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2007年8月11日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(12)第1章シベリア強制抑留の真実を求めて

ところどころに一戸建ての建物がいくつかまとまっている集落が点在する。見渡すかぎりの畑や草原が展開する中を小一時間も走ったころ、ミスター・ゴルバチョフは、右手の一角を指して頷いたと見るや、草原の中の小道に車を乗り入れていった。行く手の林の中に、日本人墓地があるらしい。

車一台がやっと通れるほどの狭い道は草でおおわれ、車は数百メートル走って止まった。そこは、ポプラに似た木と白樺が混在し、人の背丈ほどの夏草が茂っている。草を分けながら少し進むと、やや開けたところに石碑があり、その前に同じ高さの二本の角柱が立てられていた。一本はやや古い柱であるが、他の一本は、まだ新しく木肌も変色していない。いずれの柱にも、「友よ安らかに眠れ」と太い墨で書かれている。石碑には、日本人埋葬碑と書かれた金属のプレートが埋められていた。

塩原さんと青柳さんは、呆然と立ち尽くしている様子だ。石碑に人名はない。このあたりに収容所が多くあって多くの日本人が命を落としたのであろう。塩原さんたちは、別の収容所だったが、どこでも酷寒と飢えで死者が続出した。物資が乏しいので、衣類はすべて剥ぎとられ、コチンコチンに凍結した死体は一緒に荷車に積まれて運ばれ穴に入れられたという。誰もが自分が生きることで精いっぱいで他を顧みる心の余裕はなかった。

塩原さんはかつて、ぽつりと語ったことがある。

「人間は飢えると、本当に動物になってしまうんです」

 今、石碑を前にして、この言葉が思い出される。

 五十数年前、ここで何があったのか。極限の状況で生死の境をさ迷うような人々の姿、そして多くのドラマがあったに違いない。木立と草でおおわれたあたりは物音一つない静寂が支配していた。立ち尽くす二人の老人の頭に、今何が蘇っているのか。二人の耳には、地底の悲鳴や呻きが聞こえているのかもしれない。私は目を閉じていた。今、シベリアの大地に立っていることが不思議に思える。出発前に取材したさまざまなことが浮かぶ。ある抑留体験者も、同じように語っていた。

「収容所では、人間はみな、裸になってしまうんです」

 私たち人間は、通常の社会生活の中でさまざまな衣をまとっている。見栄や虚飾、恥を恐れ、外聞を気にする心、自尊心、怨み、ねたみ、ひがみなど。これらは、通常の余裕がある状況でのこと。極限におかれたらこのようなものは吹き飛んで、ただ生命を守ることに全エネルギーを集中させる存在になってしまうということなのであろう。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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