« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »

2007年6月30日 (土)

上州の山河と共に』連載(89)「遂に当選」

遂に当選

昭和63年、7月10日、午後7時半頃には、選挙事務所には、早くも詰めかけた人々で一杯となり、人の波は、時間と共に事務所の外にも広がっていった。

 午後八時から、県議補選、知事選、両方の開票速報が群馬テレビで始まり、清水知事の当選は、第一回の速報で大勢が判明し、その後早々と当選が決まった。

詰めかけた人々が固唾を呑んで見守る中、午後八時三十分を過ぎた頃、テレビの速報は私の当選を報じた。湧き上がる拍手と歓声の中、私と妻はもみくちゃになりながら、人々の間を泳ぐようにして、仮設の壇上に上がった。

 報を聞いて駆けつける人々で、夜の事務所は広い敷地もあふれる程であった。敷地の周りには幾つかの照明灯が置かれ、騒然とした人々の動きを照らしている。

壇上の私と妻を目掛けて、握手を求める人々が殺到した。

「おめでとう」

「よくやった」

「のりおさん、おめでとう」

「奥さん、ご苦労さん、よくやったね」

 人々は、口々に叫んで、壇の下から手を伸ばす。私はひざを曲げて、差し出される一つ一つの手をしっかりと握りしめた。

 私は、マイクを握り、深く頭を下げた。

「皆さん、本当にありがとうございました。皆さんのお陰で、とうとう当選することができました。この感激を胸に、これからも、皆さんと共に歩みます。そして、立派な県会議員となって、皆さんの為に、ふるさとの為に頑張ります。本当にありがとうございました」

周囲から浮き上がった夜の事務所は、波が押し寄せるように人々が動き、声が飛び交って、いつまでもにぎやかであった。

 結局、開票の結果は次の通りであった。

 中村 紀雄     34、831票

 菅野 義章     29,663票

 宮川 邦雄     23,842票

 長谷川 薫      6,690票

             (投票率48.11% )

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

「改めて多選の弊を考える」

◇昨日も早朝、地域の選対会議があった。挨拶に立った議員は言った。「どこへ行っても今の知事は長すぎるという声を聞きます。これは、もう世論です。この世論を大沢支持に結びつけることが最大の課題です。これからの作戦しだいで票はいくらでも穫得できるのです」

 私もその通りだと思う。私が毎日地域を歩いていてよく言われることは、大沢さんには迫力がない、知事としてのカリスマがない、これだと人に訴える魅力がない、等のことだ。私が直接会う人以外でもこのように思う人は多いに違いない。

 このような大沢評に対して私は言いたい。初めから知事としてのカリスマがある人は稀である。魅力を口にする人は、過去に輝かしい経歴がないことを指すのかも知れない。その意味では大沢さんは普通の人である。外から見て輝きが分かる人ではない。しかし、私たち身近かな者から見て真面目で誠実そして政治家としての根性のある男である。こういっても分かってもらえないだろうが、圧倒的優位が予想される現職知事に挑戦して立候補を決断した事実は、彼のガッツを示すものだ。初めからカリスマや知事の魅力を有しない男を知事に選ぶことには手作りの知事をつくるという意味で大きな意義がある。大沢さんについて感じることは、激しい前哨戦で鍛えられて最近は戦う男の横顔を見せるようになって来たことだ。これからが本番だ。世論の追い風の中で彼の支持が加速するに違いない。

◇多選を批判する声に対して小寺知事は、主権者である県民によって選挙の洗礼を受けるから問題ないと答えた。この問題を考える場合の一つのポイントは投票率である。投票率が50%を切る場合には、民主主義の正統性が疑われるべきである。つまり、選挙によって主権者の審判が下ったと大きな声では言えないのである。

 過去の知事選の投票率はどうだったであろうか。平成11年の投票率は40.15%そして、前回平成15年は、37.4%と段々下がってきた。投票率が低下することも多選の弊の一つであるが、多選の弊害としては、一般に次の点があげられている。毎年の予算を動かし、人事権をにぎり、補助金を多くの団体に支給する、(ちなみに群馬県の予算規模は約8千億円である)このような権限をもつ知事が多選を続けると知事の専制化、独裁化が起こり官僚組織が硬直化する、そして、人事の停滞、側近政治による職員の士気の低下が生ずる等である。知事の権限は大臣のそれよりずっと大きいといわれているのだ。

 知事の長期政権が続く中で、県職員の間から「知事に嫌われたら昇進は出来ない、どこかに飛ばされる」と言う声が聞こえてくる。このような噂は事実ではないかも知れない。しかし、それが実しやかにいわれること自体が多選の弊と言わねばならない。同日選がなくなったことは投票率の低下の要因となる。これは、勝敗にどのように響くであろうか。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月28日 (木)

「忙しい中、講演の想を練る」

 毎日が目まぐるしい。29日に、海外移住家族会で、「南米の日本人移民について」の講演をすることになっていた。慌しく書斎の資料を集め想を練る。

 第一回のブラジル移民は、1908年(明治41年)4月神戸港を出港した笠戸丸によるものであった。来年はブラジル移民100周年に当たる。1908年といえば、日露戦勝利の直後である。当時のブラジルの有力紙は、到着した日本人移民のことを描写して高く評価しているが、ブラジルへ渡った人々の胸にはロシヤを破った国民というプライドがあったであろう。

 南米移民といえば、この笠戸丸を念頭に置いてブラジル移民が最初だと思う人が多い。

しかし、実は、ペルー移民がおよそ10年早い。最近、フジモリ、元ペルー大統領が今年の日本の参院選に出るかもしれないと報じられた。フジモリ氏は、大統領就任後両親の故郷熊本県に来て「私はペルー人だが私の血は100%日本人だ」と叫んだという。フジモリ氏はペルー移民の2世である。フジモリ氏は日本の国籍を有するから日本人として参院選に立候補する資格を持つのである。

 ペルー移民実現につながる出来事として、明治の初めの奴隷船マリアルス号事件がある。日本とペルーとのトラブルに発展したこの事件の解決後、両国の間に修交条約が結ばれ、ペルーの移民が実現したのである。講演では、ペルー移民、フジモリ大統領誕生についても触れるつもりである。

 私はこれ迄に二回南米を訪問した。第一回は平成8年の県議会南米行政視察である。今資料を開くと団員には、現自民党幹事長の金子泰造さん、伊勢崎市長をやっている矢内一男さん、知事選で奮闘中の山本龍君等の顔が並ぶ。団長は、今年引退した青木県議であった。

 この時は、ブラジル、アルゼンチン、ペルーを回ったがぺルーの印象は強烈だった。

 それはスペインにほろぼされたインカ帝国の人々のうらみが貧しい人々の姿の中に残っていると思えたからだ。私はマチユピチユの遺跡で涙を流した。

 第2回は、平成17年議長として、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの各群馬県人会を訪ねたのである。第1回の時から約10年の歳月が流れていた。前回の時会った県人会の人も高齢者となっていた。

 二度の訪問で学んだ事は多いが、その中でも日系社会が大きく変わりつつある、あることに複雑な気持ちを抱いた。南米では、アルゼンチンを除いて奴隷制度が長く続いた。移民一世は、その名残りもあって苦労した。日本の心と文化を大切にする一世は高齢化し次第に少なくなっている。二世、三世は日本語を話さず、日本人以外の人と結婚する人も多く、もはや、日本人の心や文化を尊重する考えも薄れているという。年老いた一世が淋しそうに語っていた。絆を大切にと考える家族会の役割も変わるのだと思う。講演ではこの問題も投げかけてみようと思う。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月27日 (水)

「最近の新しい日課・歩くことは楽しい」

 最近何十軒と家々を訪問することが新しい日課となった。「各県会議員が3千軒を回る」と言う約束事が出来たのだ。選挙ということを抜きにすれば歩くことは気持ちがいい。運動靴を通して大地の手ごたえが伝わってくる。それは、自分の健康と体力を伝えるシグナルである。今回は、それに加えて、有権者の心に近づいていくという響きも伝わってくる。

 農家の庭先にいたある御主人とこんな会話をした。「知事の多選はなぜよくねぇんだい」「知事の力が大き過ぎるんですよ。8千億円の予算と人事を自由に動かすんですよ。長くなると、この力が増々大きくなるからまわりの人が自由に意見をいえなくなります。本人はそのつもりはなくても殿様になってしまうと言われます」。

 「それをおさえるんが県議会じゃねぇか」「はい、その通りです。県議会は真剣に頑張っていますが、制度の上でなかなか知事に太刀打ちできないんですよ。だから今度は法律で知事の4選以上を禁止しようという動きもあるんです」「なるほどのー。知事とつながっている者はいいが、そうでねえ者は、同じ知事が続くと張りが悪りぃもんだ。俺も知事はかえた方がいいと思う。しかし、大沢ちゅう男をよく知らねえ、今度会わせてくれや」

 私は7月5日3時ごろこの地域に大沢候補を連れてくると約束した。この親父さんのような人は限りなく存在するに違いない。群馬の歴史に特筆されるに違いないこの大勝負は面白くなる。200万県民が民主主義を学び政治に参加する機会でもあるのだ。

◇先日、強姦罪で有罪となり服役後に真犯人が現れて再審が開かれたことが報じられた。人を裁くことの難しさ、裁判というものの恐ろしさを感じる。裁判員制度のスタートが近づく中で、自分が裁判員になった時の責任の重さを改めて思った。

 そんな折、今度は、死刑判決を書いた裁判官のショッキングな告白が報じられた。

 袴田事件とは、元プロボクサーの袴田巌という男が強盗殺人事件で死刑判決を受けたもの。裁判は確定している。この裁判の第一審で死刑判決を書いた元裁判官が、実は公判当初から無罪と考えていたというもの。

「他の裁判官を説得できず死刑判決を書かざるを得なかった。良心の呵責に耐えきれず、翌年裁判官の職を辞し、何度か死を選ぼうとした」として、再審を求める上申書を最高裁に提出したというのだ。

