、ハバロフスク検事総長は、収容所を訪れ、作業拒否に対して、「直ちに停止せよ、さもなくば・・・」と武力弾圧をにおわせていた。 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年6月 6日 (金)

「中国大使館へ義捐金を届ける(5日)」。

◇午前中自民党の常任部会に出る(5日)。内容は、6日から始まる常任委員会の準備である。私は、この5月議会から総務企画常任委員会に属することになった。この委員会の役割は、地方分権、行政改革、危機管理、地域政策などを審議することである。この分野には県政の重要課題が多い。私は一委員としていくつかの質問をする予定である。 ◇今年になって自民党内に日中議員連盟が出来た。激動する世界情勢の中で日中の関係は重要であるという事で、ほとんどの議員が参加し、私は会長となった。議員連盟が出来て間もなく、世界の目は中国にくぎ付けになった。チベットの騒動、そして、聖火リレーに対する抗議が起きたからだ。そして、窮地に立たされた中国に追い打ちをかけるように大地震が起きた。 これに対して、毒ギョウザの問題も、チベット人に対する人権侵害もひとまずわきにおいて、被災者の救助に協力することが隣人の義務であり、日中議連の第一の仕事だという事で、私は、義捐金を送る事を提案し自民党全県議の賛成を得た。 中国大使館は高い塀に囲まれ、まわりには、要所に警察官が立っていた。アポイントがとってあったのでいかめしい重い鉄の扉は開かれ、私と関根県議は温かく迎えられた。建物に入ると、記帳台があり、その上には、次の文が大書されている。「沈痛悼念、四川大地震死難者」四川の大地震で死んだ人を悼む(いたむ)思いは悲痛であるという意。沈痛という表現は、日本にもあるが、死難者とは言わない。災難で死んだ人の事だ。対応に当たった参事官は、孫美嬌という女性である。義捐金を受け取ると、孫さんは言った。「中国は、一体となって懸命になって救助にあたっています。日本は最初に救助にかけつけてくれました。日本人の温かい心を全ての中国人は深く感謝しています」と。 私は、亡くなった方々に心から哀悼の意を表します、大変な試練を乗り越えてオリンピックを成功させて下さい、と述べた。対話はなごやかな雰囲気の中で進んだ。私が、日本は地震大国であること、阪神大震災では、多くのボランティアが活躍したことを話すと、孫さんは、中国でも今回の地震で初めてボランティアが注目された、今後の新しい動きにつながるだろうと発言した。私たちが、中国大連の大連外国語学院と交流を進めており、近く県立女子大と提携することになると話したら、孫さんの顔がほころんで、私の母校ですと言った。 ◇大使館からトンボ帰りして群馬国防会議厩衛会に出る。いかめしい名だが、自衛隊と民間人との交流の会である。国を守ることの意義は限りなく重い。自衛隊の役割は大きいが民間の理解がなければそれを果たすことが出来ない。その意味で、30年も続いているこの会の意義は大きい。代表の町田錦一郎さんは私を支えてくれる後援会の大幹部である。大澤知事が初めてこの会に出席した。大澤さんは自衛隊の出身である。懐かしそうに自衛隊の事を語り、群馬の災害で自衛隊が活躍したことに感謝していた。知事が自衛隊に関する集いに出ても抵抗感のない時代になったことを強く感じた。大澤さんの笑顔はすがすがしかった。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年6月 5日 (木)

