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2007年11月25日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(47)第2章 塩原眞資さんのシベリア

 なぜこのような運動が行われたのか。ソ連は60万人を超える日本人抑留者をシベリア開発のために労働力として使う目的とともに、これらの日本人を共産主義の支持者に変えて日本に帰し日本赤化(共産主義の国にすること)のために使うという目的を持っていた。民主運動は、表向きは、日本人活動家・アクチーヴの自主的な指導の下に行われたが、実際はソ連の強力な指導とバックアップの下で行われたのでる。
 民主運動が異常に発展した理由は、帰国の可否と結びついていたからである。少なくも一般には、そう信じられていたのである。反動とされた者は帰国を遅らされる、あるいは、永久に帰されないかもしれない。人々はそう信じた。民主運動に積極的に参加しないと反動と見られる。民主運動の推進者だと認めてもらって、帰国を早めてもらうためには、行動で示さねばならない。そのためには、隠れている反動分子を密告することが必要だ。多くの抑留者が帰国したい一心で、このように考えたのだ。そこで、心ならずも同胞を売り渡すことや友を裏切るようなことが行われた。そして、壇上に立たされた者に、拳を振り上げ、怒号を浴びせる行為が吊るし上げに参加した全員の熱狂の中で行われたのである。
 ある手記は、次のように書いている。
「吊るし上げがいかにばかばかしいものでも、消極的な態度をとったり、苦笑いしたりすることは危険である。目をつけられて後で問題にされるからだ。皆と同じように気狂いのような顔をして、怒鳴り、絶叫していなければならない。吊るし上げられないためには、吊るし上げの輪の中に進んで入り込まなければならない」
 次は、ある抑留経験者の証言の断片を材料にした私の筆による描写である。

 収容所の広場の一角に仮設の台が設けられ、この上で緊張で引きつった顔のアクチーヴがこれから始まる出来事の舞台設定のために動いている。たった今貼られた横断幕には、「我らの祖国ソ連同盟万歳」と大書されており、その下には、「反動を厳しく追及せよ」とか、「日本帝国主義の手先を糾弾せよ」とか書かれたビラがべたべたと貼られていた。今日は日曜日、合わせてソ連の何かの記念日で、こういう日には、特に盛大に「追及」の集会が行われるのが常であった。一つの建物の角から赤旗を振って労働歌を高唱する一団が現れた。続いて別の方向からも同じような集団が次々に現れる。先頭のリーダーの音頭に合わせて拳を突き上げてシュプレヒコールを上げる一団もあった。
 3月の上旬、厳冬のシベリアの暗い森の向うから朝日が近づいて、揺れ動く赤旗をいっそう赤く染めていた。今や数百人の人々が集っていた。いくつものグループの歌声や叫び声は、競い合うように高まってゆく。これから起こる出来事に対する不安と期待が人々の興奮をかきたてていた。足を合わせて大地を踏み鳴らし躍るように輪を描いて進む一団もある。人々の目は、次第に物につかれたような異様な光をおびていった。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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