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2007年10月16日 (火)

「中国視察団、大連の一日」(15日)

◇大変密度の高い大連の一日だった。空港から一路旅順へ向う。県会議員は8人。中国での通訳は李という女性である。借りあげた専用のバスの中で、彼女は、日ロ戦争の歴史を話しだした。その詳しさに驚く。空港から旅順まで約50分。途中、水師営という町にかかった。乃木将軍と敵の大将・ステッセルが会見した所である。ステッセルは日本に負けて死刑になるという情報を得た日本政府は、帝政ロシアに働きかけて死刑をやめさせたのだという。真偽の程は分からないがガイドはこのようなことを事細かく話してくれた。聞けば、この李さんは、これから訪れる大連外語学院の卒業生だという。

 一行は旅順の激戦に着き、203高地に登った。これまたガイドの説明によれば、海抜206mあったところを、日本軍の猛攻によって山が3m低くなって203mになったという。

 203高地に立つと旅順港の緑に囲まれた静かな海面がもやの中に広がっていた。その静けさは歴史の歩みをしばし止めて私たちに百年前の出来事を語りかけているようであった。大連の中心街から旅順に移った外国語学院は驚くほどの壮大なスケールであった。陳先生が、引っ越したばかりだと語っていたが、まだ、建設中のところがいたる所にあった。資料室に案内され、団員は、「日中友好中村文庫」の前で写真をとった。学生の学ぶ様子を見、日本の茶室も見学した。

 研修室で、私は、県立女子大など群馬の大学を紹介し、群大で始まる重粒子線による癌治療を説明した。構内をバスで見学しながら陳岩教授は語りかけた。「日本語を学ぶ学生は3千名を越えその数は世界一です。構内に日本の文化を紹介し体験できる一画を作りたいのです。柔道とか、剣道とか、踊りとか、日本の料理とか」と。

 大学の高い建物群の後ろに赤い夕日が落ちる頃私たちは大学を去り大連市に向った。大連のまちは、急速に変わりつつあった。数年前にはなかった高層ビルが林立し、更にビル建設の工事現場がいたる所に見られた。「中国製の食の安全が問題となっています」と隣の陳教授に話しかけると、「日本のマスコミが悪いです、これっぽちの事を大きく書く」と、陳さんは指の先の爪をつまんで答えた。また、環境問題は重大で政府も力を入れ始めたこと、社会が豊かになって学生の学ぶ意欲が落ちてきたことが心配であることなどを語っていた。

 夜、宿舎である大和ホテルの近くにある「川王府」というレストランで私たちは招待を受けた。僚寧師範大学の曲先生や市の要人等も参加し群馬県と交流をすすめる事などに話がはずんだ。いろいろな中国料理が並ぶ。食の安全のことなど忘れて料理を口に運んだ。私の中国語の挨拶は途中で行き詰まり、笑いがおき余興の役割を果たしたようだ。「大和ホテル」は満州国時代の日本が建てたホテルである。まわりには、関東軍や満鉄ゆかりの建物もある。目の前に広がる空間に、60年前の日本人が激しく動く光景を想像した。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載しています。

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