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2007年10月 7日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(31)第2章 塩原眞資さんのシベリア

塩原さんは、現在81歳。耳が少し遠くなったが身体はいたって健康である。シベリアから帰国した後は、前橋市の建設会社に勤務し、持ち前の忍耐力と誠実さで事業発展に貢献し、退職後は町の自治会長もつとめ、現在は前橋市田口町で悠々自適の生活を送っている。

<日本は大きく変わりました。あの頃を思うと夢のようです>

 こう言って塩原眞資さんは、遠くを見るような目をして感慨深そうに若き日のシベリアを振り返る。

二 軍馬を殺して食べる

 塩原さんは、「中島飛行機」で働いていたが、昭和19年3月に召集され満州に渡った。関東軍の中で通信の任務についていたが、吉林省延吉で終戦を迎えた(昭和20年8月15日)。

 ソ連が満州に侵攻を開始したのは8月9日であった。8月17日、本部より全日本軍に対して即時戦闘行動停止命令が下されたが、満州方面の戦闘状態がおおむね終わったのは8月20日とされる。

 塩原さんの部隊がソ連軍の突然の侵攻を受けたのは8月17日の夜であった。「ドドーン」、「ゴーゴー」と大地を震わせて戦車の音がせまってきた。

 塩原さんは12人の部下を持つ無線通信所の所長であった。その場所は本部から遠く離れた山の中腹にあった。戦車の轟音は次第に山の麓に迫りつつあった。命よりも大切な物を敵に渡してはならない。塩原さんたちは必死で穴を掘り、通信機材や暗号書を埋めた。

 命がけの作業を終え本隊に辿り着くと、兵舎はすでに空で慌しく走り去る軍用トラックの後ろ姿が闇に消えてゆく。呆然として立ち尽くしていると、無人と思った一角から一台の軍用トラックが走り出してきた。塩原さんの部下が2,3人走り出して、乗せてくれと叫んでトラックの荷台の囲いに飛びついた。トラックには兵士の黒い影がひしめいている。

「だめだ、お前たちを乗せる余裕はない」

血走った目の兵士は哀願する眼下の顔を軍靴で蹴った。もう一人の兵士は、引きずられながらも必死でしがみつく両手を、物でももぎとるように引き剥がした。地面に叩きつけられた兵士を置いてトラックは走り去っていった。

<人間は、ギリギリのところでは自分のことしか考えられないのです>

塩原さんは、当時のことを思い出してしみじみと語った。

 これは、これから始まる、追い詰められた状況における人間模様のほんの一例に過ぎなかった。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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