« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

「週刊文春の報道姿勢。リベェンジか」

◇三浦に無期懲役を言い渡した東京地裁の判決に対し東京高裁は、平成10年、確かな証拠がないとして逆転無罪を言い渡した。その判決要旨の中で高裁は、激しい報道合戦が繰り広げられた事件であり、そこには確かな証拠に基づいたとはいえない報道もある、そして、報道に接したものが最初に抱いた印象は簡単に消えるものではない、従って裁判所は、確かな証拠に基づいた事実関係の確定をしなければならないと言って報道の姿勢と東京地裁を厳しく批判した。そして最高裁は平成15年、この高裁判決を支持する判決を下した。 「疑惑の銃弾」と題した特集によって、取材合戦に火をつけた週刊文春は、敗北の屈辱感を味わったに違いない。世間がこの事件を忘れ去ったころ、突然思いもかけぬ出来事が起きた。三浦がアメリカで逮捕されたのだ。新しい証拠が発見されたらしいと報じられている。それとばかりに週刊文春は、「疑惑の銃弾最終章」として三浦の逮捕を報じ、24年前に報じたことを再現している。私には「復讐の銃弾」を放ったとも見える。 三浦和義と言う人物は謎に包まれている。彼がかかわったとされる事件は、劇場型犯罪といわれた。真っ黒に違いないと思いつつも、法のルールを逆手に取って日本中を相手に戦う姿は、劇場の観客からは、ある意味で格好良く興味が尽きない存在であった。かつての大スター水の江滝子は、三浦の実の母と騒がれマスコミから姿を消したが、現在93歳になって生きているという。サイパンで逮捕された60歳の三浦に昔の面影はない。文春の挙げる「最終章」とは、記事としての最終章だけでなく、「劇場」の最終章を言わんとするのか。三浦には、今度の劇場も乗り切るだけの気力があるのか。仮面をはずされるどんでん返しがあるのか、意気を殺す思いで見守りたい。 私には、三浦が白か黒かは分からない。もし黒だとすれば、このような人物は例外中の例外なのか、それとも現代の社会が生んだ社会現象の一例なのか考え込んでしまう。 現在の日本を危機に追い込んでいる第1の要因は道徳感の崩壊だと思う。跡を絶たない振り込め詐欺は病める社会の象徴である。つかまらなければ何をしてもよいという哲学をもった人の群が果てしなく広がる闇の世界を想像すると背筋が寒くなる。三浦和義という人物が仮に黒だとすれば、彼はそういう闇の世界が生み出した人物かもしれない。闇の世界の影響が不気味に広がっている。 ◇医療崩壊が叫ばれる状況を克服しなければならない。救急車が病院をたらい回しされる事件があちこちで起きている。県は医療確保対策室を設置する。東毛がんセンターでは婦人科を存続できなくなった。県は、育児などで職を離れた女性医師の再就職にも力を入れる。新たに導入するドクターヘリは、医師不足及び地域による医療格差対策においても重要な役割を担う。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月28日 (木)

「本会議2日目。高木建設の疑惑も」(27日)

◇この日も5人が登壇。福重(公明・78分)、関根(自民・60分)、塚原(フォーラム・70分)、平田(自民・60分)、関口(スクラム・63分)の各氏。カッコ内の時間は持ち時間である。

◇自民の平田さんは、県・住宅供給公社が高木建設から土地を買い上げた問題をただした。前橋市元総社町の染谷川沿いの土地約1.6ヘクタールを10億5千万で買い上げ13年間塩漬けにした結果、金利等を加え塩漬けの価格は13億3千万円余りになる。平田さんは、上空には高圧線が走るあんな土地をなぜ買ったのかと県土整備部長に迫った。また、平田さんは、この土地取得についてある幹部が、当時の小寺知事に意見を具申し、そのためにその後、知事と疎遠になったという話があるが承知しているかと問い、部長は知らないと答える一幕もあった。高木建設は高木市長の実兄が経営する会社で、当時、市長は県議3期目、自民県連の政調会長を務め、購入の約3ヶ月前まで、この会社の監査役を務めていた。平田さんは、本会議では時間の制約もあり十分な追求が出来なかったようだ。しかし、これから始まる常任委員会、私が委員長を務める予算特別委員会でこの問題はまた取り上げられることになるだろう。

◇自民党の関根さんは、北関東自動車道の建設状況並びにその経済効果を取り上げた。まず太田・桐生ICまでが、この度開道となるが、これにより60分かかったところが45分で行ける、その先も用地買収は99%進み、全線開通は平成24年3月22日の予定。その結果、陸の孤島と言われた群馬は高速道路網の中軸となり、その効果は想像を絶する、と知事は発言した。

 北関東自動車道完成による短縮時間の例を挙げると、高崎市、常陸那珂港間は、現在4時間10分かかるが、130分短縮されて2時間で行ける、高崎市、成田空港間は、現在3時間20分かかるが、75分短縮されて2時間5分で行けるようになる。私は、これを聞いて太平洋がぐっと近くなった事を感じた。もはや、海無し県という表現は当てはまらない時代がやってきた。そして、現代人の生活圏は時間と空間を克服してますます広がる。寿命が長くなったことと合わせると、昔の人の何十倍も生きる時代の中にいることを改めて感じる。

◇フォーラムの塚原さんは、交通事故防止対策や教育の問題を取り上げた。本県は交通事故が多い。事故死亡者100人以下の目標を掲げてきたが、それが最近達成された。その要因は、飲酒運転の厳罰化と民官一体となった努力に求められると警察本部長は説明した。

 国際学習到達度調査の結果が問われた。日本の生徒は国語の読解力が低いこと、学習の意欲が最低であること、科学に関する関心度が低いことなどである。教育長は、フィンランドの例をあげて、日本でも子どもが眠る前に親が本を読み聞かせすべきだと発言した。私もそう思う。しっかりとした学力は健全な家庭力が前提となる。日本の学力低下の背景には家庭の崩壊現象がある。本会議はあと2日間。その後は委員会の審議に入る。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月27日 (水)

「本会議一般質問の初日は5人が登壇」(26日)

◇真下誠治(自民・90)、塚越紀一(フォーラム・81)、岩上憲司(スクラム・63)、石川貴夫(民主党改革クラブ・78)、茂木英子(爽風・78)の各氏。カッコ内の数字は持時間で単位は分を表す。

◇真下さんは、新型インフルエンザ対策、食品の検査体制、治安情勢、高木建設の所得隠しによる県税への影響等を取り上げた。塚越さんの質問では、環境問題の一環として取り上げた「自転車の利用」が注目された。塚越さんは伊勢崎市の職員たちが自動車通勤から自転車と公共交通機関の利用に切りかえたことにより一定期間にCO2を全体で602t削減(ガソリンを使用した場合の排出量)したことを例に上げ、県が自転車の利用を全体的に普及させるべきだと主張した。温暖化対策として有効だと思う。

◇昨日私が取り上げた「尾瀬学校」については、塚越、石川、茂木の各氏が取り上げた。教育長は、群馬が誇る尾瀬は自然環境保護の原点であること、その美しい自然は子どもたちの心に感動を与え、そのことが心の教育につながること等を熱心に語っていた。私は、「尾瀬学校」の意義を改めて感じた。雄大な尾瀬の自然そのものが学校なのだ。鳥、花、清流、浮かぶ雲、流れる霧、これらは教材であり、この自然は、母の懐であり、また、先生なのである。子どもたちは、この学校で本来の子どもの心を取り戻すに違いない。ガイドの役割は大きい。平成21年度からは、認定ガイドの制度を設けるという。

◇石川さんは、県立病院改革を取り上げた。4つの病院の累積赤字は100億になる。県立病院は他の病院にはできない役割を果たすために大きな費用がかかることは分かるが、赤字を減らす努力が足りないと思う。病院管理者は病院経営の専門家を加えた委員会を作る、病院改革係りを置く、未収金の回収を厳しくするなどを挙げて改革を進めると答えていた。国は公立病院について改革プランを定めて黒字化することを求めている。議員の中には、お役所的発想では改革は出来ないから民間に任せるべきだという意見をもつ者もいる。

◇最後の登壇は茂木さん。この時間は聴く者にとって苦痛を感じることもあるが、女性の感性で語る、子育て支援、妊婦検診、若者の就職支援等について飽きないで耳を傾けることが出来た。育児休業制を普及させることは少子化対策の要の一つである。県は、「育児いきいき参加企業認定事業」を進めることになった。宣言した企業を登録させ融資等で優遇する。世相を反映して育児虐待は深刻だ。子育てが出来ない親がいる。市町村が協議会を作って支援することになっているが現在、出来ているのは29市町村どまり。児童相談所は定員オーバー。暖かい家庭の雰囲気で不幸な子どもを育てる里親制度は重要な存在だ。131の家庭が里親に名乗りを上げている。飛び込み出産が増えているという。かかりつけ医がなく臨月になって医者にいくケースだ。妊婦検診の公費負担制度を周知させ受診率を向上させることが重要。茂木さんの質問からいろいろなことが分かった。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月26日 (火)

「疑惑の銃弾と裁判員制度」

◇26年も前の完全に過去のものとなったと思われた事件が再び白日の下に引き出され大騒ぎになっている。私は、裁判員制度の実施が来年に迫った状況でこの事件から学ぶべきことは非常に多いと思う。昨日も書いたが、当時の報道の過熱ぶりは異常だった。一美さん銃撃殺人について地裁は無期懲役としたのを高裁と最高裁は無罪とした。当時のマスコミは、挙げて三浦氏を犯人扱いしていたといっても過言ではない。地裁の有罪判決もそのような社会の渦の中から生まれたと言う印象があった。高裁と最高裁の無罪判決は、このような社会の状況を戒(いまし)め、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則を示したものだった。

 もし、この事件が裁判員制度の下で裁かれたらどういう結果を生むであろうか。多くの裁判員はマスコミの影響を強く受けて判断することになるだろう。それでは、公正な裁判を望むべくもない。裁判員制度の難しさをつくづくと思う。

