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2007年9月 2日 (日)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(19)第1章シベリア強制抑留の真実を求めて

女性館長は、古文書館のことを簡単に説明した。

「当館には、70万以上の書類があります。しかし、当館の宝物は、書類ではなく、スタッフです」

 女性館長はそう言って、誇らしげに職員の方を振り返って笑った。

「日本人抑留者の資料は、政府からもらってないのですが、これだけがあります」

 館長は、そう言って、いくつかの資料を私の前に出した。

 私は、一冊の薄い冊子を見て驚いた。その表紙には、太い日本語で、「スターリン大元帥へ送る感謝文」とある。

 館長は、その冊子を取り上げて言った。

「このスターリン宛の手紙は、100冊しか発行していません」

 私は、この文章のことをある文献を読んで知っていた。それには、「日本人としてこれを持ち帰った者は誰もいないので、内容の正確なことは分からない」とされていた。当時、抑留者が帰国を許されたとき、文書や資料の持ち出しは厳禁され、厳しくチェックされた。特に、ナホトカで乗船するときは、厳重な身体検査をうけた。見つかると帰国を取り消されたり、再びシベリア奥地へもどされたりといった大変なことになったという。それでも、戦友の遺言を細かく分けて下着に縫い込んだり、亡くなった友の住所や伝言をメモした紙を糸巻きの芯にしたり、必死の思いで大切な書類を持ち出した手記が残されている。34ページに及ぶこの小冊子は、隠して持ち帰るには大変なものであるし、実は、危険を冒して抑留者が持ち帰る性質のものではない。なぜなら、自分たちを奴隷のように苦しめたスターリンに、考え得る最大限の賛辞と感謝を表明し、ソ同盟への忠誠を誓ったこのような文章を、抑留中に作ったことを、恐らくすべての日本人は恥ずかしいと思ったに違いないからである。

 私は、自分の研究テーマにとって重要なこの書類を、ぜひ持ち帰りたいと思った。そこで、さりげなく聞いてみた。

「これは昔、日本人がロシアの皆さんに大変お世話になったことが書かれている大切な書類です。私はこれからの日ロの友好、発展のために役立てたいのでコピーを頂きたいのですが」

 ドミトリーが丁寧に通訳する。パタポア女史も、そばでお願いしますという素振りを笑顔で示してくれた。

 女性館長は、広報部長のサレーエフさんとちょっと相談している風であったが、にっこりして言った。

「私の独断ではできません。上の方に相談してみます。許可が出たら連絡します」

 ドミトリーとパタポアさんが同時に私を見た。その視線は、よかったね、大丈夫ですよ、と言っているようであった。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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