 三審制で最高裁までいって確定した判決の権威のためにも、再審は容易に開かれるものではない。しかし、過去には再審で無罪が認められた例がいくつかある。正木ひろしの「冤罪」を読んで衝撃を受けたことがある。最近は凶悪事件が多く死刑判決が多い。世論の中で死刑反対は影を潜めてしまったようだが、死刑反対論の論拠の一つに「誤審は取りかえしがつかない」ということがある。無実の罪で死刑を執行された例もあるに違いない。ぞっとすることだ。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月26日 (火)

「宮城・大胡・粕川地区の大会の活気」(25日)

AM7時30分大沢事務所で選対会議が行われた。前橋の情勢が確実に盛り上がっていることが報告された。長年、選挙をやっている者としていえることは、劣勢でスタートして必死で追う立場は強いということだ。選挙は戦いである。古来、勝利の条件として、地の利、人の和、天の時というが、人の和が一番重要である。劣勢にあって戦いの大義を示せた時、人の心は一つになる。このことを夜の大会で感じることが出来た。

 前橋の大会は今月2日、群馬建設会館で行ったが、宮城・大胡・粕川の地域には合併前の特別の歴史があるからこの地域の盛り上がりを図る必要があるとしてこの大会は計画された。午後6時半から始まった大会は、予想以上の盛会であった。私が注目したことは高齢者よりも若手が多く見られたことだ。そして大沢さんの挨拶にも力がこもっていた。この人は、選挙向きの演説は正直言って上手ではないと思っていた。必死の選挙戦の経験があまりないからかも知れない。しかし、この日の演説はなかなかのものであった。大沢さんの心の中に自信が湧いてきたことを示すものであろう。

◇ミート社の偽装肉事件については、またかと思った。二人の息子と共に記者会見した社長の様子は、なりふり構わず金目当てに働いて財をなした肉屋の親父に見える。

 かつて食品の偽装表示事件が多発して大騒ぎとなった。雪印食品・日本食品・日本ハムなどが起こした牛肉偽証事件である。BSEの事件に関して起きた出来事であった。人の生命と健康に関わる重大事が明らかにされたのは内部からの通報であった。国民生活の安心や安全を確保するためには、このような内部の通報者を保護する必要があるとして、成立したのが公益通法者保護法である。今回のミート社の偽装肉の事件も内部の告発者によって明らかになった。

◇群馬県では、企業内から告発する場合にどうしたらよいのか教えて欲しいという問い合わせがあった。

 群馬県は、公益通報者保護法の施行に伴い、外部からの通報の窓口を設け通報処理の手続きを整えた。「窓口」は、県庁舎2Fの県民センター。方法は、来庁、文書、電話、メール。「通報受付の対象となるもの」は、県が処分や勧告等を行う「権限」をもつ法令違反行為の事実。(国や市町村に権限があるものについては、それぞれが通報先となる)。窓口が、国か県か市町村か分からないときは、県民センターに問い合わせれば教えてくれる。

 ミート社の事件では、管轄が国なのか北海道なのか問題になった。告発者は国の農政事務所に調査以来を出したが、この事務所は国ではないと判断して道庁に文書を渡したと主張。道庁は受け取らないと反発。

 6月議会における私の質問に当局は本県では内部告発の受けつけはないと答えたが、管轄がはっきりしないとせっかくの制度が動かないと思う。今後の課題として欲しい。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月25日 (月)

「ふるさと未来塾は盛況だった」(23日)

「史上初の四選を果したルーズヴェルトは45年4月に亡くなり、後を継いで大統領となったトルーマンは、この年7月ポツダム会談に臨み、人類史上初めて核のボタンを押すことになります」

 この下りを話すとき、少し脱線し、その後アメリカの憲法は大統領の任期を2期8年と定め、多選を禁止しています、知事選のことを言うつもりはないのですが、一般論として権力が集中するところ多選に弊害が伴うことは、世界共通ですと言うと、どっと笑いが起きた。知事選の多選に感心が高まっていることを感じた。

「トルーマンと、ポツダム宣言と、天皇制を話します、これらがどう結びつくのか注意して聞いて下さい」このように、初めに、課題を出しておいた方が話を良く理解してくれる。

 難しい話をするときは、脱線してエピソードに触れることが大切だ。ルーズベルトは、40歳そこそこで小児麻痺になって歩けなくなったとか、トルーマンは、大変な愛妻家で大統領になっても毎日のように妻にラブレターを書いた、ポツダムの会議の最中も、早く君に会いたいと書き送った、とか話すと皆んなの目が光るのが分かる。次のことは、エピソードのつもりはなく真剣に話した。

「スターリンに手を焼いて弱っていたトルーマンの態度がある時急に変わりました。それは、原爆実験の信じ難い成果を知らされたからです」。

 日本が最後までポツダム宣言受け入れにつきこだわった点は天皇制の維持である。原爆の投下、ソ連の参戦によって結局日本は無条件降伏を受け入れた。その結果作られた憲法で、天皇は日本国の象徴となった。天皇は政治上の権力から離れた存在になり、明治憲法の天皇制とは違ったものになったが、長い日本の歴史の上で天皇は、政治の実現から離れたもの、日本人の心のよりどころ、文化的存在、つまり象徴であったことを考えれば、本来の日本にとって誠に望ましい天皇制といえるのではないか。私は、憲法第一条の天皇についてこのような話をした。「天皇」に続いて、いくつかの主要な条文を印刷し配布して資料として使った。その中に、96条の「改正の手続き」と97条の「基本的人権の本質」があった。

 97条は定める。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことの出来ない永久の権利として信託されたものである。」

 押しつけられた憲法といわれるが、この条文にあるように、この憲法には人類が試練にたえて得た成果がもられている。その試練とは、例えば、この塾で取り上げたアメリカの独立革命やフランス大革命である。日本国憲法の基本的な部分は、手続に従っても改正をすることは出来ない。2回にわたる「憲法の話」は終わった。私たちの運命をたくする憲法を笑いと緊張のムードの中で話せたことが収穫であった。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月24日 (日)

『上州の山河と共に』連載(89)「補欠選に出馬す」

昼間はポイントを絞って遊説カーを走らせ、夕刻からは八ヶ所程の個人演説会場が予定されていた。

 忘れられないのは、この日の最後の個人演説会である。この日が最後ということもあって、かなりハードなスケジュールが組まれていた。この日、私の運転手を引き受けてくれたのは、西片貝町青年部長の砥上三千雄さんだった。分刻みのスケジュールに追われながら、まだ行ったことのない個人演説会場を捜し出して、時間通りに到達することは容易なことではなかった。私が演説をしている間に、砥上さんは、車の中で住宅地図を開き、次の会場を捜し、効率的に車を走らせる道順を考える。砥上さんの機転と巧みなハンドル捌きによって漸く前橋最北の地、田口町の公民館まで辿りついたが、この時既に予定の時間にかなり遅れていた。

 田口町の会場を済ませて外に出ると、辺りは車の所在も分からぬ程の深い闇につつまれ、空には、公民館を包む木立を通して、星が輝いているのが見えた。

 いよいよ最後の会場であるが、それは、前橋最南端の地、下増田町の公民館であった。すでに、時間は、予定を三十分以上も過ぎていた。田口町から下増田まで急いでも30分はかかる。従って、下増田の会場に着く時間は、予定より一時間も遅くなることになる。これから行っても、演説会はもう終っているかもしれない。そんな不安を抱きつつも、私達は、夜の街道を下増田目指してまっしぐらに車を走らせた。

 予め地図で調べておいたとはいえ、不案内の田舎道を走ることは大変だった。分からなくなって同じ道を行ったり来たりし、また、車を止め、農家に駆け込んで聞いたりしながら、やっとの思いで目的地に着くことができた。

 私の到着が大幅に遅れたので、会場では大変であったらしい。福島浩や町田錦一郎さんらの弁士が、できるだけ話を長くして話を持たせるのに苦労していたが、それにも限度があって、いよいよ弁士の話も尽きようとした時、一人の男が立ち上がって、マイクを握り訥々と話し始めた。しびれを切らし、退屈していた会場の人々は、弁士らしからぬ弁士の登場に興味をそそられ、上げかけた腰を再び据えて、この男に耳を傾けた。

 この男は、前にも触れたが、私の定時制時代の同級生、道上文教君であった。彼は、彼の目で見た私の姿を、彼の言葉で語ってくれたのであった。会場は静かになって、誰一人帰る人もなく、彼の話を聞いたという。これは、私の生涯を賭けた選挙戦のしめくくりを飾るにふさわしい場面であったと思う。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月23日 (土)

『上州の山河と共に』連載(88)「補欠選に出馬す」

 前にも書いたが、私が宮城村の小学校の頃、宮本武蔵や太閤記などいろいろな本を私に貸してくれ、私が読書好きになるきっかけをつくってくれたのが、この上野和仁であった。

 私は、破れたズボンにゴム草履、カバンの代わりにフロシキ包みをかかえた昔の上野少年を思い浮かべ、目の前の紳士と比較して、感無量であった。上野和仁とは、私が宮城村を離れて以来の再会であった。彼は、日本鋼管本社の中堅社員として活躍していたのである。私の旗揚げを知って、急拠駆けつけてくれたのだった。私は、短い時間ではあるが、大いに励まされ、勇気づけられ、選挙の疲れも一気に吹き飛ぶ思いであった。

 投票日まであと二日という日の午後、総決起大会が開かれた。我が陣営は、この総決起大会をことの他重要視していた。それには、次のような理由があった。 

 それは、この時点で情勢を分析してみると、我が陣営には安心ムードが漂い始めているが、現実は非常に厳しい筈だから、当選する為には、危機感を持って最後の力を振り絞らねばならないということ、また、私の選挙事務所から目と鼻の先にある菅野候補の事務所の盛り上がりの様子が逐一伝わり、選挙に関する経験と実績は向こうが上だから、これは油断がならない、と考えられたことであった。

 この大会に全てを賭けようという意気込みで準備は進められた。緊迫した雰囲気の中、前橋全域から続々と人々は集まり、選挙事務所は、ほぼ二千名の支援者で埋まった。各地の青年部は、それぞれの支部名や団体名を書いた昇り旗をかかげて集まったので、その林立する様は壮観であり、最後の決戦というムードを高めていた。