◇裁判員制度と報道の姿勢に関して、日本新聞協会は、過日、取材・報道の指針を公表した。その中心点は、事件の被疑者を犯人と決め付けた報道はしないということである。マスコミがこのようなルールを守ることは最低限必要なことであるが、最も重要なことは裁判員の自覚である。裁判員制度は、民度の高い成熟社会が前提となる。この制度が初めからうまく行くとは思えない。制度を育てるためには、制度の啓蒙と共に、中学・高校で司法の仕組みや民主主義についてしっかりとした教育を行うことが必要である。

◇大沢知事は、今議会の冒頭、新規事業として「尾瀬学校」を実施することを表明した。これは、昨年8月に尾瀬国立公園が誕生した事を契機に貴重な自然の中で環境学習を行おうとするものである。「尾瀬学校」の主な事業として小中学生の小グループにガイドをつけて尾瀬を観察させる企画を実施する。これは、8人の生徒に対して1人のガイドをつけるもので、県はガイド料とバス代を補助する。今議会に自然環境課は予算1億円を計上した。環境政策の重要な一環と位置づけているのである。  また、この事業は、教育の面からも重要な施策である。教育委員会は、新規事業として300万円の予算を計上して取り組む。主な内容は、充実した尾瀬環境学習を実現するために「学習プログラム」を作成し学校に提供する事、及び教員がこの学習プログラムを体験できるよう尾瀬自然観察会を開催する事などである。地球温暖化が深刻化し、地球の危機が叫ばれている時、環境学習は極めて重要である。尾瀬は生きた環境学習の場とすべきだ。「総合的な学習の時間」を活用する絶好の機会だ。尾瀬は「自然の宝庫」と言われてきたが、今や「学習の宝庫」である。小中学生だけでなく社会人にとっても学習の場とすべきである。尾瀬を訪れた機会に地球の危機やCO2を吸収する自然の役割などを学べる場も作って欲しいと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月25日 (月)

「選対の解散式と議員の反省会」

◇前橋市長選の選挙対策本部の解散式が行われた(23日)。自民党県連のホールには約百人の幹部が集った。冒頭、私は事務長として、「残念な結果に終わりましたが、私たちが目指したクリーンな市政の実現ということは、今後のますます重要な課題となりました、そして新たな戦いが始まりました」と挨拶した。

 次いで、選対本部長や佐田玄一郎代議士等が挨拶した後、私は、再び登壇し座長として、今後のことを協議した。そこでは、クリーン前橋作戦会議は今後も継続すること、及び、市長周辺の疑惑を解明し市長の責任を追及していくことが万場一致で決められた。

 協議の過程で何人かの人から意見や提案が出された。その中に、疑惑の解明に向けて動き始めた市民が多くいる様だが「クリーン前橋作戦会議」は、そういう動きと連携すべきだというものがあった。

 この日の夜、共に戦った県議市議の交流会が行われた。形通りの挨拶と乾杯が終わって宴に入りアルコールがまわり始めると、本音の話も飛び出して、会は、反省会の様相も帯びるようになり有益であった。負け戦の場合、このような場がないと胸につかえるものがそのまま残って新たなエネルギーを生み出す際の妨げになる。「悔しい、悔しい」としきりに口にする人もいた。その表情に、真剣に戦った様子が現れていた。

◇よみがえるか「疑惑の銃弾」。三浦和義氏が米自治領のサイパンで逮捕されたというニュースを深夜放送で見てまさかと思った。23日の午前2時ごろだったろうか、トイレに起き何気なくテレビをつけると三浦事件を報じているではないか。一瞬、過去のことを振り返る番組かと思った。

 一度は人々の前から消えかかった事件に再び火をつけたのは、週刊文春がスタートさせた「疑惑の銃弾」の報道であった。1984年(昭和59年)1月26日号である。「妻を返せの絶叫には多くの人が涙した。しかし、夫は密かに1億5千万円の保険金を受け取っていたという新事実が…」このような見出しの文春の記事は世間の注目を集め、以後、マスコミは、1年半、休むことなく三浦を追った。ロンドンまで追いかけ捜し出して「どっこい生きている」と報じた記事もあった。この事件の異常さもさることながら、マスコミがここまで一人の人間を追い詰めることが果たして許されるのかと疑問に思ったことは今も記憶に残る。

 妻・一美銃撃殺人事件については一審で無期懲役、最高裁で無罪確定となっていた。これはアメリカで起きた事件でカリフォルニア州法が適用される。事件後、国外(日本)にいたから時効にもなっていないという。中国の諺「天網恢恢疎にして漏らさず(てんもうかいかいそにしてもらさず)」を思い出す。多くの日本人は最高裁の無罪判決に釈然としないものを抱いていた。法の網におちたかに見える三浦氏の今後に注目したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月24日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(79)第3章 青柳由造さんのシベリア

初めての冬を越して、シベリアの生活にもいくぶん慣れたころ、青柳さんに、国営農場の作業がまわってきた。それは収容所の者がみな希望する作業であった。ジャガイモ堀りの場合にはジャガイモをかじることができたし、そのいくつかをひそかに持ち帰ることもできたからである。マメや果物の場合にも同様であった。

 共産主義の農業としてソフボース(国営農場)とコルホース(集団農場)があった。青柳さんが動員されたのはソフホースである。ジャガイモは9月下旬の霜がおりる前に収穫しなければならない。青柳さんたちは長い畝を受け持たされ、バケツと熊手を持って芋を掘り起こした。手のひらに乗るような手ごろなジャガイモを見つけると、看守の目を盗んでは土を落とし、かじった。

 生のジャガイモを食べるのは初めてのことであった。シャキシャキとかみ砕くと冷たい粒々がのどを伝って胃袋に落ちてゆく。飢えた胃が中から手を伸ばして引きずり込んでいるようだ。青柳さんは久しぶりの満腹感に酔った。

 国営農場で働いたある日本人の証言によれば、広い国営農場には農家が点在し、その周りには自作地があり、針金や柵でかこまれている。その自作地と国営農場がいかにも対照的なのだという。国営農場は草だらけなのに自作地の畑は草一本なく整然と耕されている。ジャガイモも国営農場のは小さく、自作地のは大きいという。これは、人間の意欲や本性を無視した共産主義の制度の欠陥を雄弁に物語る事実であろう。

 シベリアの夏は短い。9月に入り、夏が終わったと思うと、秋を飛び越したように冬がやってくる。青柳さんたちは、2度目の冬を迎えた。

 捕虜たちの目を楽しませ心を和ませてくれた陽光の中の自然は消えて、あらゆる妥協を拒否するかのような無慈悲な白の世界が再びやってきた。

 最初の冬の試練に辛うじて耐えた者も、狂おしいほどの望郷の思いと重くのしかかる絶望感にはどうすることもできない。最初の冬で体験してきたことは、生きるためには他を顧みる余裕はない、徹底的に自己主義を貫き、生と死の境を獣のようにただ生きることであった。そこには、人間としての誇りも羞恥心もなかった。

 しかし、二度目の冬に閉じ込められて、捕虜たちは生き抜くために、人間の心を取り戻すことの必要性を感じるようになった。獣のように生きることは長く続けることはできないのだ。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月23日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(78)第3章 青柳由造さんのシベリア

 ダガラスナの山地は氷が溶け、どこも湿地帯となり、水がビショビショと流れ出ている。春から夏にかけての重要な仕事に鉄道の敷設があった。冬の材木運搬用の鉄道であるが、私たちが通常考える鉄道建設とはかけ離れている。水が流れる湿地の上に丸太を並べ、その上にレールを置くのだ。レールの上を歩くとふわふわ動く。これが冬になると丸太はコンクリートで固めたのと同じ状態になり重い貨車に耐えることができるのだ。

 氷が溶けるのを待つように、野山には春の息吹があふれてくる。青柳さんは小さな草花を見て、この小さな命がどのようにしてあの冬を越すことができたのかと驚き、改めて生きていることの喜びをかみしめるのであった。

 食べ物に飢えている日本人にとって春の野山はいたる所に食べ物が満ちていた。野生のニラは、飯盒で水を使わずに蒸して食べると、甘味があっておいしかった。アザミの葉はゆで方が早いと口の中でトゲがチクチク痛い。ハコベラは少し伸び過ぎると茎の筋が堅くて美味しさが半減する。青柳さんたちは、情報を交わしながら工夫を重ねてあらゆるものを食べた。しかし失敗もあった。野生のニンジンや楢の木のキクラゲを食事代わりに食べていた者の中から、腹痛を訴えるものが出たし、中毒死した者も出たのである。森で暮らす人々や野生の動物は、長い年月の中でこのような失敗に学びながら生きることを学ぶのであろう。

 嬉しい発見があった。白樺の幹に斧で傷をつけると甘い樹液が出るのだ。空き腹にしみ込んで身体の奥から力が湧いてくるように感じられる。作業をしながら、朝、傷口に飯盒をあてておくと昼までに半分くらいは溜まる。作業の現場近くで白樺の木を見つけるのが楽しみであった。冬の間は、仲間が死ぬと人々は、「あいつも白樺の肥やしになる」と言いあった。雪の中に音もなく立つ白樺は厳冬を支配するもののごとく恐ろしく思えた。それが今や人間に恵みの樹液を与えてくれる。半透明の液体は、青柳さんには零下40度の凍土を生き抜いた生命力の源のように思え、頼もしくさえ感じられるのであった。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月22日 (金)

「クリーン前橋作戦会議の記者会見」

◇会見は、自民党県連の会議室で行われた(21日)。

高木市長再選後に、市長の親族が経営する会社の所得隠し等が次々に報じられ、市民の関心は一気に高まった。私の事務所にも多くの意見が寄せられていた。その中には、「なぜ、選挙戦の中で疑惑をもっと解明できなかったのか」とか、「あのような事実が分かっていたら投票しなかった」などの意見もあった。

