« 「告訴状を提出し、記者会見を行う」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(70)第3章 青柳由造さんのシベリア »

2008年1月26日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(69)第3章 青柳由造さんのシベリア

会議が終わったのは正午少し前であった。かくして日本は、無条件降伏を受諾した。そして、同日の内に、即ち、昭和20年8月14日、連合国に対して、受諾の申し入れを行った。

そして、翌15日正午、天皇自らマイクの前に立って国民に呼びかける、いわゆる「玉音放送」が行われることになった。徹底抗戦を叫ぶ将兵にとって、この放送が行われたら万事休すである。玉音放送を阻止しようとする一部の将校は宮中深く侵入して録音盤の在りかを血眼で探し回ったが、ついに発見できなかった。反対将校たちが機関銃をガチャガチャさせる音は天皇の耳にも届いたらしく、天皇は翌朝、藤田侍従長に言った。

「藤田、一体あの者たちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持ちが、どうしてあの者たちには、分からないのであろうか」

ついに15日の朝を迎えた。この日は、早朝からラジオで、正午に重大な放送があると流していた。また、新聞の朝刊は大見出しで戦争終結を報じていた。そこで、皇居二重橋前には朝から国民が次々とつめかけていた。正午の玉音放送があってからは一段と多くの人の波が押し寄せていた。

皇居前の広場は、額を玉砂利につけてひれ伏す人、座して天を仰ぐ人、両手を上げて万歳を叫ぶ人、ただ声をあげて泣く人などで、異常な興奮が渦巻いていた。「天皇陛下、許してください」と叫ぶ者がいる。自分の努力が足りないためにこういう結果になったことを詫びているのだ。焼土と化した帝都の一角、興奮と狂乱の渦の中で、緑に包まれた皇居は未曾有の災難をじっと耐え忍ぶように静かだった。

皇居二重橋に集った人々の心には、天皇に対する忠誠と尊敬の念だけでなく、遠い祖先から今まで日本人の心を支えてきた基盤が音を立てて崩れてゆく歴史的瞬間に際会し、その基盤の象徴たる天皇を慈しむという念がふつふつと沸き立っていたものと思われる。

終戦を受け入れることがいかにショックであったかを示す事実として、要人たちの自決がある。第1に最後まで抗戦を主張した、陸軍大臣阿南惟幾は、15日午前3時ごろ、日本刀で古式どおり腹を切って果てた。

☆ 土・日・祝日は、中村のりお著「望郷の叫び」を連載しています。

|

« 「告訴状を提出し、記者会見を行う」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(70)第3章 青柳由造さんのシベリア »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シベリア強制抑留『望郷の叫び』(69)第3章 青柳由造さんのシベリア:

« 「告訴状を提出し、記者会見を行う」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(70)第3章 青柳由造さんのシベリア »