 我陣営は、必死で次の事を訴えた。

<中村にとって、これが最後のチャンスである。だから、ふるさと群馬の新しい時代を作る為に、みなさんの最後の力を貸してもらいたい。

まだまだ、中村を知らない人、誰に投票するか決めていない人、こういう人が非常に多くいる。皆さんの友人、知人、親戚の中にもこういう人が沢山いる筈だから、どうか、皆さん一人一人がこういう方々十人に声を掛けて欲しい。>

 そして、いよいよ、選挙運動の最後の日を迎えた。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

「6月議会終る。暴力団排除の条例可決される」

 6つの常任委員会と4つの特別委員会の各委員長が委員会の審議の結果を報告し、それについて討論が行われ採決となる。私は、県土整備常任委員長の報告に耳を傾けた。私が本会議における提案説明や委員会説明を行ってきた条例につき、委員長がどのような表現で報告するのか期待と緊張があった。

 登壇した平田英勝委員長は、付託案件の説明を次々に行い、やがて、この条例の部分に移った。

 「議員提案による政策条例として、また、県営住宅への暴力団員の入居を制限する画期的な条例として、県民も高い関心を寄せている議第8号議案『群馬県県営住宅管理条例の一部を改正する条例』について、集中審査を行いました。まず、議案提案者である中村紀雄議員に委員外議員として本委員会への出席を求め条例案の内容について説明を受けるとともに、県土整備局並びに警察本部から参考意見を聴取した後、質疑を行いました」

 平田委員長は、この発言に続けて、暴力団員の人権、とくに子供や家族に対する配慮その他につき熱心な質疑が交わされて、この条例案は全会一致を持って可決すべきものと決定しましたと報告した。

 「可決すべきものと決定」とは、「本会議で可決すべきもの」と「委員会で決定した」ということである。議会のルールは、まず委員会で審議し、それを踏まえて本会議で議決する。この日、委員長報告の後の本会議で、条例は、全会一致で可決された。

 平田委員長は、画期的と評価した。その意味は、広島県、福岡県に次ぐ三番目の制定ということ、議員提案の暴力団排除条例としては全国で最初であること、更に、暴力団に対する県民の不安に県議会が勇気をもって対応したということである。

◇知事選の公開討論会で「多選」が議論された。小寺知事は、「主権者たる県民によって選挙の度に審判を受ける」から問題ないと主張した。しかし、多選批判、そして多選を条例や法律で禁止しようとする最近の動きは、「主権者による選挙の度の審判」ということは当然の前提としたものである。だから選挙の審判を受けるということは多選批判をかわす理由にはならない。私は、知事選の投票率が常に50%を切るという現実も重要な論点だと思う。これは、主権者の審判があったといえるのかという民主主義の正統性が問われる事態だからである。

なぜ多選がいけないか。本来の理由は、強大な権限ゆえに長期になると権力は必ず腐敗するからだ。これは古今東西、歴史が証明している。アメリカの大統領は憲法で2期までとなっている。歴史の教訓にもとづくものだ。

民主政治は独裁を克服して生まれた。選挙に基づく権力も独裁的になる恐れがある。だから権力を分立させ互いに抑制させる仕組みが必要である。県政では知事の権限を抑制する仕事がほとんどない。議会のチェック機能が期待されるが残念ながら不十分だ。これは、私達の責任でもある。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月21日 (木)

「知事選が秒読みになってきた」

◇連日、早朝7時半の会議が続く。昨日(20日)も、朝、大胡町で、宮城・大胡・粕川地区の役員会があった。また、午後には、県連の建物で、拡大役員会が開かれた。

禁足令が出ているが特別に許可をもらって飛んで来ましたと前置きして、笹川県連会長は熱く語った。「命がけでやっています。自分の選挙でもこんなに真剣にやったことはありません。権力は長くなるとよどむのです。一番悪いことは人の心がよどむことです。社保庁が良い見本です。何としても勝たねばなりません。新しい群馬を作るために皆さん、力を合わせましょう」。

最後の檄は、いつもと違って女性が登壇した。「かかあ天下の力を発揮して私たちは頑張ります」元気の良い澄んだ声が響くと会場のあちこちに明るい笑顔が生まれた。「頑張るぞー」こぶしを突き上げる女性の声に合わせて大勢の声が一つになって轟いた。梅雨というのに誠に暑い。夏の陣は既に始まっている。

知事選の動向に影響を与える事態が次々に起き奔(ほん)流に揉まれているような感を抱く。中央の「年金」の混乱は自民党にとっては逆風だ。国会の会期が延びて参院選と知事選の同日選はなくなった様だ。年金の逆風の中でのこの変化は、知事選に関しては我が陣営にプラスという見方もある。民主党の一部が山本龍氏を支援するという。この事は、小寺陣営にはマイナス材料なのだろうか。公明党が大沢支援を打ち出した。当選ラインを30万票あたりとすれば、10万に近い公明党の票は有り難い、と皮算用する幹部もいる。「タヌカワだ」という笑い声も。

 このような激しい動きも大票田の表面を撫でる風に過ぎない。あちこちにチラチラと見える小さな火を煽って勢いずかせるには至っていない。大票田はまだ不気味に眠っている。すべてはこれからだ。民衆は生活に直結するカネに敏感である。消費税導入の時の厳しかった選挙を思い出す。今回は「年金」が爆風になることを覚悟しなければならない。

金といえば知事の退職金に人々の関心が高い。先日、こんなやりとりに驚いて耳をそばだてた。ある女性たちの一団の会話である。「知事の多選は悪いことで禁止の法律も出来るというのに、小寺さんはどうして出るの」。「退職金よ」。「一期5千万で、今度5期になると2億5千万円になるんだって」。「まあ、うちのお父さんなんかゼロなのに」。こういうレベルの事が選挙戦の行方に影響を与える要素になることは戦術上重要なのだ。

◇退職金について審議する報酬審査会のことが、行財政特別委員会で取り上げられた。質問者「どのようなメンバーで構成されていますか」。答弁「産業界・労働界・教育界などから」。質問者「任命するのは誰ですか」。答弁「知事です」。「自分が任命した審査員に自分の退職金を審査させて公平といえるのか」。こんな囁きが特別委員会の席から聞こえた。先日の「日記」で書いた、知事が「県民の代表の声です」と答えた報酬審査会のことである。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月20日 (水)

「決算・行財政特別委員会の緊張感」(19日)

◇「決算行財政改革」「地域活性化対策」「安全安心なくらし」「子育て支援対策」の4つの特別委員会がある。私は第一の特別委員会に属する。正副の委員長は、それぞれ関根圀男、真下誠治の各氏。総勢15名の委員から成る。特別委員会は、特別に定められた事項につき審査する。我が特別委員は名称の通り、決算の認定に関することと、行財政改革に関することを審査する。そして今回は、行政改革と財政改革に関することが審議された。 

 委員会のやり取りには知事選を背景にした緊張が感じられた。実はこの日、早朝7時半より笹川県連会長も出席して知事選対策を議題にした県議団総会が行われた。前日、発表された小寺知事のマニフェストの中味も、この会議でいつくか話題になった。委員の発言には、これらを意識したものもあったかも知れない。

 私はトップバッターで質問した。その主な点は、①公益通報制度、②情報セキュリティ、③アウトソーシング、④県立病院改革、等に関することである。

 ①は内部告発者を保護する制度のこと。食品表示偽装事件など多くの事件が内部告発で発覚した。社会の公益を守るためには内部告発者を守る必要があるので平成16年に公益通報者保護法が出来た。県庁内には通報者のための窓口がある。私の質問に対して、当局は、まだ通報者の実績はないと答えた。②県庁はいわば情報の宝庫である。そこには県民の情報も多くある。それが違法に流れたり、不注意によって漏れたりしないようにすることが情報セキュリティの目的である。これは、県民のプライバシー保護や県民のための県政を進める上でも重要である。県はセキュリティポリシーを作って真剣に取り組んでいるが特別委員会で取り上げた事により更にセキュリティは進むと思われる。③アウトソーシングとは県の業務を外部に委託することである。民間に委託することでコストが大幅に減る。コストの削減と共にサービスを向上させることも重要な点だ。これまで私は何度も取り上げてきたが、新たな観点から質問した。それは、県と民間の役割の分担を深く考えて、真に県の役割とすべきもの以外は民間にさせる、そのことによって民間の仕事が増え産業の振興にも役立つ、だから、県の仕事を全部洗い直し、何十%を外に出すという目標をたてるべきだ。このような提案をした。高知県はこの点の先進県である。④4つの県立病院で一億円近い未収金がある。医は仁といわれ、金がないからといって診療を拒めないし、払えない人から厳しく取り立てることも難しい。しかし、未収の原因を分析し、金があるのに払わぬ人には厳しく対応すべきだと発言してきた。「親方日の丸」意識は診療の質にも関わることである。県は未収金の回収にようやく本腰を入れ始めたようだ。ジェネリック薬品の安全性についても質問した。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月19日 (火)

「教育委員会関係の常任委員会で質問」(18日)

◇常任委員会は県議7名で構成され、委員長は、自民党の須藤昭男氏である。また、教育委員会の委員長は、桑原保光氏である。委員長は、議長からの出席要求があった場合に出席するルールである。教育の世界が大変なときに、教育行政のトップが委員会に出席して議論に参加していないのはおかしいというのが私の信念である。そこで毎回ルールに従って出席を求めている。この日も桑原氏は議員の質問に正面から答えていた。かつての教育委員会には、委員長は、教育の専門家ではないから常任委員会で細かい質問をされても困ると言って出席に消極的な雰囲気があった。

 教育界が深刻な問題を抱える一方で、教育委員会の形骸化を批判する声がある。教育委員は教育行政につき実質的に責任を担える人間であるべきである。厳しい雰囲気が定着すれば、教育委員になる人は、このことを自覚して職に就く事になる。それは、群馬県の教育の真の発展のために望ましいことである。

