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2007年12月25日 (火)

「今年最後のふるさと塾は田中角栄の天国と地獄(22日)」

◇波乱万丈の生き様を2時間で語るのは難しい。ロッキードの法廷で隠しどりされた角栄の沈んだ姿の映像も使った。長く秘書を務めた早坂茂三がその回想録の中で語っているいくつかの驚くべきエピソードも紹介した。田中角栄はその風貌から浪花節的で泥臭いゴリ押しの政治家と思われがちである。それは庶民的特性として濃厚に彼の中に存在する要素であることは否定できないが、それだけでなく、理論と緻密さと見識に支えられた決断力と行動力が際立った政治家であった。

 15歳で越後から上京して土建業で財をなし、28歳で衆議院に当選、39歳にして岸内閣の郵政大臣となり、池田内閣では弱冠44歳で大蔵大臣となる。大蔵大臣は池田内閣から佐藤内閣にかけて三期つとめ、佐藤内閣では更に幹事長として党をしきり選挙を動かした。早坂秘書は、北は北海道から南は九州まで、100万、300万、500万という札束を選挙資金として運んだことを打ち開けている。彼は人心を掴む天才であったが同時に人がいかに金で動かされるかを知り尽くし、金を文字通り湯水のように使った政治家であった。このことが結局彼の命取りになることに気付かなかったのだろう。54歳で総理大臣となり、日中国交回復をなしとげた。列島改造論は地方の格差是正という点で説得力があったが、狂乱物価の原因をつくった。やがて立花隆の文芸春秋・金脈追求で辞職に追い込まれる。早坂秘書は、血圧、血糖値が異常に上がる状態で体力の限界が辞職の原因だったと語った。そして、ロッキードの衝撃波が襲う。逮捕され四年の実刑判決を受ける。長い法廷闘争の中で脳梗塞に倒れる。失意の中で越後に帰ったとき支援者に温かく迎えられて泣く姿が胸を打つ。75年の生涯であった。塾生の中で、百年後は大河ドラマですねと話す人がいた。

◇私の地元鳥取町で県政報告会をした(23日)。

500枚位の案内を配り参加者は約20名。しかしこの報告会は成功であった。人々は興味を示し真剣に耳を傾けてくれた。私はふるさと塾のような調子で熱を入れて話した。酒や食事のない会合も中身を工夫すればうまくいくことを発見した。「これを第一回にして続けよう」という人がいた。嬉しかった。

◇カトリックのミサに出る(24日)。東南アジア、南米などの外国人も多く参加して国際色豊かであった。神父は語った。主は汝の敵を愛しなさいと言ったが、それは難しいことで今も争いが絶えない、主の言葉の意味をよく考える機会にしましょう、と。子どもたちが劇をやった。旅人マリアの出産が近づいているが泊めてくれる所がない、マリアは馬屋でイエスを産む。それから二千数年が過ぎて世界のカトリックは20億を超える。カトリックの壮大な歴史を振り返れば大きな過ちもあった。宗教は人間の心の奥と結びつく。科学は異常に進化するが、人間の心はどうなのだろうか。現代人の生き方は気薄になっている。その事が現代人の心を深みのないものにしている。来年は、ふるさと塾で宗教上の人物を取り上げたい。例えばイエス、親鸞、新島襄などを。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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