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2008年2月 2日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(71)第3章 青柳由造さんのシベリア

終結地には、民間人も多くいた。そして夜ごと、日本人女性の悲鳴、助けを求める叫び声が暗闇の中に響いた。夜間、女性がひそかに用を足すために仲間から少し離れたところを、狙っていたソ連兵に見つかり犯されているのだ。日本人に対する最悪の屈辱に対して、青柳さんたちは歯ぎしりするばかりで、いかんともすることができなかった。

捕虜集結地から出て、十日も歩いて、ロシア領に入り、列車に乗ることになった。ここでは、ウラジオストクまで列車で行き、そこから船に乗せて帰国させると言われた。

青柳さんたちは、ソ連兵に対する怒りや強い不信感を抱いていたので、彼らの言うことがどこまで真実なのか疑うようになっていた。9月も末が近づき、シベリアには本格的な寒さが訪れようとしていた。窓外の景色も一変した。低く垂れこめた鉛色の雲の下に広がる針葉樹林の黒い影は、酷寒の冬の到来を暗示しているようであった。

昭和20年10月2日の夜半に列車は止まった。翌朝早く叫ぶ声が聞こえた。

「おかしいぞ、レンガ工場だ。ここで働かされるぞ」

 着いたところはアムールの下流に近い極東の小さな町ビアゼンスカヤだった。帰国させるというのは偽りであった。人々は目の前に広がる光景に目を疑った。そして、鉄条網に囲まれた寒寒とした建物群が自分達を待ち受ける強制収容所であることを知って愕然とした。広い敷地の四つの隅には高い望楼があって、その上には機関銃を持ったロシア兵が勝ち誇ったように敗残の日本兵を見下ろしている。 後で分かったことであるが、ここは、終戦まではソ連の女囚の収容所であった。ソルジェ二―ツィンの『収容所群島』にあるようにソ連領内には、夥しい数の強制収容所があった。人々は政府に反対したとして、密告されて、ほとんど裁判も受けずに収容所に入れられた。ソ連の冷酷な収容所の制度が、外国人捕虜に対して、一層過酷であることは当然であった。このことを青柳さんたちはやがて嫌というほど思い知らされることになる。

☆ 土・日・祝日は、中村紀雄著「望郷の叫び」を連載しています。

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