「本会議一般質問の2日目(4日)」

2008年6月5日(木)「本会議一般質問の2日目(4日)」 ◇この日も5人が登壇し、一人の持ち時間は平等に65分であった。この日の質問中、群馬の身近な問題で世界の動きと結びついているのは、酪農の危機であった。トップバッターに立った自民党の橋爪洋介議員が農政部長に鋭く切り込んでいた。 ちょっと横みちにそれるが、ひと昔前の議会では知事与党として、自民党の議員が知事の部下を大きな声で追求することは、小寺知事の一時期を除いてなかったと思う。その点で、知事与党であっても遠慮しないで激しく迫る橋爪氏の姿には新鮮なものを感じた。これも議会の進歩を示すものかと思った。橋爪議員の追及の中に、「現場の状況を肌で感じなければだめではないか」という言葉があった。農家がいかに困っているかを訴えたかったのである。 酪農の危機は飼料の値上がりによって生じている。この問題が世界のダイナミックな動きと連動して状況を説明してくれと、「日記」の読者から求められたので、ここで大筋を示す事にする。出発点は原油の値上がりである。原油にかかわるエネルギー源としてトウモロコシ栽培の増産が始まった。アメリカは環境対策もあって助成金を出してトウモロコシを奨励した。この結果、食用と飼料用のトウモロコシの生産が減り、これらの価格が異常に高騰することになった。飼料の値上がりは日本の酪農に打撃を与え、食料の値上がりは食糧危機を招き世界各地の暴動の原因となっている。 飼料価格は、ここ2年位の間にトン当たり2万円も上昇し、群馬県の酪農農家は激減した。議場に配布された新聞の記事は、酪農の渦中にある人の次のような悲痛な声を伝えている。「飼料高騰により中核農家が廃業に追い込まれている」、「今の飼料高は前代未聞の事態だ」、「生産者が希望を持てる対策を打たなければ国民の食糧危機になる」 これに対して、本県は対策の一つとして、遊休の水田に飼料用のコメを栽培しようとしている。先日の「日記」でも触れたがコメの減反政策が行われる中で、水田に飼料用のコメを作ることが全国で始まり一番本格的に行われているところは山形県である。本県でもこれに取り組み始めたということで、平成19年度は169ヘクタールであったが20年度は180ヘクタールに増やす計画である。遊休水田で飼料用のコメを作ることは日本の食糧自給率の向上につながる。 ◇金田克次議員が「ぐんま総合情報センター」を取り上げた。これは知事の目玉の政策でもある。銀座の一等地に群馬を売り出す拠点を作る。群馬県の魅力をアピールし、本県のイメージアップと県内経済の活性化を狙う。これまで群馬の知名度は全国最低の部類にあった。今日、各県が競争してその特色を売り出す時代である。群馬の観光、物産販売、企業誘致などに結びつく。私は赤城山もアピールしたいと思う。場所は銀座5丁目13-19、デュープレックス銀座タワー。業務開始6月30日。開所式と記念式典は7月4日に行われる。群馬の夢を銀座で育てたい。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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2008年6月 4日 (水)

「本会議一般質問の状況。1日目」

◇本会議の質問は定刻10時に始まり、5人が登壇し、午後4時40分に終わった。発言時間は、5人とも1人65分。本会議の一般質問の場面は、県会議員にとって晴れの舞台である。登壇する人は誰でも、準備をして全力を傾ける。

 私は最後列の自席から感慨深く議場を眺めた。先輩たちの視線を背中に感じながら緊張して最前列に座っていた一年生議員の私の姿が懐かしい。あれから20年程があっという間に過ぎた。この間に、議員の顔ぶれも一変したが、議会の変化はより大きいものだ。議会は世の批判を糧(かて)としながら進化してきたが、この動きを加速させた大きな要因の一つは、私が議長の時に踏み切ったテレビの生中継の導入である。

 議員は役者に似ているところがある。演じる姿を見られて評価が下される。テレビで後援会の人に見られる、しかも登場する他の議員と比較される、これは選挙の洗礼を受ける議員としては最も重要な場面なのである。

 今、議会制民主主義を実のあるものにするために主権者たる県民に情報提供することの大切さが叫ばれている。テレビで放映する最大の目的は情報提供である。それは単なる情報ではない、有権者にとっては自分の選択が正しかったか否かをその目で確かめる手段である。

 かつての議会には茶番劇のような場面もあった事を全く否定することは出来ない。役人に質問の全文まで作らせた人もあったと言われた。

 今は、群馬県議会に於いてはそのような事はない。議会が本来の役割を果さねば地方社会が崩壊してしまうという待ったなしの事態が進行しているのだ。夕張市の財政破綻は、議会が財政に対する監視機能を果さなかった事に責任の一端があることは間違いない。今問題になっている高木建設がらみの疑惑も議会が十分にチェック機能を果せたなら、違った型になっていたかも知れない。

 3日の本会議で取り上げられたいくつかの論点を紹介する。新しく教育長になった福島金夫氏に公立校の校舎の耐震状況がたずねられた。四川大地震で中国の校舎がオカラで作られたように崩れ多くの子どもが死んだことが誰の頭にもある。福島氏は、公立小中で耐震性がある建物の割合は58%と答えた。

 世界の食糧危機に触れ、本県の農業政策を見直すべきだという質問があった。これに対し、耕作放棄地再生活動を進めるとの答弁があった。現在、ローマでは食糧サミットが開かれている。福田首相は、日本が農業改革によって、食糧自給率を向上させ世界の食糧需要の安定化に貢献すると約束した。本県の農業政策も首相の発言内容と連動していると思った。原油高対策も取り上げられた。原油高・穀物の高騰・飼料の高騰・食糧危機・これらは連動して、世界を混乱させ、日本を直撃している。県議会も世界の激流

