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2007年12月24日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(56)第2章 塩原眞資さんのシベリア

 間もなく富士山が現れた。思わず、わぁっと声を上げる。山頂に雪をつけて青空にそびえる姿は神々しい。塩原さんの胸に熱いものがこみ上げ涙が流れる。思わず富士に向かって手を合わせていた。去り行く富士を見ながら、塩原さんは、日本は大丈夫だと確信した。 東京駅に着くと出迎えの人でごったがえしている。人波を分けて歩いていると、 「兄ちゃん」 大きな声がして一人の女性が走りよって塩原さんに抱きついた。妹だった。 「よく無事で、会いたかった」 あとは声にならずに泣いている。塩原さんも小さな肩を抱き寄せて泣いた。震えている胸から、頬の温もりから肉親の情が伝わる。塩原さんも声を上げて泣いた。止めどなく流れる熱い涙をこぶしでぬぐっていた。周りには十数人の近親者や友人もいた。次々に握手し抱き合って感涙にむせんでいる。塩原さんは、高崎線に乗り換えて、両親の待つ前橋へ向かった。 第3章 青柳由造さんのシベリア 1 風雲急を告げる中、召集令状届く 前橋市田口町在住の青柳由造さんは、新潟県古志郡で生まれ育った。もう80に手が届く高齢だが元気に車を運転し、かくしゃくとして日常の生活を楽しんでいる。端正な顔に浮かべた穏やかな笑顔や気配りの利いた態度からは、激動の昭和を生き抜いた激しさ、中でも、シベリアで極限の体験をした姿を想像することは難しい。数十年ぶりにシベリアを訪問する話が持ち上がったとき、青柳由造さんは、長いこと守ってきた宝の箱をそっと開くように、シベリアの体験を私に語ってくれた。 青柳由造さんは、姉二人兄二人の5人兄弟姉妹の末子として育った。昭和15年3月、古志郡小学校の高等科を卒業する。その月のある日、越後の片田舎の夜のプラットホームに集団就職で都会に向かう、やや緊張した表情の少年少女たちの一団があった。その中に、小さなトランクと柳行李を重そうに両手に提げた小柄な青柳由造さんの姿があった。成績の良い青柳さんの就職先は東芝の鶴見本社であった。青柳少年は、いまだ見ぬ都会の生活に一抹の不安を抱きながらも、人生の新しい船出に際し男子として、よしやるぞと期するところがあり胸を躍らせていた。時代の風も、国のために働けと日本中の少年の心をあおっていたのである。 ☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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