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2008年5月11日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(106)第5章 日本人が最初に意地を見せたハバロフスク事件の事実

 ハバロフスクの収容所の人々は、不当な裁判によってその多くは刑期25年の懲役刑に服していた。長い収容所生活によって体力も、みな、非常に衰えていた。それにもかかわらず収容所の扱いは相変わらず過酷であった。
ハバロフスク事件は、収容所側の扱いによって生命の危険を感じた人々が、自らの生命を守るために団結して立ち上がった抵抗運動である。
事件当時の状況を示す資料は、奴隷的労働の様子、与えられる食料のひどさ、そして、病弱者の扱いの不当などを示している。労働にはノルマが課せられ病弱者にも容赦がなかった。食料については、まず与えられるカロリーが少ないこと。旧日本軍は、重労働に要するカロリーを一日、3,800カロリーと規定していたが、収容所ではやっと2,800カロリーであった。また、生野菜が極度に不足しているためビタミン摂取が出来ないのが痛手であった。日本人の食生活の基本は、本来、肉食ではなく米や野菜である。したがって、日本人の体にとっては、特に生野菜が必要であった。野菜が採れないシベリアの冬は、特に深刻であったと思われる。余談になるが、最近のシベリアの小学校の様子を伝える映像として、冬季、給食の時、野菜不足の対策としてビタミンの錠剤が配られる姿があった。

二 ハバロフスク事件の前兆としての出来事

 ソ連の態度は、威圧的で情け容赦がなかった。「我々は、百万の関東軍を一瞬にして壊滅させた。貴様等は敗者で、囚人だ」と、何かにつけて怒鳴った。日本人抑留者は、この言葉に怒りと屈辱感をたぎらせていた。あのように言っているが、関東軍の主力は、ほとんど南方戦線にまわされ、満州では、実際戦える戦力はなかったのだ。そこへ入ってきて、強奪と暴行のかぎりをつくした卑しい見下げ果てた人間ではないか。人々は皆、こう思いつつ、帰国というい一縷の望みを支えに耐えていた。

 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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