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2007年10月 9日 (火)

「市長選候補擁立の経緯」

◇5日の午後に記者会見で私が説明をしたが、4日朝刊で主な各紙は、金子幹事長で一本化と報じた。少し前に、市議会の同志から、県会議員の間で調整してくれと要請があって、市長選に意欲ある三人の県議が2回に渡って話し合った。私と中沢議長、金子幹事長の三人である。金子一郎、狩野浩志各議員は調整役として立ち会った。第一回の会合(102日)の時、中沢議長については、議長職を途中でやめて出るのはいかがなものかという意見が出た。前例が2つある。萩原前市長、高木現市長が、議長の途中で出馬したのである。これらの時も、議長職を軽視するという批判があった。しかし、中沢氏は、自分の考えを持っているようであった。

 私については、後援会を中心とした支援者の間に、県都前橋を再生するために政治生命を賭けるべしという強い要望があった。身体の具合が悪い妻も自分のために断念しないで欲しいと言ってくれた。金子幹事長は、大沢知事に会って、すべり出したばかりの大沢丸にとって幹事長として自分が必要なら断念するつもりだといって知事の意見を聞いたという。それを踏まえて彼は、強い意欲をのぞかせていた。高木現市長が既に立候補の意志を表明し着々と準備を進めていること、市長選は来年の2月であること、等を考えると、時間的余裕はなかった。そこで、翌日(3日)午後3時、再度合うことになった。それまでに各自考えを固めて話し合おうというもの。結論として、金子幹事長を中心にして知事選を戦って築いた絆を生かすことが勝利につながるとして、金子幹事長に一本化することに決定した。翌日(4日)朝の市議との会合で、この結論を説明し、全員一致の承認を得、5日午後の記者発表となった。

 私が断念した理由の一つに、実は、別の要素があった。市長として前橋市再生のために命をかけることと同様に、県議会にとどまってそこでの本来の仕事に全力を尽くすことも私の使命ではないか、私は自分の心にある二つの選択肢を前に悩んだ。そして、やりかけている県議会の仕事を優先させ前橋市のことは金子幹事長に任せようと決心したのである。

 前橋市の市長選は勝たねばならない。前回の市長選では、萩原前市長は、高木さんの奇襲戦術に負けたといえる。ある人は、桶狭間の急襲だったと言っている。ゴミの収集の無料化や公民館使用料の問題といった目先の利益で市民を動かした。前橋市の将来をどうするといったビジョンを市民に提示した戦いではなかった。21世紀の県都、そして、4人目の総理を出した群馬の県都、それにふさわしい品格のあるまちをつくらねばならない。金子さんには、そのためのグランドデザインを提示して堂々と戦って欲しい。

 今年の7月までは、小寺・高木の密月が続いていた。小寺知事の敗戦でこの関係が崩れたのだ。大沢知事と高木市長の関係を人々は「ねじれ」と呼ぶ。しかし、ねじれをただすというだけでは、戦いの大義名分としては弱い。市民を納得させる大義名分とは、県都前橋の未来を見詰めた、輝く県都を築く設計図である。それを作る作業にとりかかる準備が進められている。熱い戦いは既に始まっている。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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