シベリア強制抑留『望郷の叫び』(118)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実
8 請願運動の実態
石田三郎を中心とする日本人は、知恵をしぼり、あらゆる手段を尽くして闘った。しかしソ連側もしたたかで、戦いは長期化していった。闘争手段の主たるものは、中央政府に請願書を出す運動であり、これに多くの精力が傾注された。代表名で多くの請願書が書かれ、また、各個人が精魂込めて文章を書いた。そのために、密かに用意した大量の紙がすべて使い果されるに至った。しかし、これらの請願書は、中央に届けられることなく、握りつぶされていたことが後に分かるのである。
ここで、請願闘争の実態を知るために代表名と個人名の請願書の中から各一例ずつ、その要点を示して紹介する。
請願書 1956年1月30日
ウォロシーロフ宛 石田 三郎
尊敬する議長閣下、現地機関は、事件発生後1ヵ月以上を経過しているにも拘らず、私達に対して依然として不当な扱いを継続しております。収容所当局の非人道的取扱いに端を発しているこの事件の最中に重病患者2名が遂に死去するに至りました。そのうちの1人は、希望食として、タマゴとリンゴを求めており何回となく、日本人病院関係者及び看護人から請願しても認められず、ハバロフスク地方内務省長官の巡視時に直接請願することにより、その命令によって初めて死の直前に与えられました。しかし、時遅く、効果なく死去するに至りました。
更にもう1人は、やはり、唯一の摂取可能食物としてタマゴとリンゴを求めましたが、希望は実現せず死去に至りました。賢明なる閣下には、この小さなことがらの中から、管理機関の取扱い態度の一端を知って戴けると思います。即ち、これを拡大したものが、労働、衣糧生活その他全般にわたって、管理の中で行われてきたのであります。そして、この悪質な管理の諸事実の集積が我々の生命を脅かすに至り、今回の問題となって爆発したのであります。そして、私たち全日本人は、全員が死を決意してこの運動のために結束せねばならなかったのであります。私達は、貴国における軍事俘虜でありますが、私達も矢張り人間であります。私達は、人間としての極く普通の取扱いを請願しているのであります。それを現地官憲が最も卑劣な手段で、しかも威嚇的恐喝的手段で圧殺せんと企図する行為は、果して正しいものでしょうか。
☆土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。
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