の中に置かれている事を感じる。議会の役割の重要さを改めて思った。(読者に感謝)

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2008年6月 3日 (火)

「金子泰造さんの遺産・食糧難がやってくる」

 5月30日、敷島公園に隣接する金子宅を訪れると、泰造さんは眠っているような表情で横たわっていた。短い間にどんな変化があったのか、また、昨年の県議選以来の選挙続きは想像以上に激務で身体に大きな負担がかかっていたのか、悔しいだろうなぁ、そんな思いが私の胸に浮かんだ。

 泰造さんのお宅の様子は質素に見えた。政争の激しい前橋で政治一筋に打ち込んだ姿が家のたたずまいからも偲ばれる。プロの政治家であった。選挙区が重なるため、手強いライバルでもあった。しかし、お互いが存在を認めあって切磋琢磨したことはお互いにとって大きなプラスであったと思う。泰造さんは、腹のすわった剛直な人であるが、繊細な神経の持ち主でもあったと思う。また、まわりに迎合せず、信じたことを押し進める強さは、私の尊敬するところであった。惜しい人物を失ったと思う。知事選・市長選に於ける泰造さんの動きは、今回の突然の死という結末と共に前橋市民の胸にずしりと残ることだろう。同僚のある県会議員が、泰造さんは知事選、市長選の、犠牲になったと語っていた。過労とストレスの蓄積は大変なものだったに違いない。泰造さんの生き様と死から学ぶことは多い。それを正しく生かす事が、彼に対する最大のはなむけに違いない。

◇日本では、飽食の時代といわれて久しいが、これを支える基盤は極めて弱い。なぜなら、日本の食糧の自給率は39%を切っており、しかも、頼りの輸入も不安定といわざるを得ないからだ。最近の世界の状況を見ると、食糧輸出国も、異常気象などによる国内の食糧事情によって容易に輸出規制を行う。すると食糧価格が高騰する。そのために、現在、世界各地で暴動が起きている。その報道を見るたびに、私はひと事ではないと思ってしまう。将来、お金があっても外国から食糧を買うのが難しい時代が来るに違いない。日本の自給率は12%に下がるという試算もあるのだ。だから、自給率の向上を図ることは焦眉の急なのである。

 私の住む地域には遊休農地が広がる。これは全国的にいえることだ。これを生かさねばならない。遊休農地の中で最も広い面積を占めるのは田で、水田の4割は眠っている。減反政策のためである。この遊休の水田に、今、変化が起きている。それは、眠っている水田に飼料用の米を作り始めたことである。日本は動物の飼料の多くを輸入しているがそれが異常に値上がりしている。アメリカなどの飼料産出国が原油代替エネルギー用のトウモロコシ等を作り出したため、飼料用の穀物が不足しているからだ。減反の田で作られた米を飼料にして豚や牛を生産すれば食料の自給率を上げることが出来る。豚や牛の肉も食糧だからである。つまり、飼料を国内で生産すれば食糧自給率の向上に結びつくのである。食糧危機を目前にした今、米の減反政策全般を見直す時に来ているのではないか。(読者に感謝)

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2008年6月 2日 (月)

「金子泰造氏告別式の弔辞全文」

◇大沢知事が葬儀委員長として挨拶。続いて笹川県連会長、私、立見後援会長の弔辞が続いた。私の隣には高木市長が座っていた。私の弔辞の全文を紹介する。

◆金子泰造さん、このような事になろうとは、誠に残念でなりません。あなたの御気持を察するといたたまれない思いです。あなたと最後に言葉を交わしたのは、28日の夜でした。「元総社の集会にはまだ出られません。きれいな前橋を創るために頑張ろう。宜しく頼みます」、こう話す電話の声から、いつものあなたの強い意志が伝わってきました。あの声があなたの遺言になろうとは夢にも思わなかったことであります。

 政治生活におけるあなたとの付き合いを振り返りますと、それは、密度の高い、また、緊張感のあるものでありました。泰造さん、あなたは政治に理想を抱き高い志と強い信念をもった政治家でありました。今、社会は大きな転換点にあり、政治が大変難しいときであります。そのような中で、あなたはぶれることなく、強い信念を貫いて歩まれました。そのようなあなたは、私にとって良きライバルであり、私はあなたを尊敬し多くのことを学ばせて頂きました。今、あなたに心から感謝申し上げます。

