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2007年4月23日 (月)

「統一選の出来事を振り返って」

◇富士見の村議選では珍しいことが起きた。先日の日記で、事務所らしきものは自宅の座敷だけと書いた笠井進一氏が当選したのだ。出陣式も総決起大会もしなかったが独自の選挙運動の中で政策は真剣に訴えていた。このような当選の仕方が実現したことは、今後の新しい選挙に影響を与えるかも知れない。選挙というと金をかけ、地域ぐるみで大掛かりな祭りのようなことをやるのが通常のパターンになっているが、小さな選挙なら工夫によって金もかけずごく少人数でやれるという見本を示したことになる。富士見村のもう一人の即席の候補者は届かなかった。こちらは本気で挑戦したとは思えない。

◇桐生市長は、県議会で最近まで我々の仲間であった亀山豊文氏が初当選を果たした。敗れた大沢市長も元県議。亀山氏の父親・亀山憲明氏も元県議である。新市長はみどり市との合併を考えているが、みどり市の石原条市長も元県議である。

◇全国で私が注目したのは、長崎市と夕張市である。長崎は、前市長が射殺され、その娘婿が立候補した。この人が独走し当選かという見方もあったが長崎市民は冷静な判断を示した。対立候補が良かったということもある。

 選挙中に候補者が銃殺されるという、正に民主主義への挑戦が行われた後だけに、同情と世襲という民主主義にとって好ましくない要素に大きく動かされなかった長崎市民に敬意を表したい気持ちだ。

 破綻(はたん)した夕張市を再建出来る人を選ぶことが市長選の最大の課題であった。市民はどこの選挙民よりも真剣に考えて一票を投じたに違いない。どの位の投票率であったか調べてみたいと思う。

 財政破綻の理由を市民は何も知らされていなかった。情報公開の重要性を夕張市民は、今さらながら思い知らされたに違いない。これまでの市長が批判されているが、市長に対するチェック機能を果たせなかった市議会の責任も大きい。夕張市の市議会議員の選挙の実態にも興味が湧く。

◇改めて情勢公開の意義について。

夕張市の財政破綻に関しては、民主主義の原点として学ぶべきことがある。情報公開の意義である。情報によって市政を知り、これを批判したり提案したりが可能になる。市民は主権者であるが情報がなければ市政に参加することが出来ない。その意味で、情報は民主主義を支える基盤である。

 多くの自治体に情報公開条例がある。恐らく夕張市にもあることだろう。しかし、それが生かされないのでは、絵にかいた餅である。地方の政治家には、自治体の情報を住民に提供する義務がある。今回の統一地方選を見て、候補者と有権所の凄まじい接触ぶりを感じたが、これが選挙の時だけの姿であっては民主主義の発展はない。有権者に情報を提供する日常の努力によって、真の絆が出来る。このことを今回の選挙の渦中で強く感じた。

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