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2007年4月15日 (日)

『上州の山河と共に』連載(66)「地域後援会・妻の退職」

 私の住んでいる所は、芳賀の中心に位置する鳥取町という小さな町である。ここは、地元中の地元ということで、町民の皆さんにことの外お世話になっていた。ここでは松本利之さんが初代の支部長を引き受けて下さった。温厚篤実な立派な方であったが病気の為世を去られたことは残念でならない。その後は、加藤市郎さんが支部長として尽力されているが、この加藤さんの下に鳥取町青年部の皆さんがいた。鈴木安雄さん、佐藤英教さん、大沢照庸さん等を中心とするグループで、皆、元気の良い人達であるが、中でも、鈴木安雄さんは自ら行動隊長と称するだけあって、血気盛んな快男児である。

 鈴木さんの経歴が面白い。彼は中学校を卒業するとすぐに上京し、ある企業に就職して、持前の頑張りと行動力を発揮して、すぐに社長夫婦に認められる存在になった。夜の大学に通いながら仕事の腕を上げ、実績を重ね、やがて独立し、故郷の芳賀で会社を興し、現在多くの社員を擁する会社の社長として頑張っている。口の先から生まれたかのように良く喋り、よく笑い、時にその振る舞いは大胆で傍若無人に見えるが、裸一貫から企業を興し成功するだけあって、繊細な一面を持つと同時に、緻密な計画性を備えた大した男である。ちなみに、社名のアームストロングというのは、かつてアメリカの宇宙船が初めて月に着陸した時のアームストロング船長の名をとったというのであるから、なかなかのアイディアマンでもある。芳賀の人達は、この人のことを通称“アームさん”と呼んでいるが、アームさんは鳥取町の人達と共に、本当に良く頑張ってくれた。

 元総社を中心とした利根西も、今でこそ各町に後援会が出来ているが、当時は、そこまではゆかず、私の元総社中学の同級生を中心として作られた利根西クラブが活動の主体であった。ここでは、同級生の松田博や石井敏美、そして、元中後輩の関谷俊雄さんなどが中心となって動いてくれた。

 関谷俊雄さんは、思慮と行動力に富んだ立派な人物であるが、その後、自らの政治理念を実現する為に、前橋市議選に立候補した。私と同じような草の根運動を展開、見事高得点で当選し、現在、前橋市議として大いに注目されている。

「妻の退職」

 この頃、後援会活動が活発化するにつれて、事務局的な細々とした仕事がにわかに増え、ボランティアの人達に手伝ってもらうだけではどうしても間に合わない状態であった。どうしても専属の事務員が必要で、それは、来春の当選を果たす為には、一刻の猶予も許されないことと思われた。

 そこで、私達夫婦は、かねてから迷っていた事について、とうとう決断を下した。それは、妻の退職という事であった。妻の事務能力と行動力は、それまでも、目立たない所で私を支える重要な戦力であったが、教職についていたのでは、中途半端な力しか発揮出来なかった。決戦の時が日一日と近づくことを思うと、私達夫婦の全ての力を唯一の目的に傾注すべきことは当然のことと思えた。また、多くのボランティアの人達が熱心に働いてくれることを承知しながら、職場に出かけて行くことは、この人達に対して申し訳ないことと思われた。(21日の土曜日に続きます)

★土・日・祝日は以前からのご要望により「」上州の山河と共に』を連載しております。

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