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2007年8月 6日 (月)

「夏祭りのピーク、暑い夏は燃えて」

◇土曜日・日曜日に集中して各町で夏祭りが行われた。土曜日は16ヵ所、日曜日は12ヵ所に顔を出したが、これが体力的にも時間的にもほぼ限界だった。

 今年の夏祭りでは、どこでも選挙のことが話題になっていた。知事選と参院選の直後だから当然なのであろう。私は、それぞれの選挙の渦中にいたので、有権者のいろいろな反応に出会った。

 知事選に関しては、どこでもよかったねといわれた。明らかに私とは反対の立場だった人も新しい変化を受け入れているようだ。前知事が居た町内の祭りでも私は温かく迎えられ感激した。県民は新知事の誕生を認め新しい時代の波の中でそれぞれの動きを始めていることが感じられた。

 新知事誕生を、県民は冷静に受け入れた。まだ、興奮冷めやらぬ状態にいるのは自民党県会議員かも知れない。早く、冷静に戻り謙虚に活動を開始しないと県民から見離なされる。私は夏祭りの中でこう感じた。

 知事選の支援が不十分であるとして尾身、中曽根両氏を次回の選挙で公認推薦しないという県議団総会の決議については、いくつかの夏祭りの会場で批判の声をぶつけられた。党内にも異論があった。新聞に大きく取り上けられるような事態は避けるべきであったと思う。

◇維新の政府は、旧幕府側にあったかつての敵も有能な人材は積極的に用いた。大沢新知事にもこのような大きな度量が求められる。このことは、私たち県会議員についても同様である。

◇旧宮城村の人々に頼まれていた講演を宮城公民館で行った(3日)。題は、「シベリヤ強制抑留の真実」。4月の県議選終了直後に8月になったらと依頼されていたのだ。終戦記念日を間近にしてタイムリーな題だと思う。私は、平成16年に抑留体験者達とシベリヤの抑留地跡を訪ねたが、その時の写真やその後集めた資料を映像にして使った。

夏草の中に立つ墓標には「友よ安らかに眠れ」と書かれている。その前に立つかつての抑留者塩原さんの涙をぬぐう姿に人々は注目した。塩原さんは俺だけ先に帰って悪かったと叫んでいたのだ。原爆が投下され敗戦が決定的になった状況でソ連は不可侵条約を破って満州に攻め込み60万人の日本人を強制連行した。酷寒、飢え、強制労働で6万人以上が死んだ。どの町や村にも関係者がいる。公民館に集まった人々は真剣に耳を傾けてくれた。

◇先日、「日記」で、緊急地震速報のことを書いた。直前に地震が来ることをラジオやテレビで知らせる制度で10月1日からスタートする。しかし一部では実施している所もあり、今回の中越沖地震では、新潟市のある所は「すぐに地震が来ます」という情報が10秒前に伝えられた。あるお母さんは、外で遊ぶ子供を家の中に入れることが出来た。「3秒前でも知る価値があります」とこの人は話していた。各地で地震が頻発している。大地震が近いという不安を感じている。5秒で何が出来るかを考えておくことが重要だ。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を掲載しています。

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