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2007年8月15日 (水)

「玉音放送がなされるまで」

2007年8月15日(水)

「玉音放送がなされるまで」

◇62年前の8月15日正午、天皇のラジオ放送で太平洋戦争の戦闘は停止された。戦争継続を叫ぶ勢力も強く、混乱なく戦争を止めるためには天皇の声明が必要であった。戦争継続派にとって、天皇の意思が示されれば、万事休すである。そこで、これを阻止するため宮中に押し入って、録音盤を必死に捜す動きもあった。

 無条件降伏を内容とするポツダム宣言が発せられたのは7月26日。政府はこれを「黙殺」したため8月6日に原爆が投下された。続いて、8日にはソ連が満州朝鮮に侵入。9日には、遂に長崎に原爆が投下された。

 鈴木首相はポツダム宣言を受諾するか否かの会議を開く。激論は尽きず結論はでない。そこで、御前会議が開かれた。藤田侍従長の回想には、皇居地下壕の様子が生々しく描かれ、「私たちの緊張と興奮も頂点に達した」とある。

 天皇は言った。「ポツダム宣言受諾に賛成する、自分一身のことや皇室のことなど心配しなくてもよい」と述べた。政府は天皇制の維持を条件にポツダム宣言を受諾すると通告したが、連合国からそれを認めない旨の回答を受け、8月14日、再び御前会議が開かれ、天皇の判断が下された。天皇は言った。「これ以上戦争を続けることは無理だと考える。国民を救いたい。この際私としてはなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければいつでもマイクの前に立つ」

「回想」によれば、陛下の話の途中から出席者の泣き声は高まりやがて号泣となりその声は次室まで聞こえた。

 天皇が国民に呼びかける放送の録音は宮内省の天皇の執務室で行われた。それは、14日夜11時を過ぎていた。天皇はスタンドの前に立って練習したという。戦争遂行を叫ぶ人々は皇居に入り録音盤を必死で捜した。機関銃をガチャガチャさせる音は陛下のところまで聞こえた。陛下は軍装のままで庭に出たり自室に坐られたりして夜を過ごし一睡もしなかったという。

15日は早朝から国民が二重橋前に続々とつめかけた。「放送」があってからは人の波は一段と増し広場は、悲嘆と興奮と虚脱が渦巻いた。冷静である筈の新聞記者が「私は立っていられず、玉砂利に伏して泣いた」と記している。御前会議で、天皇にほとんどすがりつくようにして戦争継続を訴えた阿南陸相は、この広場で腹を切って果てた。集った人は手をついて、自分達の力がたりず申し訳なかったと言って泣いた。

あれから62年が過ぎた。あの戦争という出来事は幻だったのかといいたくなるような今日の変わりようである。二個の原爆の傷あとは今も残っている。まぎれもない現実だったのだ。日本人のすさまじいエネルギーが戦後の復興を実現した。私たちのエネルギーは、これから何を目指すのか、それが今問われている。戦争で死んだ何百万人の人々は、今日の豊かさと新たな混乱を想像も出来なかったであろう。今日の慰霊祭では、改めて歴史の事実を振り返ってみたい。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を掲載しています。

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