あなたと、県議会に於いて、また、県都前橋の政治状況の中に於いて、切磋琢磨出来た事は、幸せであったと思います。そして、それを今後に生かさねばならぬと私は今、決意を固めております。

 泰造さん、改めて政治家金子泰造を振り返るとき、自民党県連幹事長として県政の難しい課題に取り組み、また、県政史上に残る大事業である知事選に臨んだあなたの姿が鮮明によみがえります。

 特に知事選では、難攻不落に見えた現職の壁を崩すために、陣頭に立って全精力を傾注されました。よどんだ群馬に青空を取り戻しふるさとを再生するのだと訴えるあなたの姿に多くの人が共鳴し力を合わせ、目的を達成することが出来ました。

今、群馬は大澤知事の下で新しい活力を得て大きく歩み出しております。あなたが、大澤知事誕生の原動力となったことは、県政史上不滅の功績として記され後世に語り継がれるに違いありません。

 知事選であなたは燃え尽きる程の活躍をされましたが、休む間もなく、前橋市長選に臨む事になりました。あなたを駆り立てたものは、群馬県の改革と県都前橋の改革は一体のものであるという確信でありました。県会議員を止め、県連幹事長を辞して選挙に入るあなたには、政治生命を賭けた不退転の決意があふれていました。「金子泰造個人のために戦うのではない、品格のある誇れる前橋を創るためだ」と訴えていたあなたの姿が私のまぶたに焼き付いています。

 私たちは全力を尽くしましたが力及ばず残念な結果に終わりました。しかし、あなたが揚げたきれいな前橋を創るという理想の旗は、その後の社会状況の中でますます真価を認められ、それを支える市民の声は日毎に高まっています。

 このような時に、あなたは突然の死を迎えられた。さぞ無念でありましょう。前橋市にとってもこれは一大痛恨事であります。金子泰造さん、あなたの肉体は残念ながら、燃え尽きたと思われますが、あなたの揚げた政治の理念は不滅です。私たちは、多くの市民と共にあなたの理想を受け継いでいきます。泰造さん、どうか、あなたがこよなく愛したご家族とこの県都前橋を見守ってください。お別れの時が来ました。長い間ありがとうございました。どうかお静かにおやすみ下さい。合唱。(読者に感謝)  

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2008年6月 1日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(112)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

ストライキや暴動に対するソ連の弾圧は峻烈を極めた。ソ連人が収容される収容所において、ストライキや暴動が時々あったが、どれも戦車が出動し、多くの死者を出し、首謀者は必ず処刑された。石田をはじめとする日本人も、ソ連のこのような方針を知らぬはずはなかった。

 かくて、769人の日本人は石田三郎を中心に結束し、死を覚悟の作業拒否闘争が始められた。役割をきめて組織がつくられ、戦術が練られた。この収容所の人々は、ほとんどが旧制中学卒業以上の知識人で、人材にはこと欠かなかった。このような人々が心の底から結束し立ち上がった点にこの闘争の特色があった。

 要請事項は、健康を害しているので、帰国まで、本収容所を保養収容所として、全員を休養させること、病人や高齢者を作業に出さないとこ、高齢者や帰女子を即時帰国させること、留守家族との通信回数を増やすこと、今回の事件で処罰者を出さぬことなどであった(スパイとされた女性抑留者もいのだ)。

 戦術としては、暴力は絶対に使わない、収容所側を刺激させないため、戦闘という言葉は避け、組織の名称は交渉代表部とし、運動自体も請願運動と呼ぶことにする等が決められた。

 石田三郎は全員を前にして決然として言った。

「私たちの最大の目的は、全員が健康で祖国の土を踏むことです。これからのあらゆる行動は、このことを決して忘れることなく心を一つにして目的達成まで頑張りぬきましょう」

「そうだ、そうだ」

ワーッと、会場は熱気で震えた。長い間、奴隷のように扱われ、屈辱に耐えてきた人々が、初めて日本人としての誇りを感じ、人間として自覚した瞬間であった。

 石田三郎は、有効な作戦を立てるため、また重要な問題にぶつかったとき、アドバイスを受けるための顧問団を組織した。その中には、元満州国の外交官や元関東軍の重要人物などもいた。石田はこれらの人に、危険が及ばぬよう名は公表せず、個人的に密かに、そして頻繁に接触したと、『無抵抗の抵抗』の中で述べている。

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