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2007年8月 4日 (土)

シベリア強制抑留『望郷の叫び』(10)第1章シベリア強制抑留の真実を求めて

世界に対する名目としては、流浪の民に国を与えるということであった。また、日本が満州国をつくるなど日本の力が脅威に感じられる中で、中国国境に近いこの地域にユダヤ人を住まわせて、防波堤にする狙いもあったという。しかし、この計画は成功したとはいえず、ユダヤ人自治州というのは名前だけで、現実にこの地に移り住むユダヤ人は少なかった。当初ユダヤ人入植者を15万人と予定したが実際に入植したのは3万人で、現在は9千人ほど。全体の4.2パーセントに過ぎない。ビロビジャンは、以前は外国人が立ち入りを許されぬ所であった。現在は、観光客が訪れ、日本との関係といえば、新潟県豊栄市と姉妹都市となっている。大きな時代の変化というほかはない。

ちなみに、厚生省の資料によれば、日本の死者は、ハバロフスクの収容所では865人、ビロビジャンは1,400人となっている。

ハバロフスクには、整備された日本人墓地があるが、そこに葬られている人は、ごくわずか、数十名に過ぎない。ソ連抑留者中の6万人を超える人々の大多数の骨は、今でもシベリアの凍土の下にある。その実態の一部に触れたいというのがビロビジャン行きの目的であった。

なお、ビロビジャン州では、クリドゥール町、イズヴェストコワヤ町に強制収容所があったことを教えられた。もちろん、この他にも多くの収容所があったであろう。

 ところで、私たちがシベリア鉄道に乗った目的には、世界最長の鉄道に乗ってシベリアの自然を肌で感じとりたいということもあったが、その重点は、シベリア鉄道が強制収容者と結びついていることを知りたい点にあった。イズヴェストコワヤという地名が出たが、イズヴェスト駅はビロビジャンから二時間くらいの所にあり、ここから一つの支線が出ている。支線を三百数十キロメートル北進すると、その建設に多くの日本人が命を落とした第二シベリア鉄道のチェグドメンという駅に至る。強制抑留の関係では第二シベリア鉄道は、バム鉄道の名で知られる。それは、この鉄道がバイカル湖からアムール川に至ることで、「バ」と「アム」からバム鉄道と呼ばれたのだ。鉄道建設という旧ソ連の重大な国家事業に、日本人抑留者が投入され、沿線予定地には多くの粗末な収容所が建てられ、零下50度という酷寒の中で、食料も十分に与えられず、容赦なく、人々は労働に駆り立てられた。人々はバタバタと倒れ、惨状は言語に絶するものだったという。よく、枕木一本に日本人一人の死者が出たといわれるほどである。

☆土・日・祝日は、「望郷の叫び」を連載します。

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