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2007年10月28日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(38)第2章 塩原眞資さんのシベリア

ところで、暗い抑留生活の象徴であり、すべての抑留者の命を支えた黒パンとはどのような食べものか。外見はチョコレート色で中身は褐色、少し酸っぱい味がする。本来はライ麦で作るものだが、捕虜たちが食べたものは、ライ麦だけでなく、大麦、小麦、とうもろこし、ジャガイモまで入っていた。これらの粉末を水で練ってイースト菌で発酵させて焼く。1キロ、2キロ、3キロ、と大きさは各種あるが、形は長方形の角材のようであった。黒パンは、外側の硬い皮の部分が好まれたという。そこは、ぎっしり詰まっていて、軟らかい部分より得だということである。

実は、食事に関するさらに残酷な事実が待ち受けていた。収容所生活が始まって、何ヶ月が過ぎて、ノルマによる等級食が実施されたのである。

作業ノルマと食事量の関係は収容所によって、また、労働の種類によって異なっていたが、塩原さんの所では、1級は黒パン150グラムとスープは実のない塩味の汁、2級は黒パン250グラムと野菜が少々入ったスープ、3級は黒パン350グラムと粟が入った味のよいスープ、4級は黒パン450グラムにトロリとするほど濃い粟と肉で味付けした上等なスープであった。

塩原さんは、当時の状況を次のように振り返る。

<飢えていた日本人捕虜は4級食欲しさによろけながらも身を削って働いたのです。だが弱い者はいつも1級食がやっとでした。同じ食卓で隣の者は4級で腹をさすり、こちらは1級のからっつゆです。見まいと思ってもつい横目で隣を見てしまう。惨めでした>

飢えた日本人を食べ物で釣って過重な労働をさせることは、ソ連の巧妙な狙いだった。

収容所には、それぞれの人に、それぞれの闘いがあった。それは、持てる知恵と気力と体力の全てをかけた自分との闘いであった。

寒さと飢えで死者が続出し、病人も増える。しかし、収容所側の医療の体制は粗末だった。体の具合が悪いと申し出ても、労働を休むことは容易に認められない。それは、収容所としての作業休止捕虜数の枠があって、それがいっぱいの場合には、新たな作業休止は認めないという、人間よりも労働成果を重視する考えが基本となっていたからである。

それでも時々、ソ連軍医による検診があった。この検診により捕虜は1級から6級までの体位を決められる。1級は昼夜の重労働に耐えられる者、以下段々労働は軽くなって4級は老年、障害、衰弱などで労働を免除され、5級と6級は入院させられる者である。検査の方法はいたって簡単で聴診器などは一切使わず、全裸にして尻の肉をつまんで、肉のつき具合や弾力性を見て、1級、2級と決める。一人に要する時間はほんの2,3秒である。

塩原さんは、ある時、若い美人の軍医の前に全裸で立たされた。恥ずかしいより捕虜の身の情けなさに涙が出る思いだったと振り返る。血気盛りの若い男が、美人の前に立たされて特別の感情が湧かないのか興味のあることである。この点、塩原さんは、飢えと栄養失調のひどい状態では性欲などはまったく湧かなかったと言う。生死がかかった極限の状況では、人間の欲望は生命の維持に直結するものに限られてしまうのであろう。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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