 桑原委員長には教育委員会の真価が問題にされる中でその覚悟はいかん、と問い、又、週に一度は学校の現場に飛び込んでその報告をして欲しいと要望した。

◇その他、私が当局に質問したことは①副校長、主幹、指導教諭などのポストを公立校に置く動き、②今年度から実施された公立高校学区撤廃の影響、③全国学力調査の結果をどう利用するか、④必修漏れ問題の本質、⑤「ボランティアチューター ようこそ先輩」の実施状況など。およそ1時間をかけた。②について。今春から公立高入試は全県1区となった。いままでは、学区外は受験出来なかった。人気のある学校に生徒が集まり逆に生徒が集まらない所も生ずる。高校は魅力ある特色づくりに力を入れて生徒にピーアールしなければならない。生徒はその特色によって自分の学校を選ぶ。中学の進路指導も一層重要になる。かつて、テストの偏差値によって進路を形式的に決めていた時代があったが、隔世の感がある。

◇中小企業家同友会の例会に出た。以前から会員であったがなかなか出席出来なかった。多くのテーブルに別れ、一つのテーブルには6人が座り限られた時間内でテーマについて討論する。テーマは、初めのが、「何のために仕事をしているか」、次いで、「実現したい自分の夢」。討論の時間が終わると、各テーブルの代表がそれぞれの討論の内容を総括する。

 今どき真面目な人たちがいるものだと内心驚いた。このような議論の中で刺激を受けヒントを得て事業に役立てていることが分かる。この人たちは、経営の理念や哲学を自然に育てているに違いない。日本の経済の活力を生み出すものはこのような中小企業の存在だと思うと勇気が湧く。

 最後に閉会の挨拶に立った人は語った。「御飯の時頂きますと手を合わせるのは命を頂くという意味です。コメも野菜も、魚もみな命あるものですから。私たちは命あるものによって生かされているのです」。この人は実家が僧職とか。コムスン、ノバァを批判する声も聞かれた。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載致します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月18日 (月)

「暴力団排除の条例は委員会で可決された」(15日)

◇県土整備常任委員長から私に対し出席要請書が出されていた。301委員会室に座ると平田委員長から8号議案の説明を求められた。私の発言の概要は次のようなものであった。「改正の主な点は、県営住宅の入居資格に、暴力団員でないことという条項を、また、明渡を求め得る理由として、暴力団員であることが判明した時という条項、これら二つの条項を新たに加えることであります。

 暴力団は最悪の犯罪集団であります。平成4年、市民の安全を守るために暴力団対策法が施行されましたが、その後の暴力団の動きはと申しますと、巧妙になり銃による抗争事件は激しくなり、勢力は一向に衰えていません。その顕著な例が平成15年1月の前橋三俣町で起きた暴力団の抗争事件です。1人の組員と3人の民間人が殺されました。この事件は市民を恐怖に陥(おとし)いれ、県当局は何をしているのかという多くの意見が寄せられました。そして今年4月、二つの暴力団の事件が起きました。長崎市長の射殺、及び東京都町田市の都営住宅に銃をもってたてこもった事件です。都営住宅における事件は、群馬の県営住宅でも同様な事件が起きる可能性を示すものであり、暴力団の入居を許さない制度を早く作って欲しいという多くの要望が私たちに寄せられました。県民の安全を確保することは私たち県会議員の責務です。県民の不安を考えると一刻も猶予は出来ません。そこで私たちは、勇気をもって議員立法のかたちで条例を作る決意を固めたのであります」。

 私の説明に続き、県土整備局と警察本部によって参考意見が述べられ、その後、質疑応答へ進んだ。質疑はフォーラムの塚原仁、共産党の早川昌枝、自民党の村岡隆村の各氏からなされた。

 議論は、憲法14条の平等原則、憲法25条の生存権の問題にも及んだ。私は、これらの間題にも正面から自信を持って答えた。裁決がなされ、全員の賛成を得て委員会可決が実現した。議員が自ら条例を作って政策の実施を目指すことは県政史上珍しい事とされる。しかも、その政策は、暴力団の銃口から県民の安全を守ろうとするものである。先行する広島県や福岡県の暴力団排除の条例も知事の発議によるもの。群馬県議会のこの度の条例づくりが、議会改革の大切な一里塚になることを願いたい。

◇群馬県の県営住宅はおよそ30人の暴力団がいるとされる。条例の施行は10月1日であるが予想外の難題が生じるかも知れない。この「日記」を書いている時、テレビは暴力団のニュースを報じた。飛行機の中で携帯を使い、制止しても聞かず逮捕されたというもの。飛行機の中での携帯使用は電気系統に重大な影響を生じさせ飛行機の運航に障害を生じさせる恐れがあるのだ。日本は人間の尊重に最高の価値を認める法治国家であるが、それを実施するには、市民の勇気が要る。暴力団の排除に関して、私は身をもってこのことを感じた。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月17日 (日)

『上州の山河と共に』連載(87)「補欠選に出馬す」

 しかし、我が陣営には勢いがあった。前回運動に参加してくれた人は、自分達の力であと一歩の所まで道を切り開いたという自信を持って、ほとんどが補欠選にも参加してくれたし、私の存在を認知して新たに戦線に加わってくれる人も続々と増えていた。

 また、まだ会ったこともない人々から連日のように寄せられる励ましの手紙は、私を大変に勇気づけた。

 今回の選挙では、前橋全域から、特に、本選挙では現職の県議が守っている地盤からも票を獲得しなければならなかった。その為には、格別の戦略を立てねばならないが、選挙事務所を人目に付きやすい場所に設けることも重要なポイントであった。幸いなことに、主要地方道前橋・大間々・桐生線、通称大胡県道といわれる極めて交通量の多い県道の沿線の格好の場所に、選挙事務所を設けることができた。

 地元芳賀の情勢も前回とはかなり異なり、それまでは様々の事情から表立って私を支援できなかった人々も、名乗りを上げてくれるようになっていた。特に、小林清六さんや宮内禎一さんが重要なポストについてくれたことは、大きな戦力であった。

 小林清六さんは、芳賀農協の参事を長く勤めた人で、その実直な人柄と実績から地域で人望があり、特に農業関係では、県内に広い人脈を持っていた。

 作戦の中の重要な柱は、組織的なローラー作戦と座談会の開催であったが、前回の貴重な経験が生かせて、これらも、前回よりはるかにスムーズに展開しているように見られた。

 数多くの座談会には、多くの方が役割を分担して弁士を引き受けてくれた。前回、おおいに活躍してくれた笠原久子さんは、今回は宮内禎一さんとコンビを組んで頑張ってくれた。二人は、泣かせの笠原、ユーモアの宮内の「笠宮コンビ」と言われた程に呼吸の合った弁士振りを発揮してくれた。

 告示以来、日が経つにつれ、地の利、人の輪、時の運と、全てが私達に味方しているように思えてきた。

 中盤も過ぎた日のこと、選挙カーに乗って遊説の途中、選挙事務所に立ち寄った時、福島浩が一人の紳士をつれて私の所へやって来た。

「中村君、しばらくだな、わかりますか」

「あっ、上野君」私はびっくりして叫んだ。すっかり変わってはいるが、その笑顔には三十数年前の面影がはっきりと認められたのである。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月16日 (土)

『上州の山河と共に』連載(86)「補欠選に出馬す」

補欠選挙が行われる場合は、公職選挙法に列挙されているがその一つとして、一人の欠員でも、その地方における上級の選挙がある場合には、同時に補欠選を行うこととされていた。昭和63年7月、群馬県知事の任期満了に伴って、行われる知事選が、この上級の選挙にあたるということで、前橋市においては、県会議員の補欠選挙が行われることになったのである。

 この出来事は、私には、天の助けと思われた。従って、私は、万難を排してこの補欠選に立候補することが私の選ぶべき唯一の道と判断したのである。

 補欠選に出馬す

 県議補選は、昭和63年7月1日告示され、投票日は、知事選と同じく同7月10日であった。立候補の届出をしたのは私・中村紀雄、菅野義章氏、社会党公認の宮川邦雄氏、それに、共産党公認の長谷川薫氏の4人であった。

 知事選は、現職で4期目を目指す清水一郎氏と共産党公認の小野寺慶吾氏との対決であって、既に勝負はついていると見られていた上に、途中から清水候補の入院静養というハプニングも加わって、至って低調なムードであった。

 これに対して県議選は、一議席を保革四人で争う激戦であり、盛り上がりが予想されていた。また、私と菅野氏との対決という点にも、世間はかなりの感心を寄せているようであった。

 私については、前回の選挙で異色の新人といわれ、また、大方の選挙通からは泡沫候補に近いと見られながら意外に善戦したことから、今度はどのような票を獲得するかという点に、多くの人々の関心と興味が集まっていた。

 また、菅野氏は、前回の選挙で、二人の地盤が隣接し、あるいは重なるということから、私と熾烈な対決をし、共に落選したわけであるが、その時の得票数は私よりやや上で最下位当選者との差は僅か百三十票であった。衆院選に挑戦したが果さず、県議へのカムバックに注ぐ菅野氏の執念が今度は実を結ぶかということも、世間が興味を寄せる点と思われた。

 前橋市の有権者数は、昭和六十三年の時点で約二十万四千人で、仮に投票率を四五%とすると、県議補選は、九万二千票をめぐる戦いであり、これからすると、当選を果たすには三万票を目標としなければならない。

 これは、前回の選挙で私が得た一万七七七票の約三倍であり、短期間でこれだけの票を獲得するのは至難の事と思われた。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月15日 (金)

「議案調査日は忙しいスケジュールの中だった」。(14日)

◇午後9時常任役員会、10時常任部会、11時県議団総会と続いた。常任部会は、これから始まる常任委員会の打ち合わせをする会で、私は文教警察常任委員会所属なので、その関係の部会に出た。質問者の順序、及び、請願処理の方針など話し合った。自民党県議団総会には笹川県連会長も出席。主な議題は知事選と参院選の対策で、公明党のことも話題になった。

