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2007年11月 3日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(39)第2章 塩原眞資さんのシベリア

5 故郷からの手紙にむせび泣く

 塩原さんは、昭和20年の暮にコムソリスクの収容所に入れられ、生死の境を迷うような最初の冬を何とか越した。この冬の間に栄養失調になり、体力とともに気力も衰え、故国に帰れないと諦めかけたことも一度ならずあった。それでも、月日が経つうちに過酷な収容所生活にもある程度慣れてくる。人間はどんな環境にも順応するものである。

 しかし、狂おしいほどの望郷の思いはどうすることもできない。ひもじさと、古里への思いが一つになって、塩原さんたちの話題は、いつも食べ物のこと、父母や兄弟のこと、生まれ育った山河のことだった。人々はこのようなことを毎夜のように夢に見た。

「おっ母さん、あいたかったよう」

「このまんじゅうはうめえ」

あっちこっちで寝言が聞こえる。幸せな夢を見ているのだ。夜のベッドは、強制抑留の三重苦、飢えと寒さと労働から逃れられる最も幸せな場所であった。そして夢に浸ることは、それが客観的には仮想のものであるにしても、本人は全く疑うことなく、一時、その場面に入り込み、そこに現れる事柄に接しているのであって、この上ない幸せを味わうことであった。塩原さんも、古里の夢をよく見た。

 昭和23年1月、塩原さんは入ソから3回目の正月を迎えた。零下35度を下る酷寒の中の森林伐採を終え、ソ連の兵士に監視されて収容所へ帰る道すがら、あちこちに民家の明かりが見える。ときどき、子どもや母親らしい人影が動く。塩原さんは耐えがたい寂しさに思わず、明るい窓から目をそらす。せめて、今晩は夢の中で、父母や兄弟に会いたいと思った。

 収容所に戻り、いつものように、ベッドの片隅から2個の石を取り出した。火をおこす石である。防寒具の内側からむしり取った綿くずを細かくよったヒモに油がしみこませてある。手慣れた手つきで、一方の手に石を持ち、その上に綿ヒモを乗せて親指で押さえ、もう一方の手の石を打ち付ける。火花が散ってヒモからかすかな煙が生まれた。塩原さんは、口をすぼめて、そっと息を吹きかけるとヒモの先がわずかに赤くなった。火の芽の誕生である。すかさず、用意した紙くずを小さな火に近づけて、優しくいたわるように息を送ると紙くずの先に小さな炎が立った。これでランプに点火する。ランプの淡い光があたりを照らす。その時、塩原さんは、ベッドの上の光の輪の端に一枚の紙片を見て、はっとなった。

 咄嗟に手が伸びて、紙片をつかんでいた。紛れもない俘虜郵便葉書である。

「とうとう来た」

 塩原さんは心に叫んで急いで裏を見る。差出人は、懐かしい妹である。塩原さんは立ち尽くして文面を食い入るように見た。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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