 前日幹部が会議し、このような情況に「クリーン前橋作戦会議」がどのように対応するかを表明することが必要だと言うことになり記者会見に至ったのである。

 私は、表明すべきことを文書で用意して読み上げた。そのポイントは次の3点である。

(1)「クリーン前橋」を揚げて戦ったことは基本的に正しかったと考えていること。この旗印の目的は、前橋市政に対する信頼の回復であった。高木市政に対しては以前から利権がらみの噂があり不透明感がつきまとっていた。市政に対する信頼を回復するためには、黒い霧を晴らし、クリーンなイメージの政治を実現する必要があると私たちは考えた。ところで、この事は、選挙戦では、事柄の性質上具体的な事実を挙げて主張することは出来なかった。しかし、選挙が終わるのを待っていたかのように疑惑が報じられ、私たちの主張が正しかったことを裏付ける結果となった。

(2)「クリーン前橋作戦会議」の活動は今後も続けること。この「会議」の目的が市政に対する信頼の回復である以上、単に選挙の手段とすべきでなく、目的達成のため継続して努力することは当然なことだからである。事務所と事務局を設ける計画であることも表明した。

(3)髙木市長に対して、一連の疑惑に関して十分な説明責任を求める事。政治家の責任は、たとえ法的に証明されなくても免れることは出来ない。それが政治責任というものである。この事は、選挙と離れた通常の政治の場面でもいえることであるが、今回は、特に、選挙の重要なテーマとなっていたのだから、疑惑に対する説明責任は重い。記者からは、どのような形で説明責任を追及するのかと質問があった。同志の市会議員が市議会の場で追及すること、記者会見でこのように説明責任を果たすように求めること自体も追求の方法であること、また、今後の事態の推移の中で方法は考えるべきこと等を答えた。

◇中国産食品の残留農薬の状況は呆れるばかりだ。国の検疫所の検査率が一割ちょっとだから輸入品の安全は地方が守るより外はない。ぐんまの食品検査は広く、①食品安全検査センター②衛生環境研究所③食肉衛生検査所が担う。私たちの生活に身近かな機関は①のセンターだ。県の監視員が民間のウォッチャー200名と協力して店頭からサンプリングし残留農薬などを検査する。中国産ウナギのかば焼きからの発癌物質の検出や中国産毒ギョウザの検査もここで行われた。今議会で、食の安全は問題となるだろう。県の取り組みを注目する機会にしたい。

(読者に感謝。)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月21日 (木)

「新型インフルエンザ対策本部を設置」

◇19日に始まった2月議会で一般質問は、26日、27日、29日、そして3月3日に行われる。ここで、新型インフルエンザに関する質問者が何人かいると思われる。パンデミック(大流行)が確実視される今、県議会の質問を機に県民の危機意識が高まり、行政も万全の対策を目指すことが期待される。

 県行政もその方向で動いている。「新型インフルエンザ対策室」が昨年4月に設置されたが、近づく危機に対応するために組織を強化させ、今度、「感染症危機管理室」が設置されることになった。そして昨日(20日)、県庁内に「新型インフルエンザ対策本部」が設置された。対策本部長は大沢知事である。

「どの位死者がでるのか」とよく聞かれる。国内で2500万人の感染者と25万人近い死者、本県では、75万人の感染者と1700人の死者と推定されている。これは、アジアかぜ、ホンコンかぜ等の中程度のインフルエンザをモデルとしたものだが、今回予想されるものはもっとも強力のものであるという。

◇県は現状をどのように認識しているか。6段階に分けた第3の段階にあると見ている。第6とは最悪の国内大流行期のことで、第3とは「ヒトからヒトへの感染はないかあるいは極めて限られている」段階のこと。東南アジアを中心に鳥からヒトに感染し、230人以上の死者が出たと報じられている。「新型」とは、ヒトの体内で突然変異を起こしたウィルスのことで、ヒトからヒトへ感染するものである。中国で先日、ヒトからヒトに感染して死者が出たが「新型」ではないと報じられた。

◇県は、新型インフルエンザ対策マニュアルを作製した。対応の主な柱となるのは、保健予防課、保健福祉事務所(保健所)、衛生環境研究所(前橋市下沖町)、医療機関、市町村である。

 保健福祉事務所では、「発熱相談」を実施する。ここで発熱外来、指定医療機関への受診指導等を行う。相談は電話で行い来所は受けつけない。所員への感染を防ぐためである。発熱外来は原則として医療機関であるが、大流行して病床が不足する場合、公民館・体育館等の公共施設にも設置。この場合、これら公共施設は新たに診療所としての許可を取得することになる。衛生環境研究所の任務は、検査を実施し、情報を収集・分析し関係機関にそれを提供すること等である。

◇気になることは、抗インフルエンザウィルス薬・タミフルの投与に関することである。とくに限られたタミフルの投与優先順位の原則が問題になる。それは犠牲者を少なくし社会の混乱を抑えることを基本にしなければならない。そこから医療従事者と社会機能維持者には発病予防のための投与(予防投与)が要請される。次に治療投与順位は、①新型入院患者、②死亡リスクの高い患者(透析患者・免疫不全患者・妊婦等)、③子供(14歳以下)、④老人介護施設入所者、⑤一般外来患者、等である。一般質問でどのような応答がなされるか注目したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月20日 (水)

「2月議会が始まった。」

◇7時半、開会日当日の恒例の朝食会があった。私は、全議員の前で、選挙で御苦労をかけたことに感謝し、それを生かすことが出来なかったことを詫びた。選挙を振り返ると後味の悪いものが残る。耐えることが第一だと自分に言い聞かす。

◇2月議会は、当初予算を決める最も重要な議会である。本会議開会前に群馬交響楽団の演奏がおこなわれるのが恒例となっている。この日の曲目は、ベートーヴェンの「運命」であった。運命はこのように扉を叩くのだとベートーヴェン自身が語ったといわれる勇壮にして悲壮な旋律が私の心の扉を叩く。聴覚を失って遺書まで書いたベートーヴェンは、絶望の渕からはい上がってこの曲を作った。心が洗われ、勇気が湧くのを感じた。議場の人々はそれぞれの思いでこの曲に耳を傾けたに違いない。人の世の争いごとが愚かに思える瞬間であった。

◇本会議が始まると大沢知事は登壇し、就任後初めての本格的な予算編成の方針及び主要な施策について発言した。主なものを紹介する。「生活文化部」の新設、東京銀座に、6月、「ぐんま情報センター」の開設、「ぐんま少年の船」を中止し、小・中学生を対象とした「尾瀬学校」のスタートなど。これは、昨年8月に尾瀬国立公園が誕生したことを契機に群馬の小・中学生が一度は尾瀬を訪れ貴重な自然の中で環境学習を行えるようにしようとするもの。

 子育て支援については、医療費補助の対象を入院は中学卒業まで(これ迄は5歳未満まで)、通院は就学前まで(これ迄は3歳未満までだった)にそれぞれ拡大。新たに3歳児のための保育士配置を行う。

 医療の確保・福祉の充実については、新たに「医師確保対策室」を設置し、医師確保に全力で取り組み、また、ドクターヘリの導入や重粒子線治療施設の整備を行う。

 防災対策としては、新たに危機管理室を設置、また、「新型インフルエンザ対策室」を改編・強化するため「感染症危機管理室」を設ける。

 食の安全に関しては、輸入加工食品の安全検査など食の安全・安心の確保に取り組み、「食品安全会議事務局」を分かりやすい名称・「食品安全局」に変更し食に関する安全・安心の総合窓口機能を明確化する。

 今年の全国規模のイベントとしては、3月29日から、「全国都市緑化ぐんまフェア」を開催、百万人の来場者を見込む。6月には「食育推進全国大会」を、また、8月には、「全国高等学校総合文化祭」をそれぞれ開催する。その他新たな企画として、「企業誘致推進室」の設置、中高年を対象とした「シニア就業支援センター」の開設、群馬の農産物のブランド化を推進するため「ぐんまブランド推進室」を新設、CO2対策として、「森林吸収源対策推進資金」の創設などを行う。

◇金子泰造氏が去ったため金子一郎氏を前工団議員に選出。予算特別委員会が設けられることになった。自民党の中で、委員が選任され、私が委員長になる予定だ。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月19日 (火)

「高木市長には説明責任がある」

◇前橋市長の実兄の会社の巨額な所得隠しが市長選で高木氏の再選が決まった直後に発表された。選挙への影響を避けようとした国税局の判断だと思われる。しかし、高木市長が大勝した結果から見れば、皮肉なことに、国税局の判断が主な勝因を作ってしまったともいえる。

 高木市長の兄が経営していた建設会社など2社が国税局によって150億円の所得隠しを指摘されていた。追徴税額は約60億円。税の専門家によれば追徴税を課されるのは国税局が事態を重く見ていること、つまり脱税ととらえている証拠だと言う。2社の中の一つは高木建設である。この会社は平成4年国土法違反事件を起こしたが、当時、現市長は高木建設の監査役を務めていた。高木建設(株)グループ企業に対しては国税当局が長期にわたり査察を行っている。高木市長が一連の問題にかかわりがあるかどうかは不明だ。しかし、多くの市民は高木市長と高木建設が無関係とは見ていない。ある民間団体の調査では、公共工事に関する疑惑度で前橋は全国でワースト4だという。これは、事実関係がどうなのかとは別に、市長の周辺に漂う不透明なムードから生まれているものと思われる。「市民力」を揚げて市民に訴えた高木市長としては、「知らない」では済まされない重大な説明責任がある。

