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2007年3月12日 (月)

シベリアのサムライたち

県議選突入が秒読みの段階に至りました。取り組まなければならない多くの課題を前に、私の胸の不安と緊張は日毎に高まっています。ここで、私は心の支えとして、拙著「望郷の叫び」の中の「シベリヤの侍たち」をかみ締めることにしました。読者の皆様にも是非紹介したいと思い、月曜から金曜まで連載します。サムライの意地と誇りと覚悟の程に皆さんと共に接したいと存じます

       

     日本人が最後に意地を見せたハバロフスク事件の真実。 

(第1回)                  

シベリア強制抑留の真実を語る上で、ハバロフスク事件に触れないわけにはいかない。それは、奴隷のように扱われていた日本人が意地を見せた見事な闘いだったからだ。又、日本人とは何かを知る上でも重要だからである。最近、ロシア人の日本人研究者が、この事件を、「シベリアのサムライたち」と題して論文を書いた。「サムライ」とは、私たちが忘れていた懐かしい言葉である。この事件を知って、私は日本人としてよくぞやってくれたと、胸の高鳴りを覚えるのである。

昭和三十一年八月十六日の産経時事は、「帰ってくる二つの対立―興安丸に反ソ派とシベリア天皇―」という記事を載せた。それによると、帰国船内又は舞鶴で乱闘騒ぎやつるし上げなどの不祥事が起こる可能性が強いこと、二つの対立グループには、一方の反ソグループにハバロフスク事件の黒幕的な存在として知られる元陸軍中佐瀬島龍三、他方親ソ派のシベリアの天皇として恐れられた浅原正基のことが記され、又、帰還促進会事務局長談として、「浅原のように日本人を売った奴は生かしてはおけないといっている、帰還者がいるから、何が起こるか心配している」という記事が載せられている。

 またこの記事は、問題のハバロフスク事件については、「ソ連の待遇に不満を抱き、昨年十二月十九日の請願サボタージュで、犯行の口火を切ったハバロフスク事件は、去る三月、ハンストにまで及んだものの、ソ連の武力鎮圧により、同十一日はかなく終幕、四十二名の日本人が首謀者としていずれかへ連行され、一時、その消息を絶った」と報じている。事件からおよそ半世紀が経つ。この事件の重大性にもかかわらず、今日の日本人の多くは、この事件を知らない。

(1)ハバロフスク事件の背景

 ハバロフスクは、ロシア極東地方の中心都市で、アムール川とウスリー川の合流地点に位置し、シベリア鉄道の要衝である。強制抑留のシンボル的な都市で、多くの日本人は、ここを通って各地の収容所へ送り込まれ、帰国するときも、ここに集められてからナホトカ港に送られた。

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

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