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2008年5月 3日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(101)第4章 高良とみ、国会議員として初めて強制収容所を訪ねる

  敗戦後は呉市長に懇願され、呉市助役となる。呉市は、軍港を初め重要な軍事施設が多くあったところで、終戦後は多くの進駐軍が進駐し、これらの外人とのトラブルや占領軍との交渉が多かったから高良とみの経歴、特に英語力が必要とされたのである。全国初の助役として新聞で大きく報道された。

 やがて、高良とみの人生に大きな転機が訪れる。女性に参政権が認められることになったのだ。どのまちにも、腹をすかせ目をギョロギョロさせた戦災孤児が多くいた。また、大都会には、外人の腕にぶら下がって歩くパンパンと呼ばれる日本女性が溢れていた。

 婦人解放の問題に取り組んでいた母の姿を見て育ったとみは、敗戦の社会で喘ぐ哀れな女たちの姿を見てつらかった。婦人参政権の実現は、天が与えた絶好のチャンスと思え、とみは、一大決心をして参議院議員選挙に立候補する。昭和22年のことである。高良とみは民主党から立候補して34位、女性では10名中4位で当選する。

高良とみは参議院議員になって海外同胞引揚委員会に属し、その副委員長を務めていた。この委員会には、ソ連における日本人抑留者の情報が時々入っていた。高良とみは、1銭5厘の葉書一枚で戦争に召集され、激しい戦いの中で九死に一生を得て生き延びたにもかかわらず、酷寒のシベリアに送られ長く抑留されている日本人が哀れでならなかった。また、その帰りを待ち焦がれる家族の姿を身近に見て心を痛めていた。そこで、このシベリア抑留者を一日も早く帰国させることが、国会議員としての自分の第一の使命であると固く信じて、行動を起こす機会をうかがっていた。

 ある時、ソ連が世界各国の人をモスクワに招いて経済会議を開くことを企画し、石橋湛山ら財界指導者にも招待状が出されていることを知った。実は、高良とみはこの訪ソの話を聞く直前にパリにおけるユネスコ会議への招待状を受け、すでにパスポートを手にしていたので、訪ソ団に加わり、パリからソ連に入り日本人抑留者の問題を調べたいと願った。

 運よく訪ソ団に加わることになったが、政府は、講和条約発行を前にアメリカとの関係を心配してソ連へのパスポート発行を認めない。そこで、高良とみは単身パリのユネスコ会議へ向けて出発した。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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