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2008年2月25日 (月)

「選対の解散式と議員の反省会」

◇前橋市長選の選挙対策本部の解散式が行われた(23日)。自民党県連のホールには約百人の幹部が集った。冒頭、私は事務長として、「残念な結果に終わりましたが、私たちが目指したクリーンな市政の実現ということは、今後のますます重要な課題となりました、そして新たな戦いが始まりました」と挨拶した。

 次いで、選対本部長や佐田玄一郎代議士等が挨拶した後、私は、再び登壇し座長として、今後のことを協議した。そこでは、クリーン前橋作戦会議は今後も継続すること、及び、市長周辺の疑惑を解明し市長の責任を追及していくことが万場一致で決められた。

 協議の過程で何人かの人から意見や提案が出された。その中に、疑惑の解明に向けて動き始めた市民が多くいる様だが「クリーン前橋作戦会議」は、そういう動きと連携すべきだというものがあった。

 この日の夜、共に戦った県議市議の交流会が行われた。形通りの挨拶と乾杯が終わって宴に入りアルコールがまわり始めると、本音の話も飛び出して、会は、反省会の様相も帯びるようになり有益であった。負け戦の場合、このような場がないと胸につかえるものがそのまま残って新たなエネルギーを生み出す際の妨げになる。「悔しい、悔しい」としきりに口にする人もいた。その表情に、真剣に戦った様子が現れていた。

◇よみがえるか「疑惑の銃弾」。三浦和義氏が米自治領のサイパンで逮捕されたというニュースを深夜放送で見てまさかと思った。23日の午前2時ごろだったろうか、トイレに起き何気なくテレビをつけると三浦事件を報じているではないか。一瞬、過去のことを振り返る番組かと思った。

 一度は人々の前から消えかかった事件に再び火をつけたのは、週刊文春がスタートさせた「疑惑の銃弾」の報道であった。1984年(昭和59年)1月26日号である。「妻を返せの絶叫には多くの人が涙した。しかし、夫は密かに1億5千万円の保険金を受け取っていたという新事実が…」このような見出しの文春の記事は世間の注目を集め、以後、マスコミは、1年半、休むことなく三浦を追った。ロンドンまで追いかけ捜し出して「どっこい生きている」と報じた記事もあった。この事件の異常さもさることながら、マスコミがここまで一人の人間を追い詰めることが果たして許されるのかと疑問に思ったことは今も記憶に残る。

 妻・一美銃撃殺人事件については一審で無期懲役、最高裁で無罪確定となっていた。これはアメリカで起きた事件でカリフォルニア州法が適用される。事件後、国外(日本)にいたから時効にもなっていないという。中国の諺「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」を思い出す。多くの日本人は最高裁の無罪判決に釈然としないものを抱いていた。法の網におちたかに見える三浦氏の今後に注目したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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