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2008年2月 9日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(73)第3章 青柳由造さんのシベリア

多くの抑留者が語るところによれば、身体中に食いついたシラミは、人間が死
ぬと、すっとその体を離れ、隣の温かい体に移動するという。極限の飢えと寒さに対して死を賭けた対決を迫られた抑留者は、その生き血を吸って繁殖するこの小さな生命体とも対決しなければならなかった。暖炉でシラミを殺す男の背は、この現実を語っていたのであった。
 ここでの作業は伐採であった。伐採は主に冬の作業である。それは、冬は屋外での他の作業ができないことが多いこと、また、雪を利用して木材の運び出しに便利だからだという。
作業の現場は、収容所から40分ほど歩いた所にあった。気温は零下30度。シベリアの森は果てしなく深い。雪の森は呼吸を止めたように静かで奥は暗かった。青柳さんたちは、白い世界に飲み込まれるような恐怖心を抱いて森に足を踏み入れていった。現場に着くとこまごまと指示がある。例えば、切り倒すのは、直径30センチ以上の木であること、切り株は地面から30センチにせよ、そして、切り倒した木は枝を払って、長さ5メートルに切断せよという風に。そして、切った木は、横2メートル高さ2メートルに積み重ね、これが2人分のノルマと定められる。ノルマを達成できないとそれに応じた食事しか与えられないし、厳しい懲罰もある。作業は、まさに命がけであった。
 青柳さんたちは、規定の太さの木を選び、根本の雪を除いて、作業の場所をつくる。見上げると黒い松の巨木が天を突くようにそびえている。巨木は切れるものなら切ってみろとばかりの威圧感を示している。これの下敷きになったらひとたまりもないだろうと青柳さんは背筋が寒くなるのを覚えた。巨木との対決が始まろうとしていた。木が倒れる方向を見定め、そちらの方向の幹に斧をふるって斜めの切り口をつくり、その反対側から、大きな両引きの鋸(のこぎり)で二人でひき始める。二人の呼吸が合わないとなかなか進まない。反対側の切り口を目指して鋸の刃を進めるが思い通りに進まない。刃先の方向がずれると巨体の重心は切り口に向かわず、想定外の方向に倒れることになる。その下敷きになって命を失う日本人は多くいた。青柳さんたちは長い時間をかけ、何度も刃先の軌道修正をしながら、ようやく目的を遂げようとしていた。ミシミシよきしむ音が始まった。青柳さんと相棒は顔を見合わせた。やったなと互いの目が語っている。
「倒れるぞ、逃げろ」
 青柳さんは大声で叫んだ。
☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

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