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2007年3月18日 (日)

『上州の山河と共に』連載61回

それでも、中村塾の卒業生たちは、自分たちが主役となって頑張ってゆこうという気になってくれて、それぞれの立場で、自分の仲間に呼びかけ、支援者の輪を拡げる為に大いに活躍してくれた。

 他の団体についても同じような現象が見られた。これらの団体にも選挙運動の経験者はやはりほとんどいない。また、地域社会のボスであるとか、企業の経営者とか、上から権力を振るうような人もいない。だから、皆平等であり、また、それぞれが運動の主役であるという意識を持つことができたのである。

会議を、重ねるうちに、皆、次第にのめり込んできて、会議の場は、熱気に包まれるようになっていった。

<たかが素人の寄せ集め、大したことは出来ないだろう>

 世間ではこう噂しているということが、私の耳に入った。

 そんなことはない、我が陣営は、未経験者の集まりで、しっかりした組織になっていない点を指摘してそう言うのだろうが、組織があればそれだけで大きな力が出せるとは限らない、と私は思った。組織は古くなると形式的となり、硬直するものだと思う。また、階級的な秩序も、時には内部の力を外に出せず、逆に押さえ込む作用を果たす場合もある。幕末の頃、高杉晋作の奇兵隊が、幕府の正規軍に対抗して大きな力を発揮したのも、一人一人がやる気を起こして、新鮮なパワーを爆発させたからではないか。

 こう考えると、私の各種部隊も、この奇兵隊のように、新鮮な大きなパワーを発揮してくれるように思えるのだった。だから、これからも、私自身が直接出会う人達の中からグループをつくる、あるいは、そういう人からその仲間に呼びかけてもらって、五人でも十人でも良いから、小さいグループを作ってもらう、これが、この時点での私の作戦としては最良のものと思えたのであった。

水洋会の結成

 中村塾卒業生や私のいくつかの同級生などのグループは、もともと私と関係があった人々が構成員となっている。こういうグループだけでは発展性がない。新しく開拓した人々から成る団体を作ってゆかねば成らない。私の運動が幾分進展し、新たな段階に入ったと意識した頃から、この事は大きな課題となっていた。

 それは、始め、数人の会合から始まった。そこでは、どうしたら形のある会をつくることができるか、また、どのような方法で仲間を増やしてゆけるかということが真剣に話し合われた。そこで得られた一つの結論は、とにかく、毎週水曜日の夜、それぞれの仕事が終わってから会合を開こう、その時は、各自が新しい仲間を誘って参加しよう、そして、その次の週には、前回初めて参加してくれた人にも、更にその知人、友人を誘って参加してもらおう、こうして、会合を重ねるごとに新しい仲間を増やしてゆこう、ということであった。

 第一回の拡大会議は、大変な努力をした結果、30名程の参加者が得られた。

 この会議を成功させる為に、妻も必死だった。実は、妻はこの頃、まだ教師として勤務していたが、家に帰ると熱心な事務員に変身し、資料の整備や手紙の宛て名書き、あるいは、昔の教え子に対する電話連絡などを進めていた。

 このような仕事を、妻は、私が運動を始めた当初から熱心にやっており、私を支える陰の柱であった。そして、事務所で毎週大勢の会議を開くとなると、私の訪問者リストに載っている人に電話で参加依頼したり、仲間に対する呼びかけを引き受けている人に確認を求めたり、あるいは、これら参加予定者の人数を掌握したりで、妻の仕事はにわかに忙しくなった。

★土・日、祝日は、以前からのご要望により「上州の山河と共に」を連載しています。

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