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2007年4月21日 (土)

『上州の山河と共に』連載(67)「妻の退職・旗揚げの時」

 そして、妻の退職には、もう一つ重要な意味があった。それは、退職金のことである。私は、もともと資金のない状態で出発し、お金を使わずに当選しようと思っていたから、運動にかけるお金は僅かであったが、それでも、かなりの金がかかる。既に、わずかの貯金も底をつく状態であった。妻は、あと一年余りで恩給が付くというところであったが、背に腹はかえられず、退職して退職金を運動の費用に当てることにしたのである。

 妻は、一中、桂萱中で英語の教師を長く勤めてきたが、その後、恵まれない子供達と接したいという考えから東毛養護学校で病弱児童の教育に当っていた。この長い教職生活に別れを告げ昭和61年8月妻は退職した。妻は良く働いた。昼間の仕事に加え、夜は私と交替で学習塾の指導も分担したので、その負担は、精神的にも肉体的にも相当なものであった。

 辛いとか苦しいとか口には出さないが目の凹んだ妻の横顔を見て、病死した前妻のことが頭をよぎることがあった。そして、<俺は、大変な博打に妻を付き合わせているのだろうか>、こんな思いが湧く。しかし、<そんなことはない。俺達夫婦は、理想の旗を共に掲げ、共に闘いながら、着実に勝利に近づいているのだ。多くの人達も、俺達の旗を信じて集まってくれている。やり抜くしかない>、私はこう思った。

「旗揚げの時」

 昭和61年の盛夏、我が陣営の拠点である芳賀の事務所は、緊迫した雰囲気に包まれていた。

 私は、水洋会初め、幾つかの団体の役員達の前に立って、連合後援会の重要な決定について説明していた。

 これより数日前、この事務所に、連合後援会長の福島貞雄氏を中心とした後援会の幹部が集まり、一つの重要な決定がなされたのである。それは、この年の暮に、いよいよ我が陣営の存在を天下に知らしめる行事をしなければならない。この運動に勢いをつけて、翌年4月の目的を達成する為には、このイベントをどうしても成功に導かねばならない。すべては、このイベントの成否にかかっている。それを10月5日、県民会館小ホールで後援会大会という形で行おう、ということであった。

 これ迄の集会は、多くてもせいぜい30人ちょっとの規模であった。それが、今度は、県民会館でやろうというのである。小ホールとはいえ、座席は650程ある。このホールを、通路を含め立錐の余地がない程にいっぱいにしなければならない、というのが幹部会の方針であった。(明日の日曜日に続きます)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「」上州の山河と共に』を連載しております。

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