 開票の結果は、66006票対、60102票であった。振り返って現職の壁は厚く高かった。これは、昨年の知事選で十分すぎる程味わったことである。あの時は多選の弊を破るという大義名分があった。今回は、市長を一期限りで止めさせる為の大義名分として、「クリーンな政治の実現」及び、「国・県・市の連携」を揚げたが、インパクトに欠けていたかも知れない。色々な所から敗因を聞かれるが、結果論は語りたくない。同じ作戦も勝っていれば見方が違ったものになっただろう。皆、よく頑張ったのである。敗れはしたが、得るものも大きかった。県会議員も市会議員も政策を勉強した。マニフェストの流れにどっぷりつかった。そこでの泳ぎ方は稚拙ではあったが実践で得た成果は一つの大切な財産である。市議会を、市長とのいたずらな対決の場とするのではなく緊張関係を生かして議会改革のためのエネルギーを生み出す場にして欲しい。金子泰造さんは敗戦の弁の中で、この選挙の結果を前橋市が発展するための一つの過程にしたいという趣旨のことを述べた。前橋市は、今大きな転換点を迎えている。平成の大合併が行われたが、まだ、富士見村の合併が進行中で、また、来年は中核市に移行する。市の行政の役割が増大し、議会の責任は格段に重くなる。市議会が本来のチェック機能を果たすことを求められている。市民の力を結集することが今、最も重要なことであるが、そのためには、市政に対する信頼が不可欠だ。従ってスタートする市議会の第一の任務は、今回の市長周辺の疑惑に関して市長の説明責任を問うことである。クリーンな前橋を求めて戦った同志市会議員の善戦を期待したい。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月18日 (月)

「熱い戦いは終わった。敗軍の将兵を語らず」

◇2日間の物語を今後の為に記しておこうと思う。16日、53ヵ所の決起大会が行われた。スタートは8時25分芳賀農協である。300人近い人々が集った。19番目以後は金子候補の地元といわれる地域で7時半まで、ハードなスケジュールで行われた。各地で多くの人が集まっており、尾身、佐田、中曽根、各国会議員は、当選の確信を押えてあと一歩ですと訴えていた。寒風の中、園芸のハウスの前、商店の軒下などに集る人々の姿を見て私も勝利を確信した。その夜の打ち上げ式で私は勝利を確実にするために投票箱が閉る迄頑張ろうと叫んだ。電話での依頼は、当日でも許される行為なのである。

◇17日は、長く苦しい一日だった。いつの選挙でも投票日にはいろいろな情報が飛び交う。午後2時ごろ、出口調査の結果がよくないと言う話が伝わる。いやな予感が胸に広がる。投票率は、相手陣営の強いといわれる地域で高いという情報もあった。午後8時過ぎ、笹川県連会長も出席・選対室は、重苦しい雰囲気に包まれていた。ため息をつく者もいる。金子候補夫妻は生きた心地もなくどこかで押し潰されそうな重圧に耐えているだろうと思った。これは経験者でないと分からない真実である。この時、ざわめきが走った。「朝日が高木氏の再選を伝えている」と誰かが叫んだのだ。「そんな馬鹿な」「まさか」こんな声があちこちで起こる。確かに朝日のインターネットには、「再選を果たした」「金子氏を振り切った」と書かれていた。

 10時、第一回の発表。開票率35%で高木、金子、同数の2万2千と伝えられると大きな拍手が起きた。次の開票に望みをつないで息を呑んで10時半を待つ。しかし、間もなく、高木当確のテロップが出ると、「あー」とため息が起きた。

 「セレモニーをしなければならない」幹部の苦しそうな声が聞こえた。金子夫妻も姿を現わした。私はマイクを握って言った。「皆さんの熱意は前橋市の発展に必ず生かされます。皆さんの心を生かせず選対としてお詫びします」。金子泰造さんは意外にしっかりしていた。「皆さん、長い間、本当にありがとうございました。愛する前橋市のために全力で戦うことが出来ました。結果は私の不徳の致すところ、心からお詫び申しあげます」。このような場合によく見られる一点を見つめて茫然、といった様子では決してなかった。全力をつくしきったことへの達成感が支えになっているに違いない。

◇高木氏再選の直後、私の携帯に、市長の実兄が経営する二つの会社が国税局の調査を受け150億円の所得隠しを指摘されたという情報が入った。時事通信の配信と確認。高木市長はかつて、その一社の監査役をしていた。これからの事実が高木市長とどう関わるかは不明だが一日早く報道されたなら選挙の大勢に影響を与えた事だろう。市長選の敗北も前橋市発展の一過程である。新しい一歩を始めねばならない。

(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月17日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(77)第3章 青柳由造さんのシベリア

  森の近くではところどころ水が湧き出しているが、流れる間もなく氷となってゆく。凍った地面は上へ上へと盛り上がる。初めての冬の厳しさは青柳さんたち日本人捕虜の心までも凍結するかのようであった。その上に、ノルマで苦しめられ僅かな食べ物しか与えられない人々は、次々に栄養失調で倒れていった。

<同僚が栄養失調で息を引き取る時は、誠に哀れでした。私はやせるタイプだからよかったです。太るタイプの人は、早く倒れたようです>青柳さんは、しみじみと述懐した。

 強制収容所では、栄養失調が進むと顔も身体も太ってきて、皮膚の色は水のように半透明になり表面がぶよぶよしてくる。そして、体力は急激に低下して自分の身体を支えることもおぼつかなくなり、口元がもつれ、何を言っているのか分からない。まわりの者が、あいつはちょっと変だと気付くようになると死期が近いのだという。

 このような過酷な生活に耐えられず、脱走を試みる者が時々あった。二人あるいは三人が一組になって計画を立てて実効するが、三日~四日するといつも射殺されて死体で戻ってきた。死体は見せしめとして宿舎の前で一日中雪の上に放置された。

<こんなむごたらしいことが、この世にあるだろうか。50年以上もたった今でも、あの光景は頭から離れません>青柳さんは怒りを目に表して振り返るのであった。

六 ダガラスナの春

青柳さんは、初めてのシベリアの冬を生き抜くことができた。自分が生きることだけで精いっぱいで他人のことぉ考える余裕など全くなかった。改めて周りを見ると多くの仲間が姿を消していた。シベリアの各地の収容所で初めての冬に多くの犠牲者が出た。適者生存の原理のフルイにかけられたといえるかもしれない。精神的条件も含め極限を生きる力を備えた者だけが春を迎えることができたのだ。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月16日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(76)第3章 青柳由造さんのシベリア

こんな命令を下すこともよくあったという。

「分隊ごとに、二人のハラショー・ラボーターを選び、これに20パーセントの増食とし、また、4人のニエ・ハラショー・ラボーターを選び、これに10パーセントの減食とせよ」と。

 ハラショー・ラボーターとは優秀な労働者、ニエ・ハラショー・ラボーターとは不良労働者という意味である。ハラショーは、良いという意味で、私たちが、ハバロフスクを訪ねた時も、日常会話の中で時々使われているのを耳にした。ニエは否定を意味する。ラボーターは労働者である。

 ノルマが達成できない場合には、懲罰を加えられる場合もあった。それは、例えば意識的に怠けているとみなされる者が目をつけられ、営倉に入れられるのである。営倉は窓もない狭い地下の部屋で暖房はなく、夜は零下20度にもなる。収容された者は、凍死を免れるため、絶えず、身体を動かし足踏みをしていなければならない。ある体験者は、一生、絶対に忘れることのできない恐ろしい出来事だったと証言しているのである。

 飢えた日本人は、ノルマを超過達成して増量の食事を得ることに懸命であった。しかし、そのために体力を消耗させて倒れ、ついに死に至るものが多かった。

 ソ連人の囚人は、増食を求めて余分に体力を使うことは決してなかったという。彼らは懲罰で死ぬことはないが、無理をして体力を消耗させることは死の原因になることをよく知っていたのである。

 日本人の中にも増食に釣られることの危険性を見抜いている者もいた。ノルマ万能の中で80パーセント主義を貫いたというある日本人は次のように証言している。

「屈強な若者は、みな超過ノルマを目指して夢中で働いたが、長くは続かなかった。1、2ヶ月過ぎるとみな身体をこわして病床に伏する状態になった。しかし、私は、ソ連のために身体をこわしてまで働く愚はないと思い、最初から80パーセントしか働かなかった。お陰で私は、長い捕虜生活の間一度も病気になったことはない」

 とにかく、ダガラスナの冬は厳しかった。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月15日 (金)

「首相夫人来る、事務所は超満員」

◇青果市場で訴える。朝6時40分選対幹部は前橋青果市場に集合した(14日)。いずれの選挙でも、候補者は朝、ここで演説するならわしである。市民の胃袋を担う人々が寒気の中できびきびと動いている。7時、K候補を先頭に野菜や果物の山の間を縫って握手して回る。八百屋さんが年々少なくなっていることを感じる。中国産に押されること、地域農業の衰退、八百屋の後継者難等々の影響である。野菜の山を見ながら中国産農産物の危険性を考え日本の農業を守らねばならないと思った。場内の一角で黒山の人だかりが出来威勢の良いせりの声が上がっている。せりが終わると場内アナウンスが流れ人々が中央に集ってきた。笠井社長が市長選のことを説明する。

 まず初めにと笠井さんに紹介されて私は演説台に立って、「最後のお願いです、K候補は市長になって、農業を守り、この市場を守り、皆さんと力を合わせ前橋市民の食を守ります、どうか勝たせて下さい」と前座の主張をし、マイクをKに渡した。

 K候補はここに至っても真剣に政策を説明している。選対幹部の中には政策より情に訴えろという者もいる。しかし、必死で政策を訴える姿が人々の情に訴えているように、私には思えた。

Img_0218 ◇福田貴代子さんがK候補の事務所に現れた(14日)。情報を得たのは前日の夕刻である。広い会場は人々であふれた。大広間の前方は舞台になっている。私たちは人々に押されて壇上に上がり、人々は壇に膝が着く迄前進した。

 初めに私がマイクを握って叫んだ。「マラソンでいえばゲートが見える所まで来てエネルギーが尽きようとしている時、今日の夫人の励ましは最良の栄養剤です。上州人は義を重んじます。夫人の熱い心にこたえなければなりません。このプレゼントを最大限生かして当選を獲ちとりましょう」

 貴代子さんはマイクをとって語り始めた。「主人が来たいと申していましたがどうしても時間がとれず、お前が行けということで参りました。主人はどうしてもKさんに市長になって欲しいと申しておりました」

