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2007年12月12日 (水)

「身近に感じる死刑判決」

◇なぜ身近に感じるかといえば、判決が前橋市の殺人事件に関係しているからだ。前橋の三俣町で起きた殺人事件に関して二つ目の死刑判決が出た。私は事件が起きたスナックの前を時々通るがその度に映画のような殺人の光景を想像する。

 それは平成15年1月の深夜であった。指定暴力団稲川会系の元組長がスナックで一般客と飲んでいるところを対立する暴力団の組員2人が襲撃した。このヒットマンは、スナックの前にいた護衛役の暴力団員を射殺し、続いて中にいた一般客3人を射殺した。狙われた元組長は重傷を負ったが助かった。スナックの中は阿鼻叫喚(あびきょうかん)、正に地獄であったに違いない。

 この事件の背景には四ツ木斎場事件があった。斎場において暴力団の抗争事件があり、その報復が三俣事件だと報じられていた。実行犯は組の命令を受けた下っ端に違いないと思った。逮捕された実行犯の一人は死刑判決を受け上告中である。この実行犯は、死刑もあるということを考えなかったのか。どのような報酬を得ても引き合わないことをする人種を私は理解できなかった。同時に、命令を下した背後の人物こそ処罰しなければ正義は実現しないと思った。それにしても暴力団は怖い。一人一丁の銃を持つと言われる時代である。

 前橋市民が受けた衝撃は大きかった。「県議会は暴力団対策を何もしないのか、県営住宅に暴力団が入居したら大変だ」このような市民の声が寄せられ、暴力団員を県営住宅から排除する条例を作らねばという私の決心につながった。

 この事件を背後で動かした人物に東京地裁は10日死刑判決を下した。三俣事件の首謀者として重い責任を認めたのだ。裁判長は、「スナック内の一般客にも被害が及ぶことを認識して指示した。実行犯と同等以上の責任がある。反省の態度は見られず極刑をもって臨むしかない」と指摘した。

◇このようの人種が世の中には多いのが現実だ。そこで、仮りに日本で死刑制度がなくなったら凶悪な殺人事件は歯止めがなくなってもっと増えるのだろうか、それとも変わらないのだろうかと考えてしまう。

 私の書架には、東大の医学部を卒業して東京拘置所に医官として勤務した作家加賀乙彦の「死刑囚の記録」がある。多くの死刑囚が不安に耐えられず拘禁ノイローゼになることが書かれている。その日を迎えたとき、多くの死刑囚は腰が立たないような状態で引かれていくが、中には、少数だが真の宗教を得て旅立つ人もいるという。「とうとう最後の日が明日と告げられました。先生いろいろありがとうございました」と始まる医官宛の最後の手紙には胸がつまる。死刑は残虐な刑罰ではないということになっているが、死刑を迎えるまでの心理は想像を絶するもので、この点を考慮に入れるなら極めて残虐なものだ。

 ある日不意にお迎えが来る。刑の執行の直前に予告が行われるが、それは、前日の朝かその日の朝になされる。死刑の恐怖をもっと知ったほうがよいと思う。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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