« 「死刑停止の国連決議と団藤重光博士の見識」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(55)第2章 塩原眞資さんのシベリア »

2007年12月22日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(54)第2章 塩原眞資さんのシベリア

降ろされたところはナホトカであった。故国日本につながる朝の海が、青く、静かに、遠くまで広がっている。塩原さんは懐かしい潮風を両手を天にあげ胸いっぱいに吸い込んだ。母なる海が、長い間ご苦労さんといたわってようであった。折しも水平線に太陽が昇り始めた。あの太陽の下に日本がある。遂に帰国の時がきた。
 帰国船に乗るまでしばらく港の作業をさせられることになった。それは、大きな貨物船に岩塩を積み込む仕事であった。宿舎は、鉄条網もなく見張りのソ連兵の態度も穏やかであった。
 昭和25年2月の初め、遂に帰国の日がきた。港の中央に赤十字のマークをつけた純白の高砂丸が停泊している。日本人の目は船上に翻る日の丸の旗にくぎ付けになった。久しぶりに見る日の丸。この旗の下で命をかけた日々が蘇る。この旗は、今は、命を捨てろではなく、迎えに来たぞと呼びかけている。国家というものがこれほど頼もしく思えたことはなかった。塩原さんは泣いた。夢ではないかと思って大地を踏んだ。今や、目前の船に無事乗船できることを祈った。ソ連の官憲が乗船名簿をもってチェックしている。欺されて満州からシベリアに連行され、以来、幾度となく嘘と策略で翻弄されてきた。また何らかの理由で収容所へ連れ戻されるかもしれない。現にそのような例を耳にしていた。塩原さんは乗船の審査を受ける人々の列の中にあって、死刑の宣告を恐れる被告人のように身を硬くしながら自分の番を待った。一秒一秒が長く感じられた。無事にパスし、タラップに足をかける。甲板までのわずかな距離が長く感じられる。駆け上がりたいと逸る心を抑えてゆっくりと歩く。後ろから、おい待てと声がかかることを恐れながら。遂に船上に立った。白衣に身をつつんだ看護婦が数名整列して待ち受けている。久しぶりに見る日本人女性だった。ああ、これが日本だ。塩原さんは、黒髪と黒い瞳を見ながら心の中で叫んだ。女性たちは深々と頭を下げて、言った。
「長い間、本当にお疲れさまでした」
 忘れもしない、優しい日本の女の声なのだ。長い間の苦しみも一気に忘れ、塩原さんは感極まって泣いた。
 ドラの音が港に響き、船は動き出した。シベリアの丘や山や建物が遠ざかる。あの山の遥かかなたで、まだ収容所で苦しむ人々の姿が浮かぶ。友よ頑張ってくれ、望みを捨てないで、帰れる日まで、と塩原さんは祈った。
 ソ連の風景が芥子粒のように小さくなり、やがて視界から完全に消えた。甲板でじっと見詰めていた人々の間から静かなどよめきが上がった。それは、苦しい抑留生活から真実開放されたことを誰もが実感した瞬間であった。
 船は静かな日本海を滑るように南下している。塩原さんは、収容所の生活を思い出していた。青く光るのどかな海を見ていると、水平線の彼方で繰り広げられた地獄の世界が嘘のように思えた。船はとっぷりと暮れた海を走り続ける。夜は更けていたが、船が刻々と日本に近づいていると思うと胸が高鳴って眠るどころではない。興奮のうちに二晩が過ぎようとしていた。ウトウトしてふと
目を覚ますと船は泊まっていた。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

|

« 「死刑停止の国連決議と団藤重光博士の見識」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(55)第2章 塩原眞資さんのシベリア »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シベリア強制抑留『望郷の叫び』(54)第2章 塩原眞資さんのシベリア:

« 「死刑停止の国連決議と団藤重光博士の見識」 | トップページ | シベリア強制抑留『望郷の叫び』(55)第2章 塩原眞資さんのシベリア »