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2008年2月10日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(74)第3章 青柳由造さんのシベリア

二人が身を引くと同時に、巨木は森中を震わすような咆哮を上げて倒れた。ドドーと地響きがして、同時に根本から離れた太い幹が白い切り口を見せて跳ね上がった。青柳さんは出現した切り口をじっと見つめていた。無数の年輪が詰まっている。それは、この酷寒の凍土で長い年月を耐え抜いた生命力のしたたかさを物語っていた。青柳さんは一仕事終えたという達成感とともに、森の木々の生命力に触れた感慨にしばしひたっていた。 青柳さんの身に事件が起きたのは、やっとの思いで切り倒したこの巨木の枝を切り落としている時であった。振り下ろした斧の先が、わずかの手元の狂いから幹の表面を滑り、右足の防寒靴の上に落ちた。瞬間、親指の付け根から激痛が走った。斧の刃は防寒靴の先をざっくりと切り裂き骨にまで達していた。すんでのところで、指の切断までゆくところであった。このような事件は伐採に当たる人々の間では常に起きていたのである。半世紀以上たった今でも冬になると痛みを覚える。また、親指の先は常に感覚が鈍くなっているのである。 青柳さんは伐採の仕事が危険で並々ならぬことを初日から味わった。そしてその夜、大変な事実を知らされた。それは、このダガラスナ収容所では、伐採中に木の下敷きになって死ぬ者、貨車に木材を積む時にくずれた木に押し潰されて死ぬ者、また、栄養失調で死ぬ者など、死者が続出し、その欠員を補うために青柳さんたち50名が回されたということであった。前年、つまり昭和20年の10月に、500人の日本人がこの収容所に入り、まだ、3カ月ほどしかたっていないのに、50人を超える死者が出たとは、何と恐ろしい所か。青柳さんは絶望感で目の前が真っ暗になった。 < ソ連では、何でもみなノルマです。ノルマを達成することは容易なことではありません。それができないと食事を減らされるのです。シベリアの収容所では、ノルマには本当に苦しめられました。 >  青柳さんは、しみじみとノルマについて振り返った。 ノルマという言葉は、私たちも日頃、無意識に使うことがあるが、これはロシア語で、シベリア抑留者によって日本に伝えられた言葉だという。これは、決められた時間にやらなければならない仕事量でのことである。シベリア抑留の中で、日本人を悩ませたこのノルマは、ソ連の社会制度と不可分な制度であった。 ☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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