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2007年10月 8日 (月)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(32)第2章 塩原眞資さんのシベリア

取り残された暗闇の中で、塩原さんは、このときそれまで半信半疑だった敗戦ということを冷厳な事実として受け止めた。同時に体中の力が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまった。

生きて虜囚の辱めを受けるなという日頃の厳しい教えにもかかわらず、塩原さんたち13人は虚脱状態の中で、あっけなく捕虜となった。今まで見たことのない赤い毛、青い目のソ連兵に追い立てられてあちこち歩かされた。信じられない光景がいたるところにあった。町の一角には日本兵のあらゆる武器が山のようにうず高く積まれていた。裸足で髪を振り乱し半狂乱で子どもの名を呼ぶ女性の姿、ソ連兵に抱きすくめられ足をばたばたさせながら連れ去られて行く若い女性の姿など。これが戦いに敗れるということなのかと塩原さんは生唾を呑み目をそらした。悔しくても、どうすることもできないのだ。

塩原さんたちは、やがて、鉄条網で囲まれた日本軍の馬小屋に閉じ込められた。

拘束されてから毎日、食べ物はごく少量しか与えられない。仮宿舎に入れられてからは何も与えられず、2日、3日と過ぎてゆく。ワラをかじったり、木の皮を食べたり、人々は口へ入れるものを求めて馬小屋の中を這い回っていた。4日目、5日目になると空腹に耐えることが、銃弾の雨にさらされるより怖いことだと思うようになった。この飢えに対する恐怖心こそ、塩原さんたちがこれから先の長い収容所生活で向き合う最大の敵であった。

今、その最初の敵を前にして万策尽きたとき、塩原さんたちの目は一斉に、ある一点に注がれた。そして次にその視線はお互いの顔に移った。その視線は、恐怖と戸惑いを示していた。またある人の目の色は、まさかという強い拒絶を表していた。次の瞬間、人々の目は、またもとの一点に戻った。その視線の先には、うずくまる一頭の軍馬がいた。兵士よりも大切にされ、傷つけることは厳禁とされた軍馬。「取った手綱に血が通う」と軍歌にも歌われた軍馬を食おうとしているのだ。しばし重苦しい沈黙が流れた後、一人が口を開いた。

「やむを得ないだろう」

うなづいて、もう一人の兵士が言った。

「可哀想だが、助けてもらおう」

顔を上げないで肩をふるわせている男も異を唱えなかった。人々は軍馬の前に寄った。一人がひざをついて手を合わせると、他の者もそれに合わせる。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏の声が流れる。異様な雰囲気に驚いた軍馬は上目使いに人々を見た。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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