一区切りごとに会場からどよめきが起きる。婦人の話が終わるのを待ってK候補が感極まった声で感謝と決意を表明すると会場のどよめきは一段と高まった。タイムリーで強力な援軍は20分程で去っていった。あれは勝利の女神だったと後で振り返りたいと願った。

◇毒ギョーザは、混乱した中国社会を象徴する一場面にすぎない。選手も観客も命がけの「北京五輪」、という題をつけた雑誌を読んだ。新聞、テレビで断片的に報じられていることを集めたものだが、滅茶苦茶という感じだ。農村型社会から資本主義的社会に移行しつつある中で対応すべき法秩序が追いつかず、人々の意識も成長していないと思える。北京はWHO発表の地球上で最も大気汚染が深刻な都市の一つである。オリンピックも心配だが、このような国と正面から向き合わねばならない日本の難しさを思う。アメリカも中国も激震に見舞われている。日本も同じだ。激動の社会の選挙が終局を迎えつつある。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月14日 (木)

「戦いの終結が近づく。日毎に高まる手ごたえ」

◇7時半の朝礼では、「あと一歩で勝てると確信します。苦しい戦いですが心を一つにして戦い抜きましょう」と挨拶。檄を指名された市会議員が「がんばるぞう」とごつい拳を突き上げて吼えた。広い室内にいつもより威勢のいい声が響いた。

 朝礼が終わる頃、K候補が現れた。頬を紅潮させ、「皆さんに支えられ、命を賭けて最後まで戦い抜きます」と言って頭を下げた。丸い身体と丸い顔には闘士が感じられた。私の経験からすれば、限界に近い程疲れる頃である。毎日の手ごたえが最良の疲労回復剤になっているに違いない。マラソンでいえば、前方にゲートが見えた頃である。人間には誰にも予備のエネルギーが体内に存在するといわれる。例えば火事場の馬鹿力と言われるものだ。K候補を支える力もこの種のものかも知れない。

 団体・企業の総決起大会がJAビル大ホールで行われた(13日)。会場に入り切れず外に立つ人も多く出た。私は選対代表として挨拶した。「皆さん前橋を変える時が来ました。前橋には大きな可能性が秘められています。それを生かして魅力と活力ある県都をつくるために新しい市長を誕生させましょう」と。

 国会議員は尾身・佐田の両代議士が挨拶した。尾身さんは、クリーンな市長をつくらねばならない、それはKをおいて外にない、必ず勝てる、自信をもって頑張ろうと呼びかけていた。

 やがて、司会者が、K到着を告げる。K候補は大きな拍手に迎えられて登壇。追いつけ追い越せを合言葉に頑張ってきましたが完全に肩に手が届くところまできました、あと一歩、何としても勝たせて下さい、と訴えた。

◇集会を終えて外に出ると県連から携帯にTEL。明日14日13時30分、K候補の事務所に福田総理夫人・貴代子さんが激励に見えるとのこと。急拠、事務所と対応を協議した。ファーファーストレディが応援に駆けつける。強力な援軍である。この機会を生かせねばならない。

◇奇妙な事があるものだ。ある人が二枚の投票所入場券を持ってK候補の選挙事務所を訪れた。この人に、全く同一の内容の入場券が二枚届いたというのだ。私は選管に説明を求めた。その後、選管は印刷ミスはあり得ない、現物を調べると言ってきた。単純なミスか、それとも何か背景があることなのか。何が起きるか分からない言われる選挙戦だけにミステリアスなことを連想する人もいる。

◇オバマの勝利が続いている。オバマ氏は遂に22州を制し、獲得代議員数でクリントンを破った。最後の民主党指名獲得はまだ予断を許さないが、オバマの勢いは加速しているようだ。アメリカ人は、イラクでつまずいて威信を失った祖国を建て直すために劇的な変化を求めていると思える。黒人オバマは救世主になれるのか。アメリカの良心と暗部がオバマを取り巻く。暗部から狙う銃口を想像してしまう。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月13日 (水)

「各地の情況・殺気立つ陣営」

Img_0212  百か所以上の拠点遊説が行われた。拠点ごとに小規模な集まりをつくり、そこへ候補者が回っていき、演説をし、握手をする戦法である。選挙を知らない人は、選挙カーで大声をあげて走り回ることに対して批判的である。無意味だと言う人もいる。しかし、民主主義は有権者の実態の上に立つものである。まちのおじさんやおばさんは、候補者が回ってきたか、目を合わせる候補者の表情、声にこもる感情なども判断の材料にしているのだ。とはいえ、これは最低限の効果だ。選挙戦の歴史は、より効果的な選挙カーの使い方を模索する過程であったともいえる。拠点遊説は一つの到達点である。

 これにもいろいろあるが、私が県議選の時採用した戦略は、後援会が広がる一帯に十数か所のまち角の拠点を設け、それぞれに時間差をつけて数十人の人々に集まってもらい、次々に回っていくやり方である。このような事は後援会組織がしっかりしている所でなければ実現できない。だから、数人から数十人くらいの集まりを各地に予定して回っていくやり方もとられる。今回の市長選では、国会議員、県会議員、市会議員の組織を使って様々な形の拠点遊説が行われている。12日午後5時40分ごろ、私の事務所でも30人ばかりの小集会を急遽計画し、拠点遊説のルートの中に組み込ませた。私の熱心な支援者がいて、「私はのりおさんが好きだから、あなたを応援するのよ」と言うと、K候補は、顔をほころばせて「ありがとう、ありがとう」と言っていた。夕闇の中、赤いあかりをつけた選挙カーが去っていった。Img_0214

 夜8時半過ぎの幹部会は緊迫していたが、それは最後の力をふるって敵にとどめを刺す戦国武士の作戦会議はかくやと思わせるものであった。私は情況を聞いてひそかに勝利を確信した。

◇オバマ氏の連勝が伝えられ、アフリカ系黒人大統領の実現が近づきつつあると感じた。スーパーチューズディの後、ルイジアナ・ネブラスカ、ワシントンの3連勝が伝えられたが、今度はメーン州を制して4連勝となった。これ迄の獲得代議員の総数は、まだクリントンの方が多い。クリントン1,148、オバマ1,121でその差は27.スーパーチユ―ズディの直後の差は93であったから、オバマの猛追ぶりは凄い。

 人類の歴史を振り返るときアフリカ系の黒人の大統領が実現することは正に驚天動地の出来事である。オバマの父はケニアの出身だという。人類の歴史は肌の色による人種偏見の歴史であった。白を頂点とし黒を最下位に位置付けその間に黄色や褐色があった。そして肌の色は優劣と一致し、黒はいまわしい色とされ、黒人は進化の過程から外れた人種とさえ言われた。奴隷制を克服して歩んできたアメリカの正義の基本には人種の平等がある。イラクでつまづいてアメリカの正義が疑われ出した時にオバマが台頭したことに大きな意義がある。そこには、アメリカの誇りである正義を取り戻したいというアメリカ国民の願いがこめられているに違いない。(読者に感謝)

★土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月12日 (火)

「血戦の火蓋は切られた。29会場は熱く燃えた」(10日)

 朝7時半の東照宮、8時半の総社神社、この二つの神社の必勝祈願祭には大沢知事も参加した。残雪を渡る風は身を切るように冷たいが、集った人々の志気は高かった。総社神社では、私も選挙の度に必勝祈願祭を行う。玉串を捧げ終わって庭におりると多くの支援者が集まっていた。選挙カーから引いたマイクを握って先ず、事務長の私が次のような第一声を放つ。「県都の明日が賭かった戦いです。心を合わせ必勝を信じて頑張りましょう」。大沢知事、国会議員が激励の挨拶をする間、K候補は、支援者の中に分け入って一人一人と握手。やがて候補者がマイクを握る。「これから6日間命をかけて戦い抜きます」と叫ぶ声に気迫がこもっていた。セレモニーの締めくくりは檄である。「がんばるぞう」と叫ぶ声が社の森に響いた。

 分散型の出陣式は総社神社を皮切りに、29か所で行われ、私は20か所以上の会場を回った。多くの会場で確かな手ごたえを得た。県議選や国政選挙の時、あまり人が集まらない地域の集会所に普通のサラリーマン風の人々が続々とつめかける光景が随所で見られた。マニフェストや公開討論など新しい時代の流れを感じさせる選挙戦だと思っていたが、それは、出陣式の各会場にも現れていた。各会場には、ウーロン茶すら出ていない。人々も飲食が一切ないことを当然と思っている。膝を並べた支援者たちは弁士の言葉に真剣に耳を傾けていた。

◇選挙戦の渦中にある身として、アメリカの大統領の記事に視線が引かれる。新聞は、オバマ氏が3州で圧勝と報じている。5日のスーパーチューズデー後の、ルイジアナ、ネブラスカ、ワシントンの各州の選挙戦の結果である。ニューズウィーク誌の世論調査では全米の支援率もオバマ氏が首位に立った。アメリカのあるジャーナリストは、オバマの反響はかつてのケネディの時に似ていると語った。ジョン・ケネディは43歳で大統領に当選し全世界に新時代の到来を告げるさわやかな衝撃を与えた。彗星のように現れ一発の凶弾で忽然と去ったケネディは神話となった。アメリカ社会ではケネディ神話はまだ生きているという。だから、ケネディ家の人々がオバマ支持を打ち出した影響は大きいらしい。オバマ氏を支える支援の輪は行き詰まったアメリカに新しい道を求める人々の期待から生れている。ふるさと塾でコロンブスの新大陸発見に続く長い奴隷の歴史を話したことがある。リンカーンによる奴隷解放は1863年のことだ。オバマの躍進に、アメリカの民主主義の淒さと社会の復元力の健全さを思う。オバマの笑顔はクリーンさを感じさせる。我が候補もクリーンを旗印にしているが、それはどこまで有権者に受け入れられるであろうか。

