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2008年1月19日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(67)第3章 青柳由造さんのシベリア

 政府や軍部はこれまでの天皇を中心とした日本国の形(国体)をどうしても守りたかった。右の回答からは、この点が非常に心配されたのである。そこで、重臣たちの中には、天皇に、ポツダム宣言受諾を考え直していただくようにと願い出る者もいた。阿南陸相らは、再び、非常に強硬意見を主張していた。 

 日本政府が決断できないでいることを見透かすように、翌13日米軍機は東京に来襲して、低空から大量のビラをまいた。それには、「ポツダム宣言を受諾した日本に対する回答」として、連合軍の考えが日本文で書かれていた。

 これは、軍隊を初めとした日本国内を混乱させる恐れのある由々しき出来事である。この時点では、国民にも軍隊にも、ポツダム宣言を受け入れて降伏することはまだ一切知らされていないばかりか、国外各地では激しい戦闘が繰り広げられ多くの人が命を落としていたし、また、国内の飛行場からは片道分のガソリンを積んだ特攻機に乗って次々に飛び立つ若者たちもいたのである。

 8月14日、天皇は早朝から政務室に出ていた。午前8時半過ぎ木戸内務大臣、鈴木首相が参内すると、天皇は非常に固い決心を示して、再度の御前会議を申し渡した。

 会議は、午前10時45分に開かれた。鈴木首相が開会を宣し、まず、反対の意見をお聞き取りの上、ご聖断を仰ぎたいと述べる。

 反対論者の中でも阿南陸相らは、天皇にすがりつくように、慟哭し、切々と訴えた。その姿からは、国を憂えるものの真情が溢れていた。それを見て、天皇も白い手袋で何度か涙を拭いた。

 阿南陸相の発言が終わり、少しの間、静寂が流れ、やがて、天皇が静かに口を開いた。これが第2回目の聖断である。

 天皇の言葉は、『侍従長の回想』によるものである。少し長いがあえて引用する。

 「私は世界の現状と国内の事情とを十分検討した結果、これ以上戦争を続けることは無理だと考える。国体問題について、いろいろ疑義があるとのことであるが、私はこの回答の文意を通じて先方は相当好意を持っているものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があるというのも一応最もだが、私はそう疑いたくない。要は、我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うから、この際先方の申し入れを受諾してよいと考える。どうか、皆もそう考えてもらいたい。さらに、陸海軍の将兵にとって武装解除なり占領というようなことは、まことに絶えがたいことで、その心境は私にはよく分かる。しかし、自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。・・・

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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