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2007年12月16日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(53)第2章 塩原眞資さんのシベリア

今見た夢を追う中で、父親の姿が現れる。出征の時の古里を離れる場面である。

「眞資、死なずに帰って来いよ」

 人波をかき分けて駆け寄り、小声で哀願するように言った。この上なく子煩悩で、また控えめな父親の精いっぱいの行動であった。命を捨てて戦うことが当然とされる時世である。自分の息子に生きて帰れということは非国民的行為なのだ。あのときは理解できなかった父親の言葉が今は痛いほどよく分かる。まぶたに焼きついたあの父親の顔を思い出すと、塩原さんの頬に熱い涙が伝って流れた。

<早く帰りたい。せめて、海が見える所まででもいいから行きたい>

あきらめかけていた帰国への思いがまた狂おしいほどに沸いてくるのであった。

シベリアの夏は短い。夏が去ると、秋を感じる間もなく秋は冬に変化してゆく。

5度目の冬将軍が近づいていた。この冬を越すことができるだろうか。4度目の冬を越すために身体の力はほとんど使い果たしてしまった。今や、なんとしても日本へ帰るのだという執念がかろうじて塩原さんの命の火を支えていた。

 昭和24年12月29日、突然、塩原さんに移動命令が発せられた。コムソムリスクからハバロフスクへ移動させられた時のように、行き先も目的も一切知らされない。正月を目前にしてどこへ連れて行かれるのか、もっと奥地の厳しい作業現場かもしれない。

不安にかられながら、直ちに身支度をして、数人の仲間と共に車で小さな駅に運ばれて貨車に乗せられた。すでにあたりは夕闇に包まれていた。列車は動き出したが、向かっているのは東か西か、北か南か一向に分からない。貨車の真ん中にストーブが据えられ、石炭が燃えている。人々は、ストーブを囲んであぐらをかいて、じっと押し黙って赤い火を見つめている。

 塩原さんは、ハバロフスクの収容所に入れられた者は処刑されるか一生帰れないと噂されていたことを思い出して、いよいよ、俺もシベリアの白樺の肥になるのかと半ば諦めの気持になっていた。ゴットン、ゴットンと響く車輪の音は底に知れぬ地底に突き進むように聞こえる。

 その音を聞きながら、塩原さんは、疲れでいつしか眠りにおちていた。どれくらい眠ったろうか。ふと目を覚ますと、外はうっすらと白くなり、やがて朝の光が、暗い貨車の一部を照らすほどになった。

 その時、窓辺に立ち上がって外を見ていた男がいきなり狂ったように叫んだ。

「海だ。海が見えるぞ」

 皆、一斉に飛び起きて窓に飛びつくように動いた。

 「ダモイ(帰国)だ」

 「ダモイだ」

 口をそろえたように歓喜の声が上がった。誰もが海を見た途端、帰国と信じ疑わなかった。夢にまで見た海であった。皆、疲れは一気に吹き飛んだように元気になり、目は光を取り戻し輝いている。

 

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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