« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(72)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | 「久しぶりに人集めの緊迫感を味わう」 »

2008年2月 4日 (月)

「日中吹奏楽フェステで中国語で挨拶」

◇県民会館大ホールで吹奏楽フェスティバルが行われ、大会会長として挨拶した(2日)。中国側参加団体は、北京少年宮など6団体、前橋市からも二中、四中、木瀬中などが参加。私の中国語の一句切りごとに拍手が起きた。伝わっていることが分かって胸が熱くなった。私は中国語を流暢に話せるわけではない。四百字詰一枚分位を暗記していて、それを少しずつアレンジして長年挨拶に使ってきた。昨年の訪中の時は、公式の場で数回やった。困ることは、私が相当出来ると誤解されて、挨拶のあと中国語で話しかけられることだ。 今回の内容はかなり中国を持ち上げるものだ。会場に居た娘が拍手のわけを知りたがるので話したら、「あんなひどい国を何でそんなに誉めるの」と言う。私は、「冷凍ギョーザ」の嵐に曝されている時なので気の毒に思い慰めるつもりもあったのだ。 ◇初雪に戸惑う(3日)。窓の下にいる秋田犬のナナの鼻息がいつもと違う。ハッと思って窓の外を見るとしきりに雪が降りかなり積もっている。よわったなと思った。8時に金子事務所に行くのは何とかなるとしても「理科の面白実験教室」が心配だった。「理科の面白さを育てる会」を立ち上げ、2年もかけて議論し、やっと実現にこぎつけ、60人を超える子どもたちの申し込みがあったのに、この雪では大半がこられないのではないかと思ったからだ。 芳賀から里に出ると大通りは車が走れる状態であった。金子事務所には多くの役員が集っていた。一週間後には戦いの火蓋が切られる。既に臨戦態勢である。折からの雪は人々の緊張感を高めているようだ。私のあいさつにも力が入る。選対本部長の中沢丈一さんが座長で議事が進められた。祈願祭、各地の出陣式などが議題となっていた。 私は会議の終了を待たず飛び出して、健康科学大学(旧医療短大)へ向った。午前の部は始まっていた。群大工学部の4人の教授とアシスタントの人たちは早くから駆けつけて準備をしていた。25人位の参加者を見て私は胸をなでおろした。 私は会の代表として挨拶した。「理科の勉強と思わないで楽しんで下さい。皆さんの心に自然に理科を楽しむ小さな芽が出れば素晴らしいと思います」スライム作り、入浴剤づくり、SUMP法による顕微鏡観察などに取り組む子どもたちの表情は楽しそうだった。午後の部も20数名が参加した。お母さんに顕微鏡をねだる少年の姿をみて私は嬉しくなった。また、参加したいという声もあった。 ◇節分なのだ。例年の通り、総社神社と、中心市街地の妙安寺の豆まきに出た。総社神社では、金子泰造さんも裃(かみしも)をつけて神事に参加し豆をまいた。間もなく祈願祭が行われるこの社で金子さんは戦の神に必勝を祈願したに違いない。浄土真宗の妙安寺には尾身代議士の姿もあった。市長選の潮流は方向を探りながら地下で不気味に動いていることを感じた。(読者に感謝) ☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

|

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(72)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | 「久しぶりに人集めの緊迫感を味わう」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「日中吹奏楽フェステで中国語で挨拶」:

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(72)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | 「久しぶりに人集めの緊迫感を味わう」 »