 知事選に関しては、状況が緊迫する中で、中心となって活動する各県議の役割として重い課題を確認し合った。参院選では、選挙区は山本一太氏を公認候補として、又、比例代表では三人の公認候補を応援することになった。上野公成、おみ朝子、中山恭子の各氏である。本県関係の比例代表はこの他に公明党の加藤修一氏がいる。

 比例代表の仕組みはやや複雑である。有権者は政党名か候補者名のどちらを書いても良い。しかし、順位は個人名の数の多さで決まる。だから、本県出身者は、本県の有権者に個人名を書いてくれと訴えている。知事選も厳しいがこちらも厳しくなりそうだ。上野公成氏とおみ朝子さんは前回落選しただけに今回は背水の陣である。

◇「一万円以下の領収書を添付すると不自由になったり不可能になる活動とは、具体的にどのようなことをいうのですか」というメールが寄せられた。今、問題にされている政務調査費に関することだ。先日、理髪店でも同様なことを質問された。

 政務調査活動に必要な項目として認められるものに、例えば、資料購入費や事務費などがある。事務用品や備品の購入費も入る。一円以上のもの全てに領収書が必要であることは、かなり神経を使い忙しい中で迅速に行動することを考えると制約になっていることは事実である。

 しかし、全ての領収書を保管することは、法律で義務づけられているのである。この点は、自民党も承知しているので争ってはいない。調査費は会派に支給されるので、会派として領収書を添付して議長に報告するが、その時、一円以上の全てを整理して添付することは、事務が繁雑で大変な作業となる。自民党の会派は33人いるので膨大な事務量になる。このことが結果として政治活動の自由を制限することになる。これが公式的な理由である。宮城県ではパンク状態になって、議員の中から3人がチームを作って作業に当り、他に専属の事務員を置いているという。群馬県は、改革に向けて大きく一歩を踏み出した。「一万円」というのも新たな大きな一歩なのだ。これをステップにして、今後の改革を課題にすべきだと、私個人としては考えている。

 本会議場のやりとりでも、「一円以上」を主張する会派の人に、「先ず、やってみて、その結果を示して欲しい」と自民党が答える場面があった。

 この「日記」は午前5時に書いている。今日15日は、午後から、私は「県営住宅から暴力団を排除する条例」につき委員会で説明する。平成15年の4人が殺された三俣町の暴力団抗争事件を念頭に置いて、県土整備常任委員会に臨もうと思う。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月14日 (木)

「一般質問二日目。県議会の変化」

◇二日間の一般質問を通じて感じたことは、知事と議会の対立が激しくなっていることだ。登壇する質問者の発言の姿勢にそれが現われていることはもちろんだが、議員席のヤジやブツブツもらす言葉からより強く感じる。近づいた知事選に向けて勢いずいている議員の内面が伝わってくる。そして質問者は、このような雰囲気を背にして一層熱くなっているようだ。私が議長の時導入を決めたテレビの生中継が、結果として、知事選にむけたピーアールの舞台になっているといった感じである。

 この日も、いくつかそのような場面があった

◇「隣県栃木と比べて負けているのは、県政の運営が間違っていたからではないか」と言う追求がなされた。栃木県は、面積や人口が大体同じ規模であり、その位置も内陸で並んでいることからよく比較され、またライバル意識もはたらくから違いが問題にされるのだ。この日は、県民所得、人口、企業からの税収が群馬はまけていることが指摘された。知事も答えに窮しているように見えた。

◇「知事の退職金が副知事の時のものと通算すると約2億6千万円となることを県民はどう受けとめていると思うか」と知事の考えを聞く質問があった。私は、これも知事にとって痛い質問だなと思いながらやりとりを見守っていた。「多いかどうかを客観的に公平に判断してもらう第三者機関の判断にゆだねた」と小寺知事が答えると、「知事は、県民がどう受け止めていると思っているのか」と重ねて問われ、知事は、「第三者機関は県民の代表だ」と答えた。第三者機関は、県民の代表だからその結論が県民の受け止めるところだという考えであろう。私は、官僚的な答弁だと思う。第三者機関は形の上は県民の代表だが無数の一般大衆を代表しているとはいえない。実は、この退職金問題は、私たちの有力な知事選対策の武器の一つである。

◇この日、最後になって、紛糾し議会がストップした出来事があった。それは、「執行部が、想定質問の作成をメールで求めたこという報道は事実か」という質問に端を発した。かつては、議員が、質問する項目を執行部に相談するという習慣があった。そして、質問を丸投げして作らせる者もいるという批判も一部にあった。

 このような悪い習慣が、知事と議会の緊張関係の中で廃止されたことは議会改革のための進歩であった。新聞報道によれば、これを復活させるような動きを執行部が行ったというもの。親知事派の議員のために便宜を図る意図があったのではという見方もあった。副知事は「K議員も以前の議会でそれを利用した」と発言。議員席からは、「反省して改めようとしているのだ」という声が飛ぶ。「報道は事実か」という重ねての問いに総務担当理事は「事実です」と認めた。これは、議会改革を逆行させるようなことを執行部が行ったことを意味する。時間切れまで数分。「休会」の動議が出た。休会中の会議で「明日の議運で検討」となった。荒れる議会は進歩する議会の姿でもあるのだ。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月13日 (水)

「本会議第1日目の議会は、対決で燃えた」

10時に始まり、5人の県議が午後5時過ぎまで質問に立った。それぞれの個性を発揮した発言の様子とやりとりは、長時間私たちを退屈させなかった。中でも盛り上がった場面は、知事選と政務調査費に関する応答であった。

 自民党では、松本耕司氏が代表質問に立ち、知事の権限はあまりに大きいから多選になると腐敗してよくない、2期で十分である、知事は416年になるがこれは長かったと思うか短かったと思うかと迫った。

 これに対し、小寺知事は、短くとも腐るものは腐るし腐らないものは腐らない、不祥事を起こす知事は一期でも起こす、7回まで投げたが疲れていない、コントロールもいい、選挙で主権者の判断にまかせればいいと答えた。私の席は一番後ろだが激しいやり取りの中で知事の顔が紅潮しているのが分かった。総務省は4選以上の多選を禁止する法律をこの秋にも作ろうとしているが、多選は良くないということは今や大きな世論となっている。知事の言うように、県民は主権者だから選挙によってその判断に任せればよいという理屈も良く耳にすることであるが余り説得力がないと思う。

 その理由の主なものを挙げる。一つは知事選の投票率がいつも50%を大きく下回ること。投票率が50%を割ることは、民主主義の正当性が問われるべき重大事であり、そこに現れた多数の意見をもって主権者の判断だと尊重するのは行き過ぎである。もう一つは公平性の問題だ。知事の権限の大きさは想像を超える。8千億の予算を自由にし、かつ人事権を握る。今回の知事選で非常に多くの団体や個人が知事に予算をつけてもらったからとか補助金をもらったから応援すると発言している。あたかも知事個人から利益を得ているかの如くに。また、知事の日々の生活はそのまま選挙につながっている。200万県民に対する知名度が、圧倒的なのはそのためである。県の出版物は数も量も膨大であるが、そのどれにも知事の写真があふれている。そして、更に挙げるべきことは、権限が絶大であるが故に、いかに人格が高潔でもおごりが生じ人心が倦(う)み、新たな活力が生まれにくくなる。このようなことも、周到なデータを用意して深く追求して欲しかった。しかし、松本氏の姿には迫力があった。

◇政務調査費に関する質疑では、議運の副委員長の中島篤氏が答弁席にたった。異例のことである。条例の提案者だからである。自民、公明、フォーラムは、領収書の添付は1万円以上とする立場であるが、岩上憲司氏、あべともよ氏のグループは1円以上の全てに領収書をと主張。中島氏の論理は政治活動の自由と調査費の使い方の透明性の要求の調和点として1万円が妥当だとするもの。私は最近、床屋の主人に自分達の常識は1円ですと言われたが、透明性という点からはこのようになる。しかし、それでは政治活動は不自由になり有効な活動は不可能となる。これは「自由」の観点だ。論理的にすっきりした攻防というにはやや不十分な論戦であった。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月12日 (火)

「県営住宅から暴力団を排除する条例の行方」

 今月6日、県議会開会日の私の提案説明に関心を寄せる人が多い。その中に、条例案は今後、どのように審議され条例となるのかと聞く人がいた。多くの人に条例の行方を見守ってもらいたい。

 議会における流れは、提案説明が済んだので、次は委員会審議となる。審議する委員会は県土整備常任委員会である。この委員会が関係する執行部の中に県営住宅を担当する建築住宅課があるからだ。

 私は、文教警察常任委員会に属する。そこで県土整備常任委員会に出向いて質疑に応ずることになる。この委員会での審議を踏まえて、本会議最終日(621日)の議会で可決されると条例が成立することになる。施行期日は、熟慮の末、今年101日からとした。

 提案説明の中で最近の憂慮すべき社会状況として次の点を挙げた。①平成15年1月25日に三俣町のスナックで起きた暴力団の抗争事件。3人の民間人と1人の組員が殺され、実行犯は、一審二審で死刑判決を受けている。朝倉町の組員宅の前には24時間警察官が詰めていた。②今年417日の長崎市長銃撃事件、続く420日の都営住宅の立てこもり事件である。

 前橋の市民は三俣事件がまだ記憶に新しいことから4月の一連の事件に怯(おび)える人も多いらしく、県は暴力団にもっと毅然とした態度を示して市民の安全を守れという声が私の所へ寄せられていた。県民の声に敏感に対応することは私たちの使命である。そこで、私は、多少の身の危険も覚悟して議員総会で提案し作業を進めた。

 実は初めの私の提案には、県営住宅以外の県有の公営施設を暴力団に使わせないという条例のこともあったが、あれもこれもでは6月議会に間に合わない恐れと県営住宅以外の公有施設については慎重に案を練るべきこともあると考え、今回は県営住宅に関する条例に絞ったのである。

