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2007年4月25日 (水)

「ペルー占拠事件を今、考える理由」

  今月22日で、ペルーの日本大使館占拠事件から10年になる。これを取り上げねばと思うのは、事件の数ヶ月前に現場を訪ねたということだけではない。それ以上に、民主主義とテロをこの事件によって改めて考える気になったからだ。

  現在、イラクを初め世界中でテロが起きている。日本でも長崎市長の殺害など民主主義を脅かす事件が続発している。世界は進歩しているのか後退しているのか。

  平成9年4月23日の早朝、テレビは、「ペルー・リブレ(ペルーは自由だ)、ペルーはテロを許さない。そのことを世界に示したのだ」と叫ぶフジモリ大統領の姿を映し出していた。

  この事件は、平成8年、ペルーの日本大使公邸で天皇誕生祝賀のパーティーを行なっている最中に起きた。2,000人に及ぶ招待客にテロ集団MRTAが紛れこんでいたのだ。占拠は、以来、世界の目を釘付けにして126日間に及んだ。人質とされた人々の中には24人の日本人もいたのである。

  私たちは、県会議員の海外視察で南米を訊ね、5月3日早朝ペルーのリマに着き、午後日本大使公邸で青木大使と会見した。大使は、フジモリ大統領のことを身を乗り出すようにして次のように熱く語っていたのが今でも記憶に残っている。「フジモリは命がけでテロとインフレを克服しペルーを奇跡的に復興させました。フジモリの支持率は最も貧しい層において一番高いのです」と。

  最も貧しい層とは、先住民族・インディオや白人との混血の人々のことだ。コロンブスによる新大陸発見に続いて侵入したスペイン人によって原住民は虐殺され以来この地では悲劇の歴史が続いた。その中で、白人の支配に抵抗するテロは止むことがなかった。事件を起こしたMRTAは、トオパクアマルの革命運動と呼ばれ、トオパクアマルとは、スペインに亡ぼされた最後のインカの皇帝の名である。

  インデイオの子孫、及び白人との混血が人口の90%をしめこれらの人々の生活は貧しく悲惨だった。社会の不満に対してテロが続発し、その事が国の発展を妨げた。人々の心は乱れ、政治の道徳も地におちていた。

  フジモリは移民の2世である。彼は、「モラリサシオン(道徳化)」を掲げて大統領選に出た。アンデスの住民はフジモリの姿に日本の発展を重ね合わせた。武士道への憧れや、亡ぼされたインカへの復讐という思いもあったかも知れない。しかし、何よりも重要なことは、テロでは解決しないことを悟り、フジモリによる民主主義に国の未来を賭けたことである。

  フジモリは大統領に当選し改革を断行した。テロはなくなり、空前のインフレは克服された。それだけに、再び芽を出そうとしたテロを抑えるフジモリの気迫は凄まじかったのである。フジモリがその後失脚したことは残念である。しかし、歴史の歯車は後戻りはしない。イラクのテロや北朝鮮の非道もやがては消える。日本は、民主主義の先進国を目指さねばならない。ペルーの人々も、地球の反対側からそれを期待しているだろう。 日本も、社会のモラリサシオンを改めて実現する時だ。

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