「選挙を振り返って。戦いの断面」
◆今回の選挙で私は、得票数を前回と比べて大幅に減らした。その要因の一つは、芳賀に住所を移した民主党のある女性が、地域内の公民館を選挙事務所にして県議選を戦ったことである。芳賀地域は、もともと、旧社会党の強い地盤があったところであり、長く社会党の市議を勤めた人物がいた。この男が、民主党の女性候補を支援する中心になった。
同一地域に県議選候補が二人立って、地元地元と訴えると、一人区に二人の候補が立って争うことと似た現象が生じてしまう。足元がえぐられるような事態がひそかに進んでいたのだ。フクシと知事推薦を武器にした攻撃によって。
4月4日の朝、前橋青果市場で桑原功民主党候補と私が前後して演説をすることになった。桑原氏は、民主党が共倒れになると心配している風であった。結果は彼が心配した通りになって、民主党は県都前橋で議席を0にした。
◆利根西の攻防はすごかった。
元総社町は、私にとって特に縁が深いところである。小学校6年の時、宮城村から元総社一区、牛池川の辺(ほとり)に移り住んだ。多感な少年時代、ここで赤貧の生活を送ったことが、私の人間形成の一つの原点になっている。元総社時代の同級生、そして、元総社地区の人々との絆(きずな)は強い。
今回、元総社を中心とする利根川の西部、通称利根西から二人の無所属の有力候補が立った。中島資浩氏と吉川真由美氏である。中島氏は、若さを売り物にし、また、知事の推薦を受け、利根西の代表と称して元総社地域への浸透を精力的に計っていた。一方、吉川氏は、元衆議院議員・熊川次男氏の長女であり、元県議である。二人の必死の動きは、大きな脅威であり、元総社の牙城は危機に直面することになった。
同級生を中心とした人たちが巻き返しに懸命になった。4月3日、建設会館で行われた元総社地区の総決起大会は、ハチマキをした人々であふれ、多くの同級生が壇上に立って檄をとばしてくれた。
遂にやってきた4月7日、投票日前日である。毎回行う「街角集会」を今回も行うことになった。13ヶ所で綿密な計画に基づいて行われた。例えば、殿小路公民館前、集合時間3時50分、到着時間4時、スピーチ5分、出発4時5分という風に。特に元総社本村は多くの熱い支援者が街角に立ってくれた。陣頭に立った関谷市議が、私の手を握り、「元総社は巻き返せた、大丈夫ですよ」と叫んだ。
利根西の他の二人の候補は善戦したが及ばなかった。中島氏9,859票、吉川氏8,841票であった。私の票が大きく減ったもう一つの要因は、元総社は別にして、安全ムードが支配してしまったことである。「敗軍の将、兵を語らず」というが、私自身について反省すべき点が多くある。私は、自分の心を整理して、心の砦を建て直すことから始めようと思う。
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