 なお、常任委員会の日程は、615日(金)、及び618日(月)である。5名迄の傍聴が可能である。

◇地球温暖化の危機が一気に湧き立ってきた。一般の人々の様子を見ると数年前の状況と比べ隔世の感がある。マスメディアが発達したお陰で世界の隅々の気象の異常が日常的に目に飛び込んでくる。日本は南北に長い島国でまわりが海だから異常気象の影響は少ないと思われる。他の国の国民の受け止め方はもっと深刻なのではないか。

ドイツにおけるG8の会議で阿部首相がCO2を50%削減する目標を提案したことは注目に値する。日本は、平和、文化、環境などの面で世界に貢献すべきである。憲法の前文には、「われらは平和を維持し専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」と謳う。地球の環境を救うことは、前文で揚げるこれらのことがらの大前提である。改正される憲法には環境に関する権利を設けたいものだ。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月11日 (月)

「山崎秀冠さんのお別れの会が行われた。」(10日)

89歳の大往生だった。私は、秀冠さんが理事長を務める山崎学園とは顧問として関わり毎年入学式や卒業式で挨拶をした。また、私が顧問を勤める司厨士協会との関係でもつながりがあった。司厨士とは西洋料理人のことであり、協会の多くの人は山崎学園が経営する調理師専門学校の出身なのである。副理事長の遠山巍氏は東大の物理の出で秀冠さんの長女の御主人であるが、私とは公私にわたり親しい仲である。お別れの会では、秀冠さんの生涯が映像で振り返られたが、私の知らなかった部分も多くあり、改めてその幅広い活躍に驚かされた。私が覚えているのは、秀冠さんが昭和30年に始められた前橋クッキングスクールのことである。それは、広瀬川沿いの、現在は前橋文学館が立つあたりにあった。広瀬川を挟んだ対岸に当時は県立図書館があり、私はここをよく利用したのでクッキングスクールの光景は図書館のあたりから良く見ていたのである。あれから長い年月が過ぎたが、今日の山崎学園は秀冠さんという人格が築き上げたのだなという感慨を抱いた。83歳の誕生日をペルーのインカの遺跡マチュピチュで迎えたことなどは、秀冠さんが心身共に健康であったからこそ、「山崎学園」という業績を達成できたことを物語る事実であると思う。ご冥福を祈る。

◇おみ朝子さんを励ます会に出た(10日)。会は午後3時に始まったが時折り、激しい雨が降っていた。県民会館の大ホールは空席も目に付くが多くの支援者が集まっていた。尾身財務大臣が30分時局を語った。その中で、少子化対策の重要性を語る点が印象的だった。このままだと日本は活力のない三流国になってしまうという下りである。また、宙に浮いた年金の事も話していた。

 あさ子さんは、3年前の参院選で惜敗した。あれから傞土重来を期して日本中を駆け回ってきた。学生時代からの彼女を見ているが、人生の苦難も経験して人間として、女性として修行を重ねてきたことが感じられる。離婚したと聞くが二人の男の子は中学生になったという。母としての体験は政治家の資質に厚みを加えるに違いない。朝子さんが、私の4月の県議選に真剣に応援演説した姿が思い出され、私の挨拶にも自然と力が入った。

 「参議院の役割は、大局的な観点から明日の日本を考えることです。だから、衆議院の数の政治に対して参院は理の政治とも言われます。日本は今危機にあります。だから、参院の役割を果たせる人物が求められているのです。おみ朝子さんこそ、参院が求める人物です」。私はこのような挨拶をした。

 ◇姪の結婚式があった。(9日)。上の弟の長女が嫁いだ。披露宴では、若者たちの歌や踊りがあって、時代の大きな変化を感じた。少子化と高年齢化、地球の温暖化など、恐ろしい世界が彼らの行く手に待ち受けているのか。私のきょうだいは4人。テーブルを囲んで酒を飲み語らうのは久し振りのことであった。振り返ると一緒に暮らしていた頃の様々な光景が頭に浮かぶ。人生は短いと思った。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月10日 (日)

『上州の山河と共に』連載(85)「審判下る」

  一夜が明けた。新聞に目をやると、四月十三日の上毛新聞は、次のように書いている。『午後八時五十分、開票結果の連絡が入ると、前橋市小坂子町の事務所は「中村落選」の結果を予想外として受けとめた。選挙期間中「新旧交代」を訴え、四十回以上の個人演説会をこなし、当選の感触を得ていた。しかし、この結果・・・。中村氏は、詰めかけた支持者を前に「申し訳ない。私の努力が足りなかった」と一言挨拶。声を詰まらせながら頭を下げると、事務所は溜息や泣き声に包まれた』私は、改めて落選したことを実感した。言いようのない淋しさに襲われる。杜甫の詩、「国破有山河城春深草木」の心境であった。 捲土重来 私の得票は10,777票で、最下位当選者笠原秋雄氏の11,040票とは、263票の差であった。冷静になって考えてみると、これは、破れたとはいえ、すごい善戦であった。 たとえ僅かの差であっても落選は落選であって、当選と比べたら天地の差があるといわねばならないが、当落を抜きにして中味を比較するなら、立派な数字というべきであった。私は、改めて、多くの支援者を有り難いと思った。そして、10,777票という票を無駄にしては、これを投じてくれた人々に申し訳が立たない。これらの人々の温かい心に報いる道はただ一つ、それは、次の機会に当選を果たす以外にないと思われた。 落選したとは言え、10,777人の人が支援してくれていると思うと勇気が湧いてくる。私は間もなく捲土重来を期して活動を始めることにした。 お世話になった役員の方々や多くのボランティアの方々にたいする挨拶回り、あるいは、座談会や決起大会に参加してくれた人々に対して礼状を出す作業、これらの仕事をこつこつと実行している中に、早くも一年近くが過ぎた。 そんなある日、思いもよらぬニュースが飛び込んで来たのである。それは、前橋市長藤井精一氏の急逝であった。藤井市長の死は、市政ばかりでなく県政にも大きな影響を与える渦に発展し、私はその中に巻き込まれてゆくことになるのであった。 藤井精一氏の死によって空席となった市長を選ぶために市長選が行われることになり、県議のアカネ淑郎氏がこれに立候補した。そして、このことは同時に、県議の椅子も一つ空席ができることを意味した。 ☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 9日 (土)

『上州の山河と共に』連載(84)「審判下る」

 長い間ボランティアで働いてくれた人々の顔、決起大会に集まった多くの人々の顔、これら無数の顔が歓喜で燃えるようになったり、悲嘆に沈む顔になったりして、私の頭に浮かんでは消える。妻も居た堪れずに青い顔をしてそわそわしている。

 運命の時はやってきた。午後八時が近づく頃、小坂子の選挙事務所の広間は、今や遅しと結果を待つ人々で一杯であった。

 広間の前面には、一段高い台の上に中古のテレビが設置され、人々の目は群馬テレビの開票速報に注がれていた。

 私と妻は、別の一室で待機していた。狭い部屋は、重苦しい沈黙が支配し、私は、時々そこから逃げ出したいような恐怖に駆られていた。妻は、頭を下げ、床の一点をじっと見詰めている。こんな思いをするのなら始めなければ良かった、と後悔の念が頭の片隅をよぎる。時々広間のざわめきが伝わってくる。一際大きなどよめきが聞こえた時、突然ドアが開いて、福島浩が入ってきた。

「どうなんだ」

「うん」

福島は、一瞬唾を呑み込むような仕草をしてから言った。

「駄目だった。僅かの差だ。兎に角、二人とも来てくれ」

 何ということか。私は、体の中心から力が抜け、一瞬、頭の中が真白になるように感じた。しかし、私はすぐ我にかえり、広間に向かった。広間は、立つ余地がない程にいっぱいで、興奮した人々の声が飛び交っていた。

 私が前に立つと、騒ぎは止み、水を打ったように静かになった。

「申し訳ありません。私の不徳の致すところであります。皆さんの温かいご支援を十分に生かすことができませんでした。深くお詫び申し上げます。」

 私がここまで言ったとき、広間のあちこちから、女性たちの泣き声が一斉に起こった。

「負けたのではない、あと僅か票が足りなかっただけだ」

誰かが大声で叫ぶと、これに呼応するようにあちこちから声が上がった。

「そうだ、そうだ、戦いはこれからだ」

私の胸を熱いものがつき上げ、こらえきれず涙が頬を伝って流れた。

 喧騒の広間は、去る人もほとんどなく、盛り上がる熱気に包まれていつまでも夕闇の中で燃えていた。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 8日 (金)

「松岡農水相の自殺は衝撃だ」

「松岡農水相の自殺は衝撃だ」

◇政治家は精神的にもしたたかだと思っていただけに驚いた。現職の大臣が自殺することは珍しい。よほど追い詰められて正常な判断力を失っていたのか。松岡農水相が自殺する位だから一般の人で自殺者が多いのは当然、まして精神力が弱いと思われる学生や生徒の自殺が多いのは当然だと考えてしまう。

 日本は自殺が多い国だ。日本の自殺による死亡率は主要国の中でロシアに次いで高く、アメリカの2倍、イギリスの3倍である。

 1998年(平成10年)に年間自殺者が前年比8千人も急増し、年間自殺者が3万人を超えた。バブル崩壊後のリストラによる影響が大きいといわれた。そして、03年(平成15年)以来、自殺者は毎年3万人を上回り続けた。

自殺者の中で中高年男性が全体の約6割を占め、中でも働き盛りの50歳代の自殺者が多いと言われた。しかし、昨日の警察庁の発表で注目されるのは、学生、生徒の自殺者が増えていることだ。

 警察庁によると、昨年一年間の学生・生徒の自殺者は886人で、過去最多。原因、動機で、遺書などによって分かっているものとしては「学校問題」が一番多い。これは、学校現場が深刻な問題を抱えていることを示すものだ。

自殺に至る個人は最も苦しむが、家族や友人などその周辺の人も苦しむ。そして、自殺には社会の在り方が大きく影響していることを考えると、自殺は個人の問題であるだけでなく社会全体の問題である。

 06年(平成18年)6月に、自殺対策基本法ができた。これは、自殺防止のための社会的取り組みを国や地方自治体の責務とする。そこで、今年、政府の有識者会議「自殺総合対策の在り方検討会」は、自殺予防に国や自治体が取り組むべき施策をまとめた。そこでは、自殺のうちの多くは「避けられる死」だととらえている。

