« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(34)第2章 塩原眞資さんのシベリア | トップページ | 「中国視察の第1日目」 »

2007年10月14日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(34)第2章 塩原眞資さんのシベリア

誰かが磁石を取り出した。薄明かりの中で、じっと針を見詰めている。隣の人がのぞき込む。やがて、周りの人が重なるようにのぞき込み目を凝らして針の動きを追った。針の先が東を向くと、「わっ」と歓声がわき、北へ動くと、「あー」というため息にかわる。やがて、針は北を指し続けるようになった。人々は押し黙り落胆して磁石から離れた。

三 初めての冬、ものすごい寒さ、飢え

 やがて列車は止まった。コムソムリスクと分かる。シベリアの中心都市ハバロフスクから数百キロメートル北方の町で、アムール川の下流に位置していた。塩原さんは、ここの収容所で約二年半、ハバロフスクの収容所へ移されるまでの期間を過ごすことになる。コムソムリスクの収容所に入るとまもなく10月も半ばを過ぎ、シベリアの寒気も本格化してきた。塩原さんは、しばらく満州にいたので大陸の寒さには慣れていたはずであるが、シベリアの寒さは格別だった。塩原さんは、振り返って言う。

<シベリアの最初の冬は、死に物狂いでした>

満州から拉致された日本人、およそ60万人のうち、6万人以上の人が命を落としたが、この6万人の中のほとんどは、最初の冬が越せない人々であった。

11月に入ると、零下30度を越えることも珍しくなかった。寒さと体調不良のためトイレが近い。外まで行くのが間に合わず、もらしてしまう。そのため誰もが股のあたりの布は腐ってひどい臭いを放っていた。塩原さんはひどい下痢になり、上から入れるとすぐに下から出てしまい、体力は極度に低下して腰が立たず、二段ベッドの上の段に自力で上がれなかった。苦し紛れに、木炭を見つけてがりがりとかじった。これが功を奏したのか下痢は間もなくおさまったが、3ヶ月以上も風呂に入らぬ不衛生のため、身体中に発生したシラミに悩まされた。大発生したシラミには、誰もが苦しめられた。

年を越して1月なると、寒さは零下45度にもなり、凍土をなめるように押し寄せる寒気は、すべてを凍らせて生あるものの存在を許さぬごとく激しくなり、毎日、収容所の人々はバタバタと倒れていった。物資が極めて不足している折ということもあって、使えるものは死者のものも利用せねばならない。死体からはすべてが剥ぎ取られ、死体置き場には裸の死体が天井に届くほどに積み上げられていた。

塩原さんは、その時の状況を振り返る。

〈恥ずかしい話ですが、皆、人の目を気にしながらチャンスをうかがっていました。とにかく寒いのです。靴下片方だけでも欲しかったのです〉

同じ条件の下で、生死を分けるものは何であろうか。塩原さんは、どうしても生きて帰るのだという信念が支えだったと言う。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

|

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(34)第2章 塩原眞資さんのシベリア | トップページ | 「中国視察の第1日目」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: シベリア強制抑留『望郷の叫び』(34)第2章 塩原眞資さんのシベリア:

« シベリア強制抑留『望郷の叫び』(34)第2章 塩原眞資さんのシベリア | トップページ | 「中国視察の第1日目」 »