◇新型インフルエンザは切迫した状況にある。90年前に大惨害を起こしたスペインかぜは「弱毒性」であったが今近づいているのは「強毒性」でより恐いものだという。予想される日本人の死者は64万人から210万人。発生したら人が集まる所へは出られないから3週間分の食料を備蓄すべきだという。忍び寄る悪魔に人々はあまりに無関心である。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月11日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(75)第3章 青柳由造さんのシベリア

Yuki ソ連では、社会主義の建設は労働者の労働にかかっている。そして、労働の成果は労働者の労働意欲にかかっている。この点は、基本的には私たちの資本主義の社会でも同じことであるが、労働意欲を起こさせる要因が大きく異なるといえる。私たちの社会では、働けばその成果は自分のものになり、より豊かになることができるし、働かなければ収入が減る。事業をやっている者は、努力しなければ倒産ということにもなり大変な憂き目を見ることにもなる。思想の自由、行動の自由が保障された制度の下で、人々は必死で働き、他より少しでも豊かにと競争する。その結果が資本主義社会の繁栄を支えている。だから資本主義の社会では社会全体の生産性を上げるために、労働を義務づける必要はない。

ところが当時のソ連の社会主義では、個人の利益追求という経済活動の自由が否定されるのだから(この点は、基本的には現在でも同じであるが)、人々は自分から進んで働こうとはしない。そこで、人々を働かせるためには、制度として労働の義務を課さねばならない。ここに、ソ連の社会主義を支える制度としてノルマが登場し、また、「働かざる者は食うべからず」ということが叫ばれ、労働意欲を高めるための工夫が国をあげて行われたのである。

ソ連の社会ではあらゆる面でノルマが行われた。それを象徴する次のような笑い話もある。「夫婦の夜の営みにまでノルマがあり、それを果たせない亭主は尻を叩かれ、朝早く起きて朝食の用意をさせられる」と。

このように、ソ連の社会にしみわたったノルマが、当然のことながら強制収容所にも持ち込まれた。捕虜であり、また、人権など全く無視される状況であったから、収容所におけるノルマの適用の仕方はより不合理で、かつ過酷であった。

正直で勤勉な日本人がノルマを達成すると次にはより厳しいノルマが課された。ノルマの達成度は、例えば、110パーセント以上が一級、その下の100パーセント以上は二級、その下の80パーセント以上は三級、それ以下は四級と評価され、それに応じて食事も差別された。

人々にとって飢えは、最も耐え難い苦しみである。だから食事の量とノルマを結びつけることは、収容所側として最も効果的な労働強制の手段であった。そこで、収容所は食べ物を餌にあらゆる手を使って人々をノルマに駆り立てた。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月10日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(74)第3章 青柳由造さんのシベリア

二人が身を引くと同時に、巨木は森中を震わすような咆哮を上げて倒れた。ドドーと地響きがして、同時に根本から離れた太い幹が白い切り口を見せて跳ね上がった。青柳さんは出現した切り口をじっと見つめていた。無数の年輪が詰まっている。それは、この酷寒の凍土で長い年月を耐え抜いた生命力のしたたかさを物語っていた。青柳さんは一仕事終えたという達成感とともに、森の木々の生命力に触れた感慨にしばしひたっていた。 青柳さんの身に事件が起きたのは、やっとの思いで切り倒したこの巨木の枝を切り落としている時であった。振り下ろした斧の先が、わずかの手元の狂いから幹の表面を滑り、右足の防寒靴の上に落ちた。瞬間、親指の付け根から激痛が走った。斧の刃は防寒靴の先をざっくりと切り裂き骨にまで達していた。すんでのところで、指の切断までゆくところであった。このような事件は伐採に当たる人々の間では常に起きていたのである。半世紀以上たった今でも冬になると痛みを覚える。また、親指の先は常に感覚が鈍くなっているのである。 青柳さんは伐採の仕事が危険で並々ならぬことを初日から味わった。そしてその夜、大変な事実を知らされた。それは、このダガラスナ収容所では、伐採中に木の下敷きになって死ぬ者、貨車に木材を積む時にくずれた木に押し潰されて死ぬ者、また、栄養失調で死ぬ者など、死者が続出し、その欠員を補うために青柳さんたち50名が回されたということであった。前年、つまり昭和20年の10月に、500人の日本人がこの収容所に入り、まだ、3カ月ほどしかたっていないのに、50人を超える死者が出たとは、何と恐ろしい所か。青柳さんは絶望感で目の前が真っ暗になった。 < ソ連では、何でもみなノルマです。ノルマを達成することは容易なことではありません。それができないと食事を減らされるのです。シベリアの収容所では、ノルマには本当に苦しめられました。 >  青柳さんは、しみじみとノルマについて振り返った。 ノルマという言葉は、私たちも日頃、無意識に使うことがあるが、これはロシア語で、シベリア抑留者によって日本に伝えられた言葉だという。これは、決められた時間にやらなければならない仕事量でのことである。シベリア抑留の中で、日本人を悩ませたこのノルマは、ソ連の社会制度と不可分な制度であった。 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 9日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(73)第3章 青柳由造さんのシベリア

多くの抑留者が語るところによれば、身体中に食いついたシラミは、人間が死
ぬと、すっとその体を離れ、隣の温かい体に移動するという。極限の飢えと寒さに対して死を賭けた対決を迫られた抑留者は、その生き血を吸って繁殖するこの小さな生命体とも対決しなければならなかった。暖炉でシラミを殺す男の背は、この現実を語っていたのであった。
 ここでの作業は伐採であった。伐採は主に冬の作業である。それは、冬は屋外での他の作業ができないことが多いこと、また、雪を利用して木材の運び出しに便利だからだという。
作業の現場は、収容所から40分ほど歩いた所にあった。気温は零下30度。シベリアの森は果てしなく深い。雪の森は呼吸を止めたように静かで奥は暗かった。青柳さんたちは、白い世界に飲み込まれるような恐怖心を抱いて森に足を踏み入れていった。現場に着くとこまごまと指示がある。例えば、切り倒すのは、直径30センチ以上の木であること、切り株は地面から30センチにせよ、そして、切り倒した木は枝を払って、長さ5メートルに切断せよという風に。そして、切った木は、横2メートル高さ2メートルに積み重ね、これが2人分のノルマと定められる。ノルマを達成できないとそれに応じた食事しか与えられないし、厳しい懲罰もある。作業は、まさに命がけであった。
 青柳さんたちは、規定の太さの木を選び、根本の雪を除いて、作業の場所をつくる。見上げると黒い松の巨木が天を突くようにそびえている。巨木は切れるものなら切ってみろとばかりの威圧感を示している。これの下敷きになったらひとたまりもないだろうと青柳さんは背筋が寒くなるのを覚えた。巨木との対決が始まろうとしていた。木が倒れる方向を見定め、そちらの方向の幹に斧をふるって斜めの切り口をつくり、その反対側から、大きな両引きの鋸(のこぎり)で二人でひき始める。二人の呼吸が合わないとなかなか進まない。反対側の切り口を目指して鋸の刃を進めるが思い通りに進まない。刃先の方向がずれると巨体の重心は切り口に向かわず、想定外の方向に倒れることになる。その下敷きになって命を失う日本人は多くいた。青柳さんたちは長い時間をかけ、何度も刃先の軌道修正をしながら、ようやく目的を遂げようとしていた。ミシミシよきしむ音が始まった。青柳さんと相棒は顔を見合わせた。やったなと互いの目が語っている。
「倒れるぞ、逃げろ」
 青柳さんは大声で叫んだ。
☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 8日 (金)

「討論会の凄い反響」

7日の公開討論会は広く市民の注目を集めたようだ。GTVの視聴率は15%を超えた。普通2ケタ台に乗ることは珍しいという。昨夜は、直後、いろいろな意見が金子事務所に寄せられた。「真面目な対応は買うが原稿を読むのはどうか」というものもあった。

 青年会議所は昨年の知事選の時も今回と同じような公開討論会を実施した。今回の反響を見て、この形が次第に定着するかも知れないと思った。マニフェストがにわかに選挙戦の重要な手段になったことと合わせて選挙の様相につき今昔の感を抱く。人々の民度が高まり民主主義が少しずつ進歩しているに違いない。

◇朝8時に朝礼をし、8時半から議員会議があった(7日)。

朝礼の挨拶は私から始まる。次のように訴えた。「決戦の火蓋が切られるのが秒読みとなりました。精神的にも疲れがたまっているでしょう。新しい前橋の姿を頭に描き勝利を信じれば乗り越えることが出来ます。心を合わせて頑張り抜きましょう」

◇私たちは選挙の渦中にいて喘いでいるが、海の向うでは世界の耳目を一点に集める選挙戦が進行中だ。ヒラリークリントン・オバマの攻防は歴史に残るサプライズになる。スーパーチューズディで決着がつくといわれたが延びた。予備選・代議員、党員集会、選挙人、とアメリカ大統領の選挙では様々な言葉が報じられるが「さっぱり分からない」という人が多い。

歴史的な出来事が進行しつつある時、それを理解するには、アメリカ大統領選についての知識が必要だ。現在ヒラリークリントンが涙を見せたとかオバマが買ったとか騒がれている各州の予備選は代議員を選出するためのもの。ある州で自分を支持する代議員(獲得代議員)を多く選出した者がその州の勝利者となる。これ迄に実施された多くの州の獲得代議員の合計は、ヒラリーが825・オバマが732と報じられている。代議員の投票によって民主党の大統領候補者がきまる。だから残りの州で獲得する代議員数との合計で候補者が事実上決まることになる。代議員が投票して大統領候補者を決めるのは、夏の全国党員集会の場である。この流れは、共和党についても同じだ。