厚労省の調査では、自殺した人や、しようとした人の8割は家族や友人に相談していなかったという。「検討会」は、「危険な状態に追い込まれる前に心の悩みを解消できれば」、また、「追い込まれてしまった後でも周りの人が自殺を考えている人のサインに気付いて専門家につなぎ、見守っていけば」多くの自殺は避けられる、という立場に立って自殺防止の対処法を立てている。

経済的に非常に豊かな日本で自殺者が多いことは、日本が真に豊かな社会ではないことの証拠といえる。病める社会を基本的に直すことを考えねばならない。その一つは、教育である。子どもの育て方を学校、家庭、地域社会の連携の中で真剣に検討すべき時だ。

◇昨日は、地域の駐在さん、東警察署の人、県警本部の人などが次々に訪れた。私が暴力団排除の条例作りの中心になっていることから、不測の出来事が、今後起きないよう配慮するためである。この6月議会で条例が成立した場合、施行は今年10月1日である。それまでに様々な事態が順調に進むことを願っている。6月に出来る東京都と群馬県の条例は、全国に今後波及するに違いない。群馬県の条例はそのためにも大切な一歩としたい。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 7日 (木)

「6月議会で提案説明をする」

 この日、7時半より、自民党の朝食会があった。会議の議題は、知事選のことが中心である。知事選以外のことについても意見が出た。「今は、議会の存亡がかかった時だから、この議会での質問もしっかりやらなければならない」このような幹部の発言もあった。「その他」のところで政調会長の真下さんが私に発言を求めた。私は立ち上がって、この日提出する条例案のポイントを説明し、本会議場で提案説明をするから宜しくと発言。

◇本会議は10時に始まる。この6月議会で注目される一つの議題は政務調査費に関する事である。これは今、全国的に議論されていることで、具体的には、領収書の添付を要する支出は、「一円以上」か「一万円以上」が争われた。条例によって決められることなので、それぞれの立場から提案説明が行われた。自民・公明・フォーラムの各会派が「一万円」を支持する。一円以上という主張は県民には映りが良いと思うが現実的ではない。なぜなら有効な、政務調査が出来なくなるからである。

私の出番が来る。中沢議長に「中村君」と呼ばれて登壇。私の提案説明は5分以上かかるもので無意識のうちに気合いが入っていたかなと思う。私が言い出して、私が案文も作ったという秘かな気負いもあった。また、暴力団に襲われるかもしれないという緊張感もあった。

 次は、私の発言の冒頭部分である。

「自由民主党の中村です。群馬県県営住宅管理条例の一部を改正する条例につき提案説明をおこないます。安全安心なまちづくりは全ての県民が望むところであり真に豊かなふるさと群馬の基礎であります。そして、これを実現するために最善を尽くすことは県政に携わる全ての者の責務であります。とりわけ、県民から選挙によって選ばれ、日頃、県民の生活と密接な関係をもつ私たち県会議員にとって、良好な治安を実現することは、特に重大な責務と言わなければなりません。

これが暴力団排除の条例を目指す私たちの基本理念であります。

 さて、暴力団の存在と現状は、県民生活の安心安全を脅かす最大の要素の一つであります。平成4年に暴力団対策法が施行されましたが暴力団の勢いは一向に衰えていません。たとえば、私たちに身近な恐ろしい事件として、平成15125日に前橋市三俣町で起きた暴力団の抗争事件があります。一人の組員と三人の民間人が暴力団によって殺されました。」

 これに続けて最近の暴力団の状況を述べ、もはや一刻も猶予できないから私たち県会議員が勇気をもって暴力団と毅然として立ち向かい県民の安全と民主主義を守るために自ら条例案を作ったと述べた。条例案のポイントは、暴力団員に県営住宅への入居資格を認めないこと及び、暴力団が既に入居している場合には明渡しを求めることである。そして、このことは、憲法14条の差別には当らないということにも触れた。後は、県土整常任委員会で私が質疑に答える予定である。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 6日 (水)

「暴力団の入居が各地でトラブルを」

◇昨日の「日記」で暴力団の県営住宅入居制限について書いたら反響があった。その中で次のような意見があった。「県営住宅から出された暴力団が民間のマンションに入ったらどうなるのですか。民間のマンションが困るでしょう」「追い出されたら暴力団員の家族が可愛そう」など。

 マンション経営者が一番神経を使うのが暴力団員を入居させないことだ。一度(ひとたび)そういう人を入れたらマンション経営が成り立たなくなってしまう。近くの住人は恐がって出ていってしまうからだ。

 暴力団と分かれば貸してもらえないから暴力団員は事実を隠して賃貸借契約を結ぶ。

 これは、人を欺いて賃借権という不法の利益を得たものとして詐欺罪(10年以下の懲役)に当たる。実際に組員が詐欺罪で逮捕される事件が報じられた。吉井町のアパートに指定暴力団稲川会系組員が古書店に使うとして契約を結び、暴力団の組事務所に使った。藤岡署は詐欺の疑いで組員を逮捕した。マンションやアパートの経営者は、このような法律の知識を使って警察と協力することが重要である。

 最近、暴力団が起こす事件が急増していることから国交省は緊急調査をした。それによると、過去5年間に全国の公営住宅で起きた事件やトラブルは、277件で、そのうち現役組員や元組員によるものが105件あった。この国交省の調査によれば、群馬県でも、過去5年間に公営住宅に入居していた暴力団員によると見られる不法行為が安中市及び沼田市で計4件あった。

 安中市の3件は、「殺人事件に関与した疑いで起訴された人物」、「実刑判決を受け現在服役している人物」、「麻薬取締法違反等で逮捕された人物」に関するもの。これらは入居中の暴力団員の可能性が高いのだという。沼田市は、入居中の暴力団員(確認は取れず)が逮捕され数年間服役していた例を報告している。

「暴力団の家族が可愛そう」という意見について、警察では、暴力団を抜ければ良いといっている。警察は、「足抜け」を全力で支援する態勢をとっている。罪のない家族がいたとしたら同情するが、家族は暴力団の家族ということでもともと肩身が狭いなどの不都合が多いに違いない。組員は家族のために組を抜ける他ないのではないか。

◇この「日記」を、今、早朝5時に書いているが、今日始まる6月県議会に、私たちは、「群馬県県営住宅管理条例の一部を改正する条例案」を提出する。この条例案が可決された場合、施行は、10月1日からとなるが、どのような効果が見られるか未知数である。しかし、このような条例を県議会が作ること自体に一定の効果があると思う。県議会が、暴力団を許さないという毅然とした態度を示すことが世論に影響を与えるに違いないからだ。この条例を生かすための大きな要素は住民の理解である。今朝は7時半から自民党の朝食会。本会議は10時に始まり、私は条例の提案説明をする。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 5日 (火)

「6月議会に暴力団対策条例案を出す」

 6月議会が6日から始まる。この議会は、県議会史の上で注目される議会になると思う。それは、議員発議の政策条例案を初めて提出することになるからだ。それは、県営住宅に暴力団を入居させないことにする条例案である。

 私は、かねてから議員が自主的に政策条例をつくるべきだと主張してきたが、この度、議員総会の承認を得て実現に向けた研究を続けてきた。それが、「群馬県県営住宅管理条例の一部を改正する条例である。」

 平成4年に暴力団対策法が実施されたが、暴力団の動きは衰えない。そして、銃を使った暴力団員の事件は跡を絶たない。安全安心な地域社会を築くことは全ての県民の願いなのに、暴力団によって銃がはびこる社会になりつつある。

 私たちに身近かな暴力団の事件として平成15125日に起きた前橋市三俣町の暴力団同志の抗争事件がある。組員1人が殺された他民間人3人も巻き添えになって射殺された。実行犯は、一審、二審と死刑判決を受け現在公判中である。

 私たち文教警察常任委員会は、暴力団対策として何か手を打たねばという思いで、平成

18913日県外調査で広島県警察本部を訪ねた。広島市はかつて暴力のまちといわれ、ヤクザの抗争は「仁義なき戦い」として映画にもなった。

 私たちの調査は実りあるものとなった。広島県が官民一体となって、暴力団対策のために必死に取り組んでいることを学ぶことが出来たからである。その一つが県条例の中で、暴力団員に県営住宅への入居を認めないとしていることであった。私たちの多くはこの時、群馬県もこのような条例を早くつくるべきだと感じたのである。

 今年になって、暴力団の事件は一段と深刻になった。419日、長崎市長が暴力団の凶弾に倒れた。同じく420日、東京都町田市の都営住宅に暴力団が銃を持って立てこもる事件が起きた。その後も、住民の安全を脅かし民主主義に暴力をもって挑戦する事件が続いている。

 暴力団員が皆銃をもつ状況、つまりアメリカのように銃がはびこる社会が進んでいるような不気味さを感じる。もはや一刻も猶予は出来ないと思われる。200万県民を代表する県会議員が暴力団に対して毅然として立ち向かうことが今一番求められている。それを示すために県民の税金で運営される県営住宅から暴力団を排除する条例を作るのだ。

 このような県条例を持つ県は現在、広島県と福岡県であり、612日に始まる東京都がこれに続こうとしている。そして66日に始まる群馬県議会は東京都に一歩先んずることになるだろう。

 しかし、これらの県や都と、群馬県が大きく違う点は、県会議員の発議によって条例が作られることだ。暴力団に狙われる可能性を思うと命がけの仕事ともいえる。県民の安全、民主主義の擁護、議会の活性化のために謙虚に取り組みたいと考える。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いい致します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 4日 (月)

「大沢後援会の発会式は燃えた」(2日)

◇前橋市と富士見村の連合後援会の発会式が、元総社の群馬建設会館で午前10時から行われた。5人の県議(中村・中沢・金子泰造・金子一郎・狩野浩志の各氏)がそれぞれ150人以上動員する計画であった。私達は、その他、市議、国会議員にも協力を要請し、1,000人の規模の大会を実現し、前橋の空気を一気に盛り上げることを目指していた。

