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2007年8月21日 (火)

「ブラジルの女性と県庁で会う」(20日)

◇平成17年に私は議長としてブラジルの群馬県人会の60周年式典に出席したが、この時、私の友人の宮下(旧姓登丸)元嗣さんたち6人も参加した。この人達は、若い頃、単身ブラジルに渡り活躍していたが病気で急逝した登丸寛さんのいとこで墓参りも兼ねていた。県庁であった女性は寛さんの妻の登丸玲子さんである。文通でお互いの心が高まり面識もない男性のもとへ遥かな海を越えて嫁いだ日本女性に会いたいと思っていた。前橋に来ていることを偶然にも知り昨日の会見となった。玲子さんは女学校を出て勤めをしながら海外に夢を抱く若者のグループにいて、寛さんと文通をする機会をもった。登丸一族は皆人生を真面目に生きている人々である。寛さんの文面は玲子さんの心をとらえ、玲子さんの心は遠い異郷で生きる寛さんの胸を熱く包んだに違いない。

 かくして玲子さんは結婚を決意して海を渡ることになった。本だけは沢山もって、40日以上かけた船の旅は、ハワイ、ロスを経てパナマ運河を通り大西洋に出てブラジルに向う。サンパウロにはカー二バルの日に着いた。37年前のことである。怒らない優しい御主人を支えてバラ、グラジオラスなど花を栽培した。町に店を持って花で稼いで3人の子どもを大学まで通わせた。二年位日本にいるつもりだったが今は早くブラジルに帰りたいという。日本には近所の付き合いがないがブラジルでは週末には近所が集って飲んで食べて深夜までおしゃべりを楽しむという。玲子さんは37年ぶりの日本が病める社会に変わってしまったことに気付いたのだろう。御主人のことを笑顔で語っていた。お金がなくも楽しかった、御主人は人がよくてお金を貸してと言われれば断れずにすぐ貸す人だった、私は上州のカカァ天下でそんな御主人にブレーキをかけた、と。玲子さんは爽(さわ)やかに半生を語った。人生を賭けて、一人の男性を求めて地の果てに渡ったあの情熱は表に出すことはしないが、時々見せる美しい笑顔の中に私はそれを感じた。私の町出身の旧姓青木佐久子さんとはブラジルでおつき合いをしていること、バイオエタノールが盛んであることなども話題になった。心の広い大きな行き方を教えられた会見であった。

◇中華航空機の機体事故は映画のシーンのようだった。真黒な煙と真赤な炎。脱出用のシューターを滑る人々が見えた。直後の爆発を見ると全員脱出が奇跡のようだ。飛行機事故は恐い。航空機による人身事故発生率は1億人が1km飛行した時に0.05回の率だというが、人的要因による事故は減っていないらしい。様々な国に航空会社があるが、国々によって科学技術の発達の度合、国民性、人命に対する考え方が違う。インドネシア、今回の台湾などは事故が多い。今回と同様の中華航空の事故には、94年名古屋空港の墜落(264人死亡)、98年、台北国際航空で着陸に失敗(203人死亡)、02年、香港行きが海に墜落(225人死亡)などがある。人命をどう考えているのだろう。精密機械も動かすのは人である。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を掲載しています。

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