 両党の候補者が決まると、一般投票に向けた全国遊説などの大規模な選挙戦が始まる。一般有権者は候補者に投票するが、これは大統領を選ぶのではなく「選挙人」を選ぶのが目的である。各州には決まった数の選挙人がいる。ある州で民主党の候補と共和党の候補が争って、民主党候補が勝てばその州の全選挙人を獲得する仕組みである。このようにして、獲得された選挙人によって大統領が選ばれることになる。これが間接選挙である。図示すれば、代議員選出→代議員による候補者の選出→一般人の投票による選挙人の選出→選挙人による大統領の選出。ややこしい間接選挙をとる理由は、一般有権者が直接に大統領を選ぶ直接選挙によるとムードや一時的な人気によってとんでもない人物が選ばれる恐れがあるからだ。選挙人投票は12月、大統領の宣誓式は来年1月である。「松明は受け継がれた」と語った48年前の格調のあるケネディの就任演説が思い出される。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 7日 (木)

「公開討論会の光景」(6日)

◇青年会議所主催の市長選挙公開討論会は午後7時から前橋テルサで行われた。青年会議所理事長は開会に当たり、討論会が投票率アップにつながることを願うと挨拶した。コーディネーターは群大の小林准教授。席順はクジで決められたが高木、金子、生方の順となった。連日熱い火花を散らしている高木、金子の両氏がお互いの息使いと体温が伝わるような位置に着いたことも両者をエキサイトさせた一要因であったと思う。

 コーディネーター(調整者)がルールを説明するとすかさず高木市長は、せっかくの討論会だから形式的なものにせず自由に議論し合えるようにして欲しいと提案。金子さんは、ルール通りにやるべきだと反論した。当然ルールに従って行われたが、それは、当事者同士のディベート(討論)は行われず、与えられた課題について限られた時間内で自分の政策や考えを発表するというものであった。高木市長は自分の発言の冒頭で、いわれのない誹謗中傷が行われていると金子陣営を非難。真面目な金子さんは老獪な挑発に載せられた感もあった。政策を競うとなれば、市政の実行者である市長は断然有利である。

 質問の中には、コンパクトシティとか道州制に関することがあった。これらは、現在の前橋の課題との関連で、前橋の将来像と結びつけて論ずるべきことである。金子さんは勉強していたことを真剣に論じていたが、これらは一般の人には少し難しいことなので真面目に発言した方が不利だったかもしれない。高木さんは、これらにはほとんど触れず、現在の市政を語った。一般の聴衆は自分の分かることにしか耳を傾けないものだ。青年会議所が今回の討論会に真剣に取り組んだことには敬意を表するが、質問項目の選び方や進め方のルールについては今一工夫して欲しかったと感じた。GTVは全部を中継した。市長候補予定者の並んだ姿から人物像を比較観察出来たことが今回の討論会の成果であったかも知れない。

◇討論会が終わったのは午後8時半。記者たちと立ち話しをした後、金子事務所へ向った。9時半から幹部の選対会議。皆疲れた顔をしている。激論を交わす場面もあった。昨年4月の県議選を思い出した。この事務所は喧嘩が少ないと思う。そのことが良いことかどうかは別であるが。祈願祭のこと、出陣式のことなど一通り議論をして結論を出したとき午後十時半を回っていた。戦いだと思えば多少の辛さは何でもない。苦しみの中から血路を開かねば勝利はつかめないのだ。

◇毒入りギョウザの謎が深まり激震は全国に及んでいる。問題はギョウザだけではない。国も行政も企業も食の危機に対して無力であることを露呈した。地方行政の役割は大きい。食育、農産物の自給率アップなど真剣に取り組むべきだ。オリンピックはどうなるのだろう。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 6日 (水)

「また死刑判決、やりきれない気持ちだ」

◇最近、前橋地裁で死刑判決が続く。今月4日三つめの死刑判決が出た。いずれも暴力団の抗争事件に関係した殺人事件の被告。前の二つは平成15年に三俣のスナックで起きた殺人事件の実行犯とされた人たち、今回の判決は、安中市と旧松井田で起きた暴力団組員の殺人事件の被告に対するもの。毎日の演説で安全安心のまちづくりを訴えながら、死刑の事を考えてしまう。

 ある雑誌で、死刑執行に立ち会った元刑務官の報告を読み暗い気持ちになった。死刑囚は朝が怖いという。午前10時の室内体操の音楽を聞いて、「今日はない、生き延びた」と安心する。処刑室に連行するときは刑務官が押し倒し力ずくで後ろ手に手錠をかける。他の刑務官はロープで足首を縛る。泣き叫び多くの者は越が抜けて立てないのだそうだ。足元の板が開くと落下の衝撃で口腔などから鮮血や体液などが飛散する。こんなことが書かれている。正に極刑である。死ぬ迄は人間なのに、動物のように扱っている。文明国日本の残された暗部か。

 日本人の8割は死刑制度に賛成している。世論だけで制度の存続を認めてよいのかと言う疑問も湧く。制度を廃止したら凶悪殺人はもっと増えるのか、裁判員制度のもとで間違いのない死刑判決は実現可能なのか、身近かな死刑判決を聞いて色々考えてしまう。

◇四つの励ます会に出た(5日)。尾身、佐田、中曽根の各自民党の国会議員に、加藤公明党国会議員も加わって、各会場の光景は面白かった。尾身さんは、「今度の市長選ではクリーンな前橋を作ることが大切な点です」、「世界で最先端の重粒子線治療が始まります。金子さんが市長になってサポートして欲しい」と、加藤さんは「オンブズマンが、全国の建設業の透明性を調べたら前橋はワースト4だった。品格のある市長を選ばなければなりません」などと、それぞれ訴えていた。地域の演説会は面白い。人の前で話したことがない様な人が、よくマイクを持たされる。上細井町の公民館では「金子泰造さんの当選をお祝い申し上げます」とやって爆笑が起きていた。お祈り申し上げますというつもりだったのであろう。「和気あいあいでは勝てませんよ」と尾身さんが厳しく指摘している姿が印象的であった。

◇海の向う、アメリカも選挙で沸き立っている。共和党のブッシュの次は、民主党の誰が大統領になるのか世界が注目しているが、今回の選挙が一層注目される要因は、ヒラリークリントンなら初の女性大統領、オバマなら初のアフリカ系黒人大統領が誕生するという大サプライズである。リンカーンの奴隷解放宣言は今から145年前のこと。オバマ氏の躍進が伝えられる度に、アメリカの人種問題、そして人類の進歩を考える。矛盾に満ちたアメリカはどこに行くのか。オバマ大統領が誕生したら世界はどう変わるのか。歴史の巨大な歯車が動く瞬間から目が離せない。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 5日 (火)

「久しぶりに人集めの緊迫感を味わう」

Img_0211 ◇医療・福祉・文化・スポーツ等の私が顧問を務めあるいは支援をうける団体の人々に集まってもらった。前橋市総合福祉会館の大きなホールである。柔道、弓道、書道、薬剤師、接骨師、美容組合、中国帰国者協会等々30数団体である。なかなか選挙がらみの集会に人々は集ってくれない。自分の名と責任で企画した集会は特に神経を使う。ガラガラだったらどうしようと心配だった。朝から電話して、この選挙の意義と重要性を説明し、参加を訴えた。

 午後6時、亀里町のJAビルで農林業団体の集会があり、私は主催者代表として挨拶。すぐに飛び出して7時に始まる私の企画した会に向った。6時40分頃、日吉町の福祉会館に着く。会場をのぞくとパラパラだった。祈るような気持ちで入り口に立って人々を迎える。いつも、このような集会の時に味わう緊迫感である。定刻が近づくにつれて続々と人の列が続き、7時、ほぼ満席となり、私の胸は沸き立つような感激で満たされ、先程迄の疲れは吹き飛んだ。開会後も参加者は続き、結局四百人近い人が集まってくれた。

 私は主催者として、先ず、他の集会とは異なった層の人々に対しこの寒い中、よく集まってくれましたと感謝した。そして続けた。「皆さん、今、地方の時代と言われます。それは、地方が力を合わせ、その地の魅力と活力を引き出して真に豊かな古里を創らなければならないということです。それには信頼されるリーダーが必要です。金子泰造さんは、私欲の無い人で純粋に前橋のために自分の全てを捧げようとしています。そして誰もが誇れる前橋を創ろうとしています。その基礎に文化を据えようと考えています。皆さんの存在、皆さんの支援は極めて重要です。金子泰造と力を合わせて心豊かな県都を築こうではありませんか」と。

 佐田玄一郎さんが演説し、続いて薬剤師会の代表、市会議員と登壇した。金子泰造さんは未だ現われない。他の会場が重なっているのだ。尾身幸次さんが駆けつけた。尾身陣営が真剣になっている。選挙になると異常なほど燃える尾身さんの気迫が演説の中に現われていた。尾身さんの話が終わり弁士が尽きた。私はすかさず立ってマイクを握り、「皆さん、御迷惑をかけますがお許し下さい。嬉しい悲鳴なのです。いくつもの会場が湧き立っているのです。私がつなぎで少し話をさせて頂きます」。少し話したとき、泰造さんの丸い顔が入り口に現われた。金子さんは会場の様子をみて疲れを忘れたように訴えた。「昔は、文化では飯が食えないと言われましたが今は違います。私は前橋の文化と伝統を生かしその上に医療や福祉を充実させ誇れる前橋を築くために命をかけます」。金子さんの叫びに大きな拍手が湧いた。檄が終わると人々が動き出す。金子さんは出口に立って一人一人と固い握手を交わしていた。中味のある集いが出来たと改めて思った。戦いの夜は熱く燃えた。

(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 4日 (月)