 毎回のことながら人を集めることは並大抵のことではない。私の後援会は全市に広がって、後援会以外の支援団体も含めると役員だけでも2,000人を超える。だから、グリーンドームで1,000人くらいの人々に集まってもらうことはよくやってきたがその都度苦労はあった。

 しかし、知事選で集まってもらうとなると事情は異なる。後援会は、私を応援することを目的とした契約で成り立つもの。知事選のことは契約外なのだ。だから、理解してもらうためには手順を踏んだ努力が要るのである。

 幹部の役員会を開いて同意を得た上で私の考えとお願いを綴った文を作り、約1,500名に郵送し、実際に建設会館に集まってくれた人々は約200名であった。

 この日建設会館に集まった人々の総数はおよそ900名位と思われた。心配していたが、予定した盛り上がりをつくることは出来た。私は、主催者代表として壇上に立ち「新しい群馬を作りましょう。私たち県会議員は、本気です。私たちは自ら汗をかき、泥をかぶり、そして傷つくことを恐れずに頑張る決意です。皆さんと力を合わせれば必ず道は開けます」と訴えた。

 この日の午後3時には、利根沼田地区の後援会の発会式に飛んだ。沼田市の自動車協会のホールでは、小野里光敏、金子広隆両県議の真剣な姿が見られた。

◇詩吟の会の大会に出た(3日)。私が顧問を務める温優岳心会というこの団体は、年々会員数も増えて発展している。4月の県議選では大変に助けられた。

 今回は県民会館の小ホールが会場であったが、今までとは違った状況が見られた。それは、髙木前橋市長と小寺知事が始めて参加したことである。私と並んで座った知事の表情には厳しさが現れていた。知事の人相が悪くなったということが最近良く聞かれるが、この真剣な表情がそう受け取られているのだなと思った。

 知事選に向けた運動は、関係者は既に必死だが、大半の人たちは様子を見ている。山が動くのはこれからだ。

◇三つの重要な葬儀があった(3日)。私の友人であり、かつ後援会幹部の阿部市議のご尊父がなくなられた。また、私の第一回の選挙で責任者を務めてくれた小林安義さんが93才で天寿を全うされた。小林さんの遺影に胸を打たれ、その場で決意して弔辞を述べさせて頂いた。

 もう一つは山口菓声さん。お菓子の製造にたずさわりながら川柳に打ち込んだ人である。私は菓子組合の顧問なので、この人とはよく文化論に花を咲かせた。餡練り機に巻き込まれる事故が原因であった。

「鍵っ子と駄目なセールスうまが合い」「遅い飯父子焦点合わぬまま」菓声さんの句である。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 3日 (日)

『上州の山河と共に』連載(83)「審判下る」

「皆さん、この中村に、最後の力をお与え下さい。皆さん、私は、お金もない、地位もない、普通の市民として、立候補しました。

 目指すものは、身近かな県政、信頼の県政であります。今、地方の時代と言われるように地方が重要な役割を果たすべき時代であります。それは、それぞれの地方が、その地方の個性を生かしたまちづくりをしなければ、また、その地方の創意工夫に基づいて福祉や教育をしなければ、本当の意味の豊かな社会を実現することはできない、ということであります。そして、その為には、県政を身近かなものにし、県民の信頼に基づいた県政を実現しなければならないのであります。

中村は、皆さんにお約束します。この新しい時代の県政を担うにふさわしい県会議員となって立派なふるさと群馬をつくることを。

 その為に、どうか私を当選させて下さい。その為に、最後の最後まで、私と共に戦い抜いて下さい。お願いであります」

 大きな拍手と声援が起こった。その声は、塀の外からも起こっていた。

 背筋を伸ばし、額の汗をぬぐうと、快い風が頬を撫でる。心も壮快であった。私の演説が終る頃には、人々の数は一段と増えていたのである。私は、そのことに気付いて、大きな喜びと力が身体の奥から湧き上がってくるのを覚えるのであった。

投票日が刻一刻と近づいていた。果たしてどれだけの票が集まるだろうか。一人になって考えると、やはり不安である。短期間ではあるがいろいろな経験を積んで、それに基づいて振り返ると、ああすれば良かった、こうすれば良かった、と反省すべき点がたくさん出てくる。ああ、あと二、三日あれば、という思いにかられながら、ついに投票日を迎えることになった。

審判下る

 昭和六十二年四月十二日早朝、私は、芳賀公民館で投票を済ませた。多くの人が列を作っている。その列を、私は祈る思いで見た。

 その晩、八時過ぎに大勢が判明する予定であった。運命の時は容赦なく近づいていた。もう、賽は振られたのだ、じたばたしてもしようがないことと、頭では分かっていても、気持ちは落ち着かない。これまでも、自分の人生に重大な意味のある結果が出るのを固唾を呑んで待った経験はいくつもある。しかし、今回の私の気持ちは、今まで経験したことのない、重苦しいものであった。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

『上州の山河と共に』連載(82)「いよいよ決戦」

 連合後援会長の福島貞雄さんは、両手でマイクを握りしめ、ややひきつった表情で舞台中央に立っていた。

 「皆さん、いよいよ最後の大詰めを迎えました。中村はゼロから出発し、皆さんに支えられて、ここまでやってきました。当選は、あと一歩であります。何としても、あと一歩の距離を踏み越えて、当選させていただきたいのであります。皆さん、どうか、最後の力をふりしぼって戦い抜こうではありませんか」

 連合後援会長の一言一句には、不退転の決意が込められていた。それは、澄んだ空気を通して天まで届かんばかりの、その声の響きにも表れている。聴衆は、これに対して、「わあ!」

というどよめきで応えた。

 いよいよ私がマイクを握る時が来た。

 私は、ハチマキをきゅっと締め直し、舞台の中央に立った。妻は、やはりハチマキを締めて、私の斜め後ろに立っている。私は、両手でマイクを握ったまま深く頭を下げた。顔を上げると、人々の真剣な視線が一斉に私に集中しているのを感じる。

「皆さん、こんなにもたくさんの方々が、こんな山奥まで激励に駆けつけて下さいまして、私は胸がいっぱいであります。本当に有り難うございます。選挙事務所を捜すにも、いろいろ障害がありました。やっとの思いで、このような、前橋最北の地に、選挙事務所を設けることができました。私は皆さんと共に、道のない所に道をつくりながら、ここまで進んできました。不利な条件は初めから覚悟の上であります。このように多くの方々に集まって戴き、その上、熱い激励を戴いて、選挙事務所の不利も、吹っ飛んでしまったと思うのであります。天は、私に、いや私達に、次々と試練を与えてきました。それは、政治家になる為の情熱があるか、一つ一つの障害を支援者と心を合わせて乗り越えることができるかどうかを試すものでありました。私は、皆さんと共に、その試練を克服して、とうとうここまでやってまいりました。当選は間近かであります」

「そうだ、当選は近いぞう」

「もう、当選だ」

「頑張れ!」

会場からは様々な声援と共に、割れんばかりの拍手が起こった。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 1日 (金)

「温暖化防止は一刻の猶予もならない」

◇地球温暖化がこのまま進めば大変だという意識が世界中に広がっている。温暖化の最大の原因は二酸化炭素(CO2)の増加である。そこで、遅きに失する感があるが、CO2の排出を削減することに世界中が真剣に取り組み始めた。世界のCO2対策を拾って見る。

①新たな石炭火力発電所の開発に日、米、中韓、印の五カ国が共同で取り組む。石炭を燃焼させる際に出るCO2を液化し地下にとじ込めることでCO2の排出量をほぼゼロにする。日本では石炭を使う火力発電が発電量の2割超を占める。経産省は、世界のすべての石炭火力発電所が、この新しい型になれば世界のCO2の排出量は25%減ると試算している。

②バイオエネルギーの開発が世界的に活発になった。具体的には植物を原料につくるアルコールつまりバイオエタノールへの取り組みである。植物の体は空中のCO2を吸収してつくられる(光合成)から、燃やして出されるCO2は、もともと空中から吸収したものであり全体として空中のCO2を増加させないと考えられるのだ。世界的に使われる原料はサトウキビやトウモロコシである。

 原油高を背景にブッシュ政権がバイオ燃料を後押ししたことから米国で一大ブームが始まった。今や米国はバイオエタノール大国である。この点で米国と並ぶのはブラジルである。私は、前にも触れたが、ブラジル訪問のとき、どこまでも続くエタノール用のサトウキビ畑とエタノールを販売するGSが至る所にある光景を体験した。

◇日本政府も国産のバイオエタノール製産を拡大する。「バイオマス・ニッポン総合戦略拡大会議」がその方針を示した。それによると、農水省は規格外小麦や非食用米を、又環境省は草や木や廃材などを使う計画である。

◇世界の専門家で作る「気候変動に関する政府間パネル」は、産業やビルなどの省エネがCO2排出削減に大きな効果があるとした。今年も県庁でクールビズが始まるだろうが、冷房の温度をわずか下げないだけで消費する電気量の大きな節約になる。一度で石油ドラム缶何本という数字がある。

◇米国では、企業の株主総会で株主がCO2対策を提案する動きが増えているという。

CO2対策で企業の社会的責任を株主が求めるという注目すべき動きだ。提案者の株主も、個人、環境団体、大手の機関投資家と広がっている。行政が民間の企業を指導するには限界があるが、株主は企業の所有者だから、株主の提案は企業にとって重要な意味を持つ。日本の株主も株主総会で企業のCO2対策につき提案をするようになれば大きな効果が生まれるのではなかろうか。企業にとっても、企業イメージの向上や省エネによるコスト削減などのメリットがあるはずだ。そして何よりも、地球環境の悪化が進めば企業の存立まで危うくなる株主の提案がこれを救うために役立つということが重要である。

 今後、日本の大企業の株主総会でCO2削減のための株主提案がいつ出るか注目したい。株主が企業に働きかけてその社会的責任を果たさせる一つの面白いチャンスではなかろうか。

☆土・日・祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載いたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年5月 | トップページ | 2007年7月 »