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2008年2月24日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(79)第3章 青柳由造さんのシベリア

初めての冬を越して、シベリアの生活にもいくぶん慣れたころ、青柳さんに、国営農場の作業がまわってきた。それは収容所の者がみな希望する作業であった。ジャガイモ堀りの場合にはジャガイモをかじることができたし、そのいくつかをひそかに持ち帰ることもできたからである。マメや果物の場合にも同様であった。

 共産主義の農業としてソフボース(国営農場)とコルホース(集団農場)があった。青柳さんが動員されたのはソフホースである。ジャガイモは9月下旬の霜がおりる前に収穫しなければならない。青柳さんたちは長い畝を受け持たされ、バケツと熊手を持って芋を掘り起こした。手のひらに乗るような手ごろなジャガイモを見つけると、看守の目を盗んでは土を落とし、かじった。

 生のジャガイモを食べるのは初めてのことであった。シャキシャキとかみ砕くと冷たい粒々がのどを伝って胃袋に落ちてゆく。飢えた胃が中から手を伸ばして引きずり込んでいるようだ。青柳さんは久しぶりの満腹感に酔った。

 国営農場で働いたある日本人の証言によれば、広い国営農場には農家が点在し、その周りには自作地があり、針金や柵でかこまれている。その自作地と国営農場がいかにも対照的なのだという。国営農場は草だらけなのに自作地の畑は草一本なく整然と耕されている。ジャガイモも国営農場のは小さく、自作地のは大きいという。これは、人間の意欲や本性を無視した共産主義の制度の欠陥を雄弁に物語る事実であろう。

 シベリアの夏は短い。9月に入り、夏が終わったと思うと、秋を飛び越したように冬がやってくる。青柳さんたちは、2度目の冬を迎えた。

 捕虜たちの目を楽しませ心を和ませてくれた陽光の中の自然は消えて、あらゆる妥協を拒否するかのような無慈悲な白の世界が再びやってきた。

 最初の冬の試練に辛うじて耐えた者も、狂おしいほどの望郷の思いと重くのしかかる絶望感にはどうすることもできない。最初の冬で体験してきたことは、生きるためには他を顧みる余裕はない、徹底的に自己主義を貫き、生と死の境を獣のようにただ生きることであった。そこには、人間としての誇りも羞恥心もなかった。

 しかし、二度目の冬に閉じ込められて、捕虜たちは生き抜くために、人間の心を取り戻すことの必要性を感じるようになった。獣のように生きることは長く続けることはできないのだ。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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