「日中吹奏楽フェステで中国語で挨拶」

◇県民会館大ホールで吹奏楽フェスティバルが行われ、大会会長として挨拶した(2日)。中国側参加団体は、北京少年宮など6団体、前橋市からも二中、四中、木瀬中などが参加。私の中国語の一句切りごとに拍手が起きた。伝わっていることが分かって胸が熱くなった。私は中国語を流暢に話せるわけではない。四百字詰一枚分位を暗記していて、それを少しずつアレンジして長年挨拶に使ってきた。昨年の訪中の時は、公式の場で数回やった。困ることは、私が相当出来ると誤解されて、挨拶のあと中国語で話しかけられることだ。 今回の内容はかなり中国を持ち上げるものだ。会場に居た娘が拍手のわけを知りたがるので話したら、「あんなひどい国を何でそんなに誉めるの」と言う。私は、「冷凍ギョーザ」の嵐に曝されている時なので気の毒に思い慰めるつもりもあったのだ。 ◇初雪に戸惑う(3日)。窓の下にいる秋田犬のナナの鼻息がいつもと違う。ハッと思って窓の外を見るとしきりに雪が降りかなり積もっている。よわったなと思った。8時に金子事務所に行くのは何とかなるとしても「理科の面白実験教室」が心配だった。「理科の面白さを育てる会」を立ち上げ、2年もかけて議論し、やっと実現にこぎつけ、60人を超える子どもたちの申し込みがあったのに、この雪では大半がこられないのではないかと思ったからだ。 芳賀から里に出ると大通りは車が走れる状態であった。金子事務所には多くの役員が集っていた。一週間後には戦いの火蓋が切られる。既に臨戦態勢である。折からの雪は人々の緊張感を高めているようだ。私のあいさつにも力が入る。選対本部長の中沢丈一さんが座長で議事が進められた。祈願祭、各地の出陣式などが議題となっていた。 私は会議の終了を待たず飛び出して、健康科学大学(旧医療短大)へ向った。午前の部は始まっていた。群大工学部の4人の教授とアシスタントの人たちは早くから駆けつけて準備をしていた。25人位の参加者を見て私は胸をなでおろした。 私は会の代表として挨拶した。「理科の勉強と思わないで楽しんで下さい。皆さんの心に自然に理科を楽しむ小さな芽が出れば素晴らしいと思います」スライム作り、入浴剤づくり、SUMP法による顕微鏡観察などに取り組む子どもたちの表情は楽しそうだった。午後の部も20数名が参加した。お母さんに顕微鏡をねだる少年の姿をみて私は嬉しくなった。また、参加したいという声もあった。 ◇節分なのだ。例年の通り、総社神社と、中心市街地の妙安寺の豆まきに出た。総社神社では、金子泰造さんも裃(かみしも)をつけて神事に参加し豆をまいた。間もなく祈願祭が行われるこの社で金子さんは戦の神に必勝を祈願したに違いない。浄土真宗の妙安寺には尾身代議士の姿もあった。市長選の潮流は方向を探りながら地下で不気味に動いていることを感じた。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 3日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(72)第3章 青柳由造さんのシベリア

シベリアの冬は一気にやってくる。寒さは日ごとに厳しくなってゆく。十月の初めだというのに吹きつける氷のような風は、身を切るようで、不安におののく人々に、これから本格化する寒気の不気味さを告げていた。ここで毎日、煉瓦づくりが続いた。土を練って形をつくる、釜に火を入れて焼く、乾燥したものを一輪車で運ぶ。零下30度の屋外の労働は、ノルマが課せられて厳しかった。初めてのシベリアの冬であった。日ごとに増す凄まじいまでの労働は人間の限界を超えると思われた。その上に、極くわずかな食糧ゆえのひもじさに耐えることがつらかった。このような状況の中で、毎日、3人、5人と倒れる者が出てきた。青柳由造さんたちは、早くも、シベリア強制抑留に伴う三重苦、寒さと飢えと重労働に対面したのであった。しかし、レンガづくりの作業は実は、比較的楽な作業であったのだ。このことが分かる時が間もなくやってきた。 五 ダガラスナ収容所 12月も末に近づいたころ、青柳さんを含め50人ほどが名前を呼ばれ、別の山の中へ移動させられることになった。夜、列車に乗せられ、数時間かけて着いたところは、黒い森が近くに迫るダガラスナ収容所であった。背の低い建物が三棟、闇の中に音もなく並んでいる。青柳さんたちは、その二棟に分かれて入る。ギィーと鈍い音がして扉が開くと、そこには異様な光景が広がっていた。中央に暖炉があり赤い炎がチョロチョロと動いている。まわりには二段の棚が並び、その所々に取り付けられた松明があたりをボーッと照らしている。松やにの臭いとムーッとする人の匂いが鼻をつく。棚の上からいくつかの黒い顔がのぞいて新参者をじっと見ている。こちらに背を向けて暖炉に衣類をこすりつけている者がいた。プップッと音がする。シラミを焼き殺しているのだった。衛生状態が極めて悪いこともあって、シベリアの強制収容所ではどこでも、この白い小動物に悩まされた。シラミの不気味さと凄さは、その繁殖力と生命力である。成虫は零下10度くらいでは動いているし、衣類に産み付けられたタマゴは零下40度でも死滅しないのだそうだ。身体中シラミに取り付かれ血を吸われ、気が狂うほどの痒さに苦しめられ、揚げ句の果ては、恐ろしい病原菌を移される。実際にシベリアの抑留者の中には、シラミに命を奪われた人もいたのだ。 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 2日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(71)第3章 青柳由造さんのシベリア

終結地には、民間人も多くいた。そして夜ごと、日本人女性の悲鳴、助けを求める叫び声が暗闇の中に響いた。夜間、女性がひそかに用を足すために仲間から少し離れたところを、狙っていたソ連兵に見つかり犯されているのだ。日本人に対する最悪の屈辱に対して、青柳さんたちは歯ぎしりするばかりで、いかんともすることができなかった。

捕虜集結地から出て、十日も歩いて、ロシア領に入り、列車に乗ることになった。ここでは、ウラジオストクまで列車で行き、そこから船に乗せて帰国させると言われた。

青柳さんたちは、ソ連兵に対する怒りや強い不信感を抱いていたので、彼らの言うことがどこまで真実なのか疑うようになっていた。9月も末が近づき、シベリアには本格的な寒さが訪れようとしていた。窓外の景色も一変した。低く垂れこめた鉛色の雲の下に広がる針葉樹林の黒い影は、酷寒の冬の到来を暗示しているようであった。

昭和20年10月2日の夜半に列車は止まった。翌朝早く叫ぶ声が聞こえた。

「おかしいぞ、レンガ工場だ。ここで働かされるぞ」

 着いたところはアムールの下流に近い極東の小さな町ビアゼンスカヤだった。帰国させるというのは偽りであった。人々は目の前に広がる光景に目を疑った。そして、鉄条網に囲まれた寒寒とした建物群が自分達を待ち受ける強制収容所であることを知って愕然とした。広い敷地の四つの隅には高い望楼があって、その上には機関銃を持ったロシア兵が勝ち誇ったように敗残の日本兵を見下ろしている。 後で分かったことであるが、ここは、終戦まではソ連の女囚の収容所であった。ソルジェ二―ツィンの『収容所群島』にあるようにソ連領内には、夥しい数の強制収容所があった。人々は政府に反対したとして、密告されて、ほとんど裁判も受けずに収容所に入れられた。ソ連の冷酷な収容所の制度が、外国人捕虜に対して、一層過酷であることは当然であった。このことを青柳さんたちはやがて嫌というほど思い知らされることになる。

☆ 土・日・祝日は、中村紀雄著「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年2月 1日 (金)

「中国産ギョウザの恐怖。本県2種類が販売」

◇県食品監視課は、千葉県、兵庫県で食中毒を起こした中国製ギョウザと同一商品2種類が県内店舗で販売されていることを発表した。

 千葉県のものと同じ商品は「CO・OP手作り餃子」、兵庫県のものと同一商品は「中華deごちそうひとくち餃子」である。

「CO・OP手作り餃子」は、生活共同組合コープぐんまの14店舗で、「中華deごちそうひとくち餃子」は、ベルク、ユニー、アピタ、ヤオコーの県内系列店舗で、それぞれ販売している。これまでに「CO・OP手作り餃子」を食べて下痢や吐き気を訴えている人が8人いる。相談窓口、問い合わせ先は、県食品監視課(℡027-226-2452)、及び、各保健福祉事務所である。県は、販売店に販売の自粛を要請した。全国の多くの県で被害が発生、その数は400人を超え、中には意識不明の重体になった人もいた。

 中国は眠りから醒めて金もうけに狂い出した巨大モンスターのようだ。モンスターの吐く毒気に国の検査機関はお手上げなのか、信用できない状態だ。02年ごろホウレンソウなどの中国産冷凍野菜から食品衛生法の基準値を大きく超す残留農薬が検出されて以来、中国産食品から有毒物が検出されたという報道は跡を絶たない。

その例として、昨年の7月、土用丑の日の直前、群馬県食品監視課は、前橋市内のスーパーで売られている食品を検査して、中国産冷凍ウナギのかば焼きから発がん性物質マラカイトグリーンが検出されたと発表し全国的に注目された。

 そして今回の冷凍ギョウザ事件である。私たちは、中国の毒に対してどう向き合ったらよいのか。輸入する水際の検査に限界があるとすれば、地方の行政がしっかりしなくてはならない。群馬県の食品監視課は、「冷凍ウナギ事件」で示した実績がある。県民の生命、健康を守るため有害食品を少しでも速く発見して公表して欲しい。的確な情報を速く提供することが重要だ。今回、千葉県などで被害が発生してから公表まで1ヶ月もかかった。他山の石とすべきだ。 昨年私は、北京を訪ね、オリンピックに向けて北京市全体が凄い勢いで変わりつつある光景に目を見張った。あの姿を今想像して思うことは食の安全である。8月に全世界から多くの人々が北京に集まる。食中毒が発生したらオリンピックは混乱するだろう。これは他人事ではない。

◇金子泰造さんの車接触事故のことが故意に曲げられて伝えられている。私は記者会見に先立って、現場で立ち会った警察官に会い事実関係を確認した。

朝の交通状況の、その場で車を降りられず迂回して相手と会った。この間5、6分。相手も納得してその場を離れ翌日現場検証した。金子さんの事故対応は適切だった。今月23日前代理人(弁護士)は告訴状を前橋地検に提出。1日おいて25日午後受理された。普通は数日かかるのでこれは異例の速さである。告訴状並びに金子さんの上申書がきちんと出来ていたこと、および、検察が事件を重視していることの現われではないかと思う。(読者に感謝)

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »