« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(64)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(66)第3章 青柳由造さんのシベリア »

2008年1月13日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(65)第3章 青柳由造さんのシベリア

昭和20年7月26日、日本に無条件降伏を求めるポツダム宣言が発せられた。それには、日本がそれ以外の選択をすれば、完全なる壊滅あるのみ、とあった。

 これに対し、政府は、「黙殺」の態度をとることにし、「あくまで、戦争遂行に邁進する」と発表した。連合国は、日本がポツダム宣言を拒否したものとして、日本政府が夢想だにしなかった悪魔のごとき一撃を日本国の頭上に振り下ろしたのである。これが8月6日早朝の広島市に対する原子爆弾の投下であった。

 マイアナ諸島のテニヤン基地を飛び立ったB29エノラゲイ号は、8月6日早朝、日本に侵入し、やがて広島市上空に達した。8時16分、目も眩む一瞬の閃光が走り、数千度の火の玉は爆風とともに広がった。大木も建物もチリのように飛ばされ、鋼鉄は溶かされ、数万の人々が焼き殺された。阿鼻叫喚、信じられぬこの世の地獄が出現したのである。

 米大統領トルーマンは、直ちに次のような声明を出した。

「6日、広島に投下した爆弾は、戦争に革命的変化を与えるもので、これは、原子爆弾である。日本が降伏に応じないかぎり、さらに他の都市にも投下する」

8日朝、天皇は、参内した東郷外相から惨状を聞いた後、次のように告げた。

「このような、新しい兵器が使われるようになったからには、これ以上戦争を続けることは出来ない。有利な条件を得ようとして時期を逃してはならぬ。速やかに戦争を終結するよう努力せよ」

 そこで、9日朝から、最高戦争指導会議が開かれた。三時間にわたる激論の末、意見はまとまらず、その後、第1回閣議を午後2時半から3時間、さらに、第2回閣議を午後6時半から午後10時まで開いたが、ポツダム宣言を受諾すべきか否か、閣僚たちの意見もまとまらなかった。この間にも、日本の運命を左右する重大事が続いて起きていた。同日午前、長崎に2発目の原爆が投下され、同じくこの日、ソ連が怒涛のように満州に侵攻を開始したのである。

 どうしても意見がまとまらないので、夜11時ごろ、鈴木首相は、天皇に御前会議を願い出た。宮中の地下豪の一室で御前会議が開かれたのは、午後11時50分であった。

 天皇の前で、おもな人々が意見を述べる。

 東郷外相と米内海相はポツダム宣言受諾説を述べ、阿南陸相は宣言受諾に反対して本土決選論を述べた。鈴木首相は、自分の意見は述べず、誠に恐れ多いことであるが聖断を拝して結論としたいと申し出た。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

|

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(64)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(66)第3章 青柳由造さんのシベリア »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シベリア強制抑留『望郷の叫び』(65)第3章 青柳由造さんのシベリア:

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(64)第3章 青柳由造さんのシベリア | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(66)第3章